【3分で読める小説】錆

2021年5月1日

何もかもが気にくわなかった。

物心ついたときからだ。

父親はギャンブルに明け暮れて、たまに帰ってくると暴力をふるう。母親は酒に浸りきり、いつも怒鳴ってばかりいる。

家庭環境に著しい問題がある。

周りの大人たちはそんなことを口々に言ったが、おれにはよく分からなかった。

憂さ晴らしのためだけに物を盗み、金を巻き上げ、誰かれかまわず殴りかかる。

日々は、ただその繰り返しでしかなかった。

やがて、似たやつらから声をかけられ、仲間ができた。

が、そんな中でも、おれはいつも一人だった。底なしの穴に落下しつづけ、暗闇だけが絶えずまとわりついているような感じだった。初めて人を殺めたのは十八のときで、相手は実の父親だった。

やがて刑期を終えて外に放りだされてからも、何かが変わるどころか現実はさらに悪化した。

酒に溺れ、クスリに手をだし、気づけばあれほど嫌っていた父親のようになっていた。

再び人を殺めたのは三十を少し過ぎたころで、同居人と口論になり、我に返ったときには床にそいつが転がっていた。

おれが異変を感じたのは、その取り調べの最中だ。

身体の節々に違和感を覚え、妙だなと思っていると、突然、取調官がこんなことを口にした。

「……残念ながら、おまえはもう長くはないみたいだな」

何を言いだしたのかと思いながらも、おれは無言でうつむいていた。

すると、そいつは鏡を差しだしてきた。

「ほら、自分で見てみろ」

従うのも癪だったが、ちらりとそちらに視線をやった。

瞬間、おれは目を見開いた。

そこに映りこんでいたのは、自分ではあるが自分ではないものだった。

顔の至るところが、まだらに赤錆びていたのだ。

反射的に手をやるとざらっとした感触があり、何かがぽろぽろと床に落ちた。そのときになって、おれは気づいた。自分の手や腕も、同じように錆びていることを。

「それはな、身から出た錆っていうやつだ。知ってるか、そういう言葉を」

黙っているおれには構わず、そいつはつづける。

「自分の犯した行いで苦しむことを、そう表現してな。世間では単なるたとえだと思われている節があるが、この場所ではまったく違う。実際に起こることだからだ。罪を重ねた者たちは、現実に身体が錆びていくんだ。まさに今のおまえのように」

おれはそっと足を動かす。錆びた金属が不快な音を立てるように、膝やくるぶしがギィッと鳴る。

「……どうなるんだよ」

おれは取調官を睨みつけた。

「身体が錆びつくんだろ? その先はどうなるっつーんだよ」

「どうもこうも、そのまま錆びていくだけだ。こうなったら、もう手の施しようはない。この症状は、どうやら更生が見こめないやつに限って現れるらしくてな。だから、おまえもそういうやつだということだ。天罰が下ったとでも思って諦めることだ」

おれは、はん、と鼻で笑った。

「棄てられるロボットみてーな話だな」

「ロボットか……」

取調官はつぶやいた。

「……あるいはな。この症状に見舞われる者の中には、たしかに同情の余地があるようなやつもいる。何かひとつでも違っていたら、そいつの人生もまた違っていたのかもしれない。が、それはどこまでいっても、もしもの話だ。もちろんおまえはれっきとした人間だが、ある意味では回路が壊れて暴走しているロボットのように、見えなくもない」

「正直にどうも」

「だがな、ひとつだけ訂正させてもらう。おまえは錆びても、別に棄てられるわけじゃない」

「この期に及んで慰めかよ。どうせゴミ山行きだろ?」

いや、とそいつは首を振った。

「おまえたちは資源になるんだ」

「資源?」

意味が分からず、おれは尋ねる。

「どういうことだ?」

「この症状は身体の表面の錆びが進んでいくにつれて、身体の中までどんどん鉄に置き換わっていくんだよ。やがて全身が錆びた頃には、おまえは完全な鉄の塊になっている」

「……溶かして再利用っていうわけか」

取調官はうなずいた。

「言うまでもなく、本人たちの希望は聞く。人道的な問題もあるからな。中には溶かされることを拒否する者もいるが、たいていのやつは承諾する。と言っても、単にそんなことには無関心なやつが多いだけの話だが」

「おれもだよ。勝手にしてくれ」

「あとで同意書を持ってこよう」

不意に、おれは尋ねてみた。

「多いのか? これまで、おれみたいに錆びてったやつってのは」

「パチンコ玉からタワーまで──世に出回る鉄製品の一部を担えるほどにはな」

そして、と、つづけた。

「今も、世界中で新たに現れつづけている」

「なるほど、人類は次から次に鉄が出てくる便利な鉱山を持ち合わせてるっていうわけか」

おれが笑うと、そいつも乾いた笑みを浮かべた。

「こんなに枯渇を願う鉱山も、なかなかないが」

留置場にいるうちに、おれの身体はどんどん錆に蝕まれていった。

やがて身体の自由はきかなくなり、食欲などもなくなった。

が、どういうわけか意識は依然として鮮明だった。途中からは、そのことを誰かに伝える手段はなかったが。

そうしてすべてが鉄に変わると、電気炉へと運ばれた。

身体は炉の中ですぐに溶け、おれはほかの罪人たちと混ざりあった。そんな中でも意識がバラバラになることはなく、おれはおれのままで高熱の中を渦巻いた。ときどき他のやつの思考や感情が流れこんでくることもあったが、そのほとんどは無頓着や諦めで占められていた。

やがておれは冷やされ固まり加工され、新たな姿に生まれ変わった。

行きついた先は、レストランだ。

おれが生まれ変わったもの。

それは鉄板だった。

いま、おれの上ではステーキが焼かれ、魚が焼かれ、もやしやキャベツが焼かれている。

日々が過ぎていくうちに、あれほどハッキリしていた意識は少しずつだが薄れはじめた。

そう遠くないうちに、このまま消えていくのだろう。

最近では、そんなことをぼんやり感じる。

ただ、もうひとつ、この頃は得体の知れない別の感覚にも苛まれている。

自分のどこかが、なんだか妙に火照るのだ。

初めは、おれを熱する火のせいだろうと思っていた。

が、どうもそうではないようだった。

というのが、それがもっとも強くなるのは火を落としたあとだからだ。

店のシェフは、客が帰ると毎晩欠かさずおれを磨いた。

ときには声を出したりしながら。

今日も一日、ありがとな──。

仕事仲間、カップル、子連れ。

お気楽なやつらにも囲まれて、後悔を感じずにはいられない。

こんなことなら、同意書をちゃんと読むべきだった。

おれはチッと舌打ちをする。

あの野郎、妙な社会復帰をさせやがって、と。

(了)

ショートショート作家 田丸雅智氏

田丸雅智(たまる・まさとも)
1987年、愛媛県生まれ。東京大学工学部、同大学院工学系研究科卒。2011年、『物語のルミナリエ』に「桜」が掲載され作家デビュー。12年、樹立社ショートショートコンテストで「海酒」が最優秀賞受賞。「海酒」は、ピース・又吉直樹氏主演により短編映画化され、カンヌ国際映画祭などで上映された。坊っちゃん文学賞などにおいて審査員長を務め、また、全国各地でショートショートの書き方講座を開催するなど、現代ショートショートの旗手として幅広く活動している。書き方講座の内容は、2020年度から使用される小学4年生の国語教科書(教育出版)に採用。17年には400字作品の投稿サイト「ショートショートガーデン」を立ち上げ、さらなる普及に努めている。著書に『海色の壜』『おとぎカンパニー』など多数。メディア出演に情熱大陸、SWITCHインタビュー達人達など多数。
田丸雅智 公式サイト:http://masatomotamaru.com/