【3分で読める小説】農家の魚
おもしろいものを作っている農家があるらしい。
そんな噂を聞きつけて、おれは取材をするべく、ある港町を訪れた。
仕入れた住所をもとに一軒の家のチャイムを鳴らすと、中から男性が現れた。事情を話すと、ああ、とその人は頷いた。
「それは私のことですね。長年、まさにそんな研究をしていまして」
「じゃあ、噂は本当なんですね?」
「ええ、よかったら、実物を見ていかれますか? ちょうどこれから、山に入るところだったので」
その言葉に甘え、おれは男性のあとについて行くことにした。
傾斜のきつい坂をのぼっていくと、やがて男性は立ち止まった。
振り向くと、光のきらめきが飛びこんでくる。
穏やかな波が、こきざみに揺れている。その上を、小さな船が突き進む。
海だ──。
「このあたり一帯が、うちの山でして」
視線を戻すと、斜面に植わった木々の緑が映りこんだ。そのあいまからは、鮮やかなオレンジ色──ミカンが顔をのぞかせている。
男性はミカン農家で、その研究もミカンに関するものだという。
「こちらです」
木々の中へと分け入って、しばらく歩くと男性が言った。
「これが、その木です」
目にしたとたん、おれの胸は高鳴った。
噂にたがわぬものが、そこにはあったからだった。
目の前の木の緑からのぞいていたのは、オレンジ色のものではなかった。形はミカンそのものなのだが、色がまったく違っていた。
その丸いものの下半分は銀色だった。そして、真ん中あたりに黄色がかった帯があり、そこから上は青く光り輝いていた。
まるで、魚のブリのような色合いだった。
「ここにみのっているのが、その……」
「ええ、私の開発したブリミカンです」
おれは事前に聞いていた話を思いだす。
世間には、魚にミカンやユズなどを混ぜたエサを食べさせて育てる養殖方法がある。そうすることで、魚の生臭さを軽減させて、さらには柑橘の香りを持たせられるのだ。それらはフルーツ魚などと呼ばれているが、そのひとつに、ミカンを食べさせて育てたブリ──ミカンブリというのがいる。
しかし、いま男性が口にしたのは、その「ミカンブリ」ではなく「ブリミカン」という言葉だった。彼はその名の通り、ミカンブリとは反対の、ブリのようなミカンであるブリミカンを開発したというのである。
「ですが、こんなものをどうやって……」
思わずこぼすと、男性は言った。
「詳しいことは企業秘密ですが、遺伝子改良というやつです。大雑把に言ってしまうと、ミカンにブリの遺伝子を埋めこんだというわけですね」
「たしかに皮の色はブリみたいですけど……中はどうなっているんですか?」
「お見せしましょう」
男性は、ブリミカンに近づいてひとつをつかむと、ぐいっとひねって木からもいだ。
その瞬間、男性の手の中で、ブリミカンがぶるぶると震えはじめた。
「おっとっと、もぎたては活きがいいんですよ」
おれはそれを受け取った。まるで生きている魚のように、ぶるぶると小刻みに震えている。
しばらくすると、その震えは収まっていき、やがてまったく動かなくなった。
「さ、皮をむいてみてください」
そのメタリックに光る皮をむいてみると、中からは赤みを帯びた果実が出てきた。それを半分に割ってみる。血合いのように赤かった外側に対して、中のほうは白っぽかった。
「本物のブリの刺身みたいですね……」
脂だろうか、表面はてらてらと虹色に輝いている。
男性は言う。
「そうなんです。ここまでブリの身を再現するのに苦労しました。よかったら、ぜひ召し上がってみてください」
男性は醤油を取りだし、おれのむいたブリミカンの一房にかけてくれた。
口に運んで、おれは叫んだ。
「うまいっ!」
それは、素人判断では本物のブリとなんら遜色のない味だった。脂がよく乗っていて、舌の上でとろけるようだ。加えて、ミカンの香りが爽やかさを添えている。
おれは、もう一房、二房と食べながら、男性に尋ねた。
「どうして、こんなミカンを開発しようと思われたんですか?」
「この町には漁師さんがたくさんいるんですが、彼らが嘆く魚離れというやつに一矢報いてやろうと思ったんです。魚はさばくのが面倒だという人も、このブリミカンなら皮をむくだけで刺身が食べられますからね」
それから、と、男性はつづける。
「海洋資源の枯渇問題にも一石を投じられないかと思いまして。種類にもよりますが、魚の漁獲高は年々減ってきていますから。そこに、養殖とは違うアプローチをしてみようと考えたわけです。その手はじめにブリを選んだのは、DHAなどの栄養が豊富で世間に受け入れられやすいだろうと思ったからです。それに、ブリは出世魚なので、縁起をかつぎたい人にも受けがいいのではという期待もありました」
魚離れを食い止めて、資源を守ることにもつながりうる。なんて素晴らしい取り組みだろうと、おれはすっかり興奮した。
「いやあ、早く量産化していただきたいですよ!」
おれの頭に、コタツに置かれたメタリックカラーの画が浮かぶ。
と、男性は、いえ、と言って苦笑した。
「そうしたいのは山々なんですが、まだまだ課題がありまして……」
「そうなんですか?」
「ブリミカンはいちど木からもいでしまうと、すぐに傷んでいってしまうので、鮮度を保ったまま輸送する手段を考えなければならないんです。それから、もうひとつ、じつはこちらのほうが大きな課題なんですが……」
男性は表情をくもらせる。
「せっかく実がみのっても、今のままだと、すぐに横取りされてしまうんですよ」
おれは目の前の木を見て、なるほど、と事情を察した。
「鳥ですか……」
ブリミカンの木には、全体を覆うようにネットがかけられていた。それは、防鳥ネットに違いなかった。
鳥に実をついばまれる──そんな被害が、ミカン農家にはあるのだという。ふつうのミカンでもそうなのに、これは極上のブリのようなミカンなのだ。鳥が好むのも無理はないなと思わされた。
しかし、男性は頷きつつも、こう言った。
「それもあるんですが、このブリミカンを好むのは鳥だけではないんです。本来は柑橘が苦手なはずの生き物も寄ってきまして……」
そのとき、近くの茂みがガサッという音を立てた。
おれはそちらに視線をやって、思わず固まる。
「港町ですから、もともと多くて……このネットも爪で破って、ミカンをくわえて逃げていくんです。何かいい対策がないものかと悩んでいて……」
草陰では、無数の目が光っていた。
次の瞬間、それらがいっせいに「ニャァ」と鳴いた。
(了)

田丸雅智(たまる・まさとも)
1987年、愛媛県生まれ。東京大学工学部、同大学院工学系研究科卒。2011年、『物語のルミナリエ』に「桜」が掲載され作家デビュー。12年、樹立社ショートショートコンテストで「海酒」が最優秀賞受賞。「海酒」は、ピース・又吉直樹氏主演により短編映画化され、カンヌ国際映画祭などで上映された。坊っちゃん文学賞などにおいて審査員長を務め、また、全国各地でショートショートの書き方講座を開催するなど、現代ショートショートの旗手として幅広く活動している。書き方講座の内容は、2020年度から使用される小学4年生の国語教科書(教育出版)に採用。17年には400字作品の投稿サイト「ショートショートガーデン」を立ち上げ、さらなる普及に努めている。著書に『海色の壜』『おとぎカンパニー』など多数。メディア出演に情熱大陸、SWITCHインタビュー達人達など多数。
田丸雅智 公式サイト:http://masatomotamaru.com/