【3分で読める小説】取調室の資源

2020年12月1日

どことなく緊張感が漂う廊下を進んでいって、私はある部屋へと案内された。

「こちらです」

椅子に座ると、目の前のカーテンが開かれる。そこは窓になっていて、対面している二人の男性が目に入る。

小さな声で、職員が言う。

「扉側にいるのが捜査官で、反対側にいるのが、ある事件の容疑者です」

その窓──マジックミラー越しに見えているのは取調室だ。捜査官は何かを話しているようだったが、こちらに声は聞こえてこない。容疑者の男はうつむいて、口を閉ざしているようだった。

──まずは実際に、現場を見ていただけないか。

職員からは、そんなふうに頼まれていた。

が、ここに至っても、私はまだ事前に聞いた話を信じることができなかった。

猜疑心を抱いたまま、目の前の光景をひたすら眺める時間がつづく。

それに変化があったのは、座っていることに疲れを感じはじめた頃だった。ずっと下を向いていた容疑者の男が、顔をあげて何かを話しはじめたのだ。

その次の瞬間だった。

男が突然、うっ、と、えずくような仕草を見せた。

気分が悪くなったのか──。

そう思った直後のこと、驚くべきことが起こった。男の口から黒い何かがあふれだし、机にべちゃっと落ちたのだ。

が、目を見開いたのは私だけで、容疑者の男は構わず話をつづけた。その合間にも黒いものはごぼりごぼりと出つづけて、床はどんどん埋もれていく。あっという間に、数十センチほどの高さになる。

呆然と眺めていると、そのうち男の口から噴出するそれの量が減りはじめた。そして、何も出なくなったころには取り調べも終わったようで、二人は部屋を出ていった。

言葉を失ったままの私に、職員が言った。

「これがお伝えしていた泥なんです」

「こんなことが……」

職員からは、事前にこう聞かされていた。

罪を告白することを、泥を吐く、などと言う。その表現はたとえなどではなく、実際に現場で日々起こっていることなのだ、と。

容疑者が罪を認めて話しだすと、口から泥が出はじめる。そして、告白を終えるころには、取調室は泥でいっぱいになってしまうというのである。

実際に目の当たりにするまでは、何の冗談だろうと思っていた。が、その冗談のようなことが、いま眼前で起こってしまったのだった。

職員は言った。

「この泥には、本当に困っていまして……」

泥を指しつつ、彼はつづける。

「掃除をするのも大変ですが、何より困るのが廃棄なんです。何しろ罪に染まった汚泥なので、ふつうの泥のようにそのまま捨てて悪意が伝染したりしたら大変です。なので、いまは何重もの浄化処理を行ったうえで廃棄をしているんですが、かなりの費用がかかっていまして……それに、残念ながら罪を犯す者たちも後を絶たず、全国の取調室で日々吐かれる泥は膨大な量にのぼります。どうにかできないものかと、我々はずっと悩んでいたんです」

私は、なるほど、とうなずいた。

「それで私に連絡を……」

「ええ、先生のお力で、何とかならないものでしょうか」

私はしばし考える。

私の研究──それは下水の汚泥を資源に変えるというものだ。

そのプロセスでは、メタン発酵菌を使う。汚泥に含まれる有機物を菌によって発酵させて、メタンを生成させるというわけだ。

そうして生まれたメタンは、ガスとしてそのまま使ったり、燃焼させて発電に利用したりする。バイオガスとも呼ばれるその種のガスは、原料の枯渇の心配がないために再生可能な資源に位置づけられる。

「分かりました」

私は答えた。

「まずは、この泥の成分を調べてからでないと何とも言えませんが、それでもよろしいですか?」

心の中には、なんとかしたい、という気持ちが芽生えていた。

むろん、そもそも泥の原因となっている、罪を犯す人自体を減らす努力は必要だ。しかし、それと同時に、すでに出ている泥のことで困っている人がいる以上、自分も力の限り協力したい──。

私の言葉に、職員は顔を明るくさせた。

「ありがとうございます!」

私は職員から泥のサンプルを譲り受け、研究室へと持ち帰った。

職員を研究室に招いたのは、しばらくたってからのことだった。

「それで、どうでしたでしょうか?」

前のめりの職員を落ち着かせると、私は言った。

「結論から申しますと、非常にいい結果が得られました」

私はデータを提示する。

「人体から出てきたものだからでしょうか、あの泥の成分は有機物で構成されていて、メタン発酵に理想的なバランスだと分かりました。こんな具合です」

私は近くの実験器具を指し示す。

中には黒い泥が入っていて、ぼこぼこと泡が立っている。

「メタンが生成している証です。火をつけてみましょうか」

私はガスバーナーの元栓を開け、貯めたメタンガスを放出させた。マッチの火を近づけると、炎がボッと立ち上がる。

「この通り、ふつうのガスと何ら遜色はありません」

「あの厄介者から、本当に資源が得られるだなんて!」

感動している様子の職員に、私は話す。

「発酵が終わったあとの残渣はセメントなどにして処理したり、排水も浄化したりする必要はあります。が、メタンが得られて活用できるようになる分、従来の処理方法よりは環境にずいぶん優しくなるのではと考えています」

「いやあ。本当にありがたいですよ……」

職員はしみじみ、口にした。

ただ、と、私はこう付け加えた。

「このメタンによる火には、変わった特性もあるようでして。それをお伝えしておかねばなりません」

「えっ?」

「普通のメタンとは違う特性があるようなんです。お見せしましょう」

私はそばに用意していた線香を手に取った。それを炎に近づけると、先端にポッと火がともる。線香を持つ手を大きく振る。息も強く吹きかける。

しかし、火は依然として変わらず揺らめいたままだった。

「この通り、ちょっとやそっとではこの火は消えないんです。火事になったら厄介なので、取り扱いには注意しなければならないかもしれません」

職員は、目を丸くする。

「でも、どうしてこんな特性が……」

「原理の解明はこれからですし、非科学的な話ですが」

私は答える。

「もしかするとメタンや泥の由来に理由があるのかもしれません。ほら、もとをたどれば、この火は罪から生まれたものでしょう?」

複雑な気持ちになりながらも、私は言う。

「残念ながらというべきか──罪というのは、なかなか消えづらいもののようです」

(了)

ショートショート作家 田丸雅智氏

田丸雅智(たまる・まさとも)
1987年、愛媛県生まれ。東京大学工学部、同大学院工学系研究科卒。2011年、『物語のルミナリエ』に「桜」が掲載され作家デビュー。12年、樹立社ショートショートコンテストで「海酒」が最優秀賞受賞。「海酒」は、ピース・又吉直樹氏主演により短編映画化され、カンヌ国際映画祭などで上映された。坊っちゃん文学賞などにおいて審査員長を務め、また、全国各地でショートショートの書き方講座を開催するなど、現代ショートショートの旗手として幅広く活動している。書き方講座の内容は、2020年度から使用される小学4年生の国語教科書(教育出版)に採用。17年には400字作品の投稿サイト「ショートショートガーデン」を立ち上げ、さらなる普及に努めている。著書に『海色の壜』『おとぎカンパニー』など多数。メディア出演に情熱大陸、SWITCHインタビュー達人達など多数。
田丸雅智 公式サイト:http://masatomotamaru.com/