【3分で読める小説】渋谷の潮流
いま、女子高生に大人気の店がある。
そんな話を耳にしたのは、街特集のために渋谷の取材をしていたときのことだ。
教えてくれたのは、渋谷に詳しい郷土史家の老人だった。
つれていってもらったその店の前には長い行列ができていて、一目で人気のほどがうかがえた。提供されているのは、外国発祥の新種のスイーツだという。話によると、すでに似たようなものを出す店も次々と周囲に現れはじめているらしい。
私はその盛況ぶりを取材したあと、老人に言った。
「この感じですと、ブームは長くつづくかもしれませんね」
それは雑談程度に、何とはなしに放った言葉だった。
しかし、返ってきたのは想定外の返事だった。
「いえ、それだと困るんですよ」
私は思わず口にしていた。
「困る?」
「潮の流れが停滞してしまいますからね」
意味がわからず、私はすっかり困惑した。
そんな私の様子を察してか、老人は笑った。
「なるほど、ご存知でないならお教えしましょう。せっかく渋谷を取材するなら、知っておいて損はないでしょうから」
こうして私は、後日、とある場所を訪れることになった。
その場所とは、渋谷の区役所だった。
老人はさすが顔が知れ渡っているようで、中に入るといろいろな部署の人から挨拶をされていた。すでに私のことは話を通してくれているということで、私も頭を下げつつ職員の行き来する廊下を歩いた。
案内されたのは地下室で、足を踏み入れたとたんに重低音が響いてきた。
そこに広がっていた空間には、巨大な扇風機のような機械がいくつも設置されていた。
光景に圧倒されつつ、フェンスの外から眺めていると老人が言った。
「これはタービンです」
「タービン?」
「ほら、回っているのがわかるでしょう? 発電に使うものなんですよ」
言われてみれば、目の前のそれはいつか何かで見たタービンというやつと同じであるもののようだった。
しかし、だ。
そんなものが、どうしてこんなところにあるのだろうか……。
私は大いに疑問を抱えた。
そして、遅れて当たり前のことに気がついた。
発電用だと言われたものの、この地下空間には風などは一切吹いていない。そして、ほかにタービンを動かしそうなものも、まったく存在していなかった。
どうやって、このタービンは回っているのか……。
「潮汐発電、というのをご存知ですか?」
おもむろに老人が口にした。
知らない用語に、私はおずおずと首を振る。
「潮の満ち引きを利用して発電する方法のことです。いくつか種類はあるんですが、そのひとつが、タービンを海の中に設置して、満ち引きで生じる潮流の力でそれを回すというものでして。ここに設置されているものも、同じ原理で動いているんですよ」
「同じ……?」
「ええ、このタービンを回しているのも潮流の力なんです。ただし、普通のものではありません。これが利用するのは、ブームによって生じる潮流です」
困惑する私に向かって、老人はつづける。
「世の中には流行り廃りというものがありますが、それによって、私たちの周辺には日々、目には見えないブームの潮というのが生まれていましてね。それを羽根でとらえられるようにしたのが、このタービンなんですよ。特にこの渋谷エリアは、昔から流行の発信地として激しい潮が流れる場所として知られてきました。ルーズソックスに、ガングロ。ベルギーワッフルに、フレーバーポップコーン。そのブームの潮の満ち引きがこのタービンで電気に変わって、渋谷の街に灯りをともし、街の貴重な動力源になってきたんです」
にわかには信じがたい話だった。
渋谷の街に、そんな秘密があっただなんて……。
が、重低音をあげて高速で回るタービンを見ながら、私は思う。
昼夜の別なくうごめく群衆。声という声がごちゃ混ぜになって響く喧騒。
あるいは、この妖しげなエネルギーに満ちた渋谷という街ならば、そんなことが起こったとしても不思議ではないかもしれない──。
「では、次の場所にご案内しましょう」
唐突に老人が言った。
「今度は、ブームの潮を生みだしている張本人たちのいるところにおつれしますよ」
ピンと来て、私は言った。
「もしかして、ブームには仕掛け人がいるんですか……?」
「まさしくです」
彼は微笑む。
「偶然性に頼っていては、潮は安定しませんからね。ついてきてください」
私は興味津々であとにつづいた。
たどり着いたのは、ある一室だった。
中を覗くと、若い女性たちが忙しそうに動き回っていた。
「流行創出課のみなさんです。彼女たちがブームをつくりだしているんです」
私は尋ねる。
「具体的には何をされているんですか?」
「あらゆることにアンテナを張って、新しいブームの兆しを探すのが仕事です。大きなものから小さなものまで、毎日何十、いや何百もの次のブームの候補があげられて、どれを選ぶかを議論しながら慎重に、かつ大胆に決めていきます。そうして、見極めたここぞというタイミングでその選んだものに火をつけて、一気に燃えあがらせる。新たなブームの誕生というわけです」
「なるほど……」
私は目の前の人たちを眺めながら呟いた。
流行創出課の女性たちは、慌ただしくも楽しそうに働いていた。
かっこいいなぁ……。
彼女たちは渋谷の電力を担う人たちにふさわしく、私にとっては電気のように光って見えた。
「さて」
不意に老人が口にした。
「ブームの潮を生みだすのに必要な、もうひとつの部署をご紹介しておきましょう」
「えっ?」
予期せぬ言葉に、私は尋ねた。
「えっと、ブームはこの部署から生まれてるんですよね?」
「ええ、その通りです」
「でしたら、ほかに何が……」
「まあまあ、どうぞこちらへ」
「はあ……」
よくわからないまま、私は促されて流行創出課をあとにした。
つれられたのは、すぐ隣の一室だった。
「ここです」
老人に言われ、私は中を覗きこんだ。
その部署には、先ほどの流行創出課と同じくらいの人数がいた。が、打って変わって、部屋は静まりかえっていた。
正直なところ、私は瞬時にこう思った。
なんだか冴えないおじさんばかりだなぁ……。
部屋の中を見渡すも、どの人も同じような印象だった。
私が何も言えないでいると、老人が先に口にした。
「ほら、言ったでしょう? 発電には満ち引きが必要だと。彼らがいてこそ、この発電が成り立っているんですよ」
「この冴えない人たちが……?」
思わず言うと、彼は答えた。
「流行創出課がブームを生みだす、つまりは満ち引きで言う『満ち』を担当する部署だとすると、『引き』を担当するのがこの部署なんです。この方たちがいないと、潮汐発電は成り立ちません。彼らは、すみやかにブームを沈静化させるプロ集団というわけなんです」
老人は言った。
「ここは『時代遅れ課』でしてね」
(了)

田丸雅智(たまる・まさとも)
1987年、愛媛県生まれ。東京大学工学部、同大学院工学系研究科卒。2011年、『物語のルミナリエ』に「桜」が掲載され作家デビュー。12年、樹立社ショートショートコンテストで「海酒」が最優秀賞受賞。「海酒」は、ピース・又吉直樹氏主演により短編映画化され、カンヌ国際映画祭などで上映された。坊っちゃん文学賞などにおいて審査員長を務め、また、全国各地でショートショートの書き方講座を開催するなど、現代ショートショートの旗手として幅広く活動している。書き方講座の内容は、2020年度から使用される小学4年生の国語教科書(教育出版)に採用。17年には400字作品の投稿サイト「ショートショートガーデン」を立ち上げ、さらなる普及に努めている。著書に『海色の壜』『おとぎカンパニー』など多数。メディア出演に情熱大陸、SWITCHインタビュー達人達など多数。
田丸雅智 公式サイト:http://masatomotamaru.com/