【3分で読める小説】意識発電


参加するだけでお金をもらえる怪しげなセミナーがあるらしい。

そんな話を聞いたのは、WEB雑誌の編集部でのことだった。

奇妙なのは、その点だけではない。セミナーに潜入したはずのライターたちが、ことごとく消息を絶っているのだという。

そのセミナーにもぐりこみ、真相を暴いてきてくれないか。

編集部からのそんな依頼に、正直なところ、おれはほとんど興味を持つことができなかった。が、提示された条件がよかったために、打算的に引き受けることにしたのだった。

情報をたどってたどりついた会場は、都内の大きなビルの中にあった。

その広い会場に足を踏み入れると、すでに大勢の人が着席していた。多くが若者で、なんだか一様にやる気のなさそうな顔をしている。

まあ、金に釣られて来るやつらなんて、こんなもんか……。

そんなことを考えながら、おれは空いているところに着席した。

セミナーは、午前と午後に分かれていた。

しばらくすると司会者が開始を告げて、半日がかりのセミナーがはじまった。

午前の部で壇上に上がった人物は、まだ二十代と思しきラフな格好をした男だった。

男は開口一番、こう言った。

「Change the world.」

それと同時に、スクリーンに文字も投影される。

おれは思わず笑ってしまいそうになった。

いきなり、なんて陳腐な言葉なんだ……。

しかし、男は恥ずかしげもなく、会場全体に問いかけた。

「きみたちは、ルールに支配される側か? それとも、ルールを生みだす側か? どちらを選択するかは、もちろん自由だ。が、おれは誰かに支配されるような生き方だけはしたくない。イノベーションで既存のルールをぶち壊す。そして、新たなルールで世界を変える。それがおれの生き方だ」

なんだか既視感のある言葉だったが、男の口調は熱っぽい。

次にスクリーンに現れたのは、ひとりの人物の写真だった。その下には聞いたことのあるスタートアップ企業の名前と、CEOという肩書が書かれていた。

「彼とは、ふだんからよく飲みながら未来について語り合ったりしていてね。最後はいつも、どっちが先に世界を獲るかって話になる。まあ、お互いが譲らないわけなんだが、高め合える仲間がいる幸せを感じるよ」

男はその後も、煽るような熱い口調で人脈の話や、イメージ先行のふわっとした話を繰り広げた。

なんだかなぁ……。

最初のうちこそ、そう思いながら聞いていた。

しかし、男の熱に当てられるうちに、おれは自分の奥底に熱いものが宿りはじめていることに気がついた。根拠のない自信に満ち、大言壮語を吐きつづける男のことが、なんだかうらやましくなってきたのだ。

自分はいつから、この男のような熱量を失ってしまったのだろうか……。

かつては、周囲に心配されるほどの尖ったスタンスで仕事をしていた。中身が伴っていようがいまいが、突き動かされるままに働いていた。

が、今ではすっかり、打算や諦めが中心だ。

おれは自問自答する。

今の自分をかつての自分が見たら、どう思うだろう。なじられ、罵られ、あるいはぶん殴られるかもしれない。

世界を変える、か。

もしかすると、少しくらいはそんな気持ちを取り戻してもいいのかもしれない。

いや、違うな。

中途半端は一番ダメだ。

おれが、筆の力で世界を変えていかないと!

午前の部が終わって昼休みになると、熱い気持ちに突き動かされて、おれはスタッフの一人に「聞きたいことがある」と言って詰め寄った。

「はい、なんでしょう」

おれはいまや、セミナーの秘密を暴いてやるぞという使命感に駆られていた。

この怪しい仕組みの謎も、ライターたちが消息を絶った理由も、絶対に突き止めてやる!

おれは端的に質問した。

「どうして、このセミナーは参加費を払うどころか、お金をもらえるんですか?」

「なるほど、そのことですか。お教えしましょう」

スタッフは、あっさりと口にした。

「こちらへどうぞ」

促され、おれはスタッフのあとにつづいて廊下に出た。

廊下は熱気であふれていた。

先ほどまではやる気がなさそうだった若者たちは、いまや世界を変えるにはどうしたらいいかと情熱的に議論をしていたり、座り込んで食い入るようにパソコンを見つめ、猛烈にキーボードを叩いたりしていた。

そんな間を通って案内されたのは、会場の隣に位置した一室だった。

中に入って、おれは首を傾げた。

巨大な水車のようなものがあったからだ。

「これを回して、我々は電気を作っているんですよ」

スタッフは言う。

「水力発電と、ほとんど同じ仕組みですね。ただ、使うのは水ではなくて、意識ですが」

「意識……?」

「ええ、この水車ならぬ『意識車』を使えば、意識の流れをとらえて発電することができるんですよ。個人個人の意識というのは、普通はまとまりなくバラバラに外に流れだしているものなんですが、我々はそれらをコントロールしてひとつの場所に貯めて、一気に放出することで大きな流れを得ているんです。その場所というのが隣のセミナー会場で、我々は『意識ダム』と呼んでいます」

おれは尋ねる。

「その、意識を貯めるというのは……」

「集まった方々の意識が、総じて高まっている状態のことです。午前中のセミナーで、あなたも意識が高まったでしょう? あとは午後の部で、みなさんの高まった意識を低きに流して放出すれば、意識車がくるくる回って電気を生みだせるという具合です。だからなんです、セミナー参加者のみなさんに謝礼を出させていただいているのは。我々はそうして発電した電気を売って利益を得ていますので、一部をみなさんに還元しているだけなんです。ちなみに、意識発電は元手がかかりませんし、ここに来るようなたぐいの人たちを感化するのも簡単なので、効率はとてもいいですよ」

途中から、おれは義憤に駆られていた。

人の意識をコントロールする?

なんて傲慢なやつらなんだ!

それに、と、おれは思う。

感化するのが簡単だ? ふざけるな!

しばらくのあいだ、沈黙が流れた。

やがて、おれは口を開いた。

「……仕組みはよくわかりました。午後の部も、ぜひ楽しませていただきますよ」

嫌味をこめてそう言うと、おれはセミナー会場へと踵を返した。

心の中では、こう決意していた。

何が意識発電だ。

この悪行を、最後まで見届けてやる。

そして、必ず記事にして世間にすべてを暴露してやる!

午後のセミナーがはじまった。

登壇したのは、Tシャツに短パン、サンダル姿の男だった。

よし、一言たりとも聞き逃さないぞ──。

そう思っていると、男は開口一番、こんなことを口にした。

「みなさん、なにギラギラしてんっすかぁー」

だるそうな口調で、男はつづけた。

「なんか世界を変えてやるって感じのオーラが出てますけど、そういうの、さぶいっすよ。それに、世界なんてそう簡単に変わるわけないじゃないっすかぁー」

おれは猛烈な反発心を覚えていた。

なんだ、このふざけたやつは。なんでこんなやつが登壇してるんだ?

周囲の人たちも同じ気持ちを抱いたようで、わざとらしいため息や舌打ちが聞こえてくる。

男は構わず口にする。

「仕事の本質は、いかに働かずして金をもらうか。これに尽きますよねー。バレないように、どんだけ手を抜けるかってことっすね。がんばったところで結局は何も変わらないし、どうせ意味なんてないんすから、がんばるだけ損っすよ、損」

男は、なおも語りつづけた。

いわく、今が楽しければそれでいい。明日のことなんてわからない。サボれるうちに、サボれるだけサボっておくべき……。

おれのイライラはますます募り──はしなかった。

男の話を聞くうちに、それも一理あるかもしれないなと思うようになってきたのだ。

男の言う通り、世界なんてたやすく変わるものではないし、そんな大それたことが自分なんかにできるはずがない。

それなのに、世界を変えてやろうだなんて、いったい何を考えていたんだろう……。

一度考えはじめると、おれはいろんなことがどうでもよくなってくる。

この仕組みを暴露する? そんなことに、なぜ熱くなっていたのか。というか、そもそもおれは、この仕事に対して最初から思い入れなどなかったはずだ。

なんだか、全部がめんどくさくなってきた。

っていうか、働きたくねー。

おれはテーブルにひじをつき、ぼんやり思う。

もう、仕事も辞めちゃおっかな。実家に帰って、親のすねをかじって生きてこうかな。

うん、それがいい。

そうしよう──。

おれは思う。

きっと、いなくなったライターたちも同じ真理にたどりついたのだろうなぁ、と。

まあ、そんなどうでもいいことよりも。

いまはただただ、ビールが飲みたい。

そのとき、隣室のほうから、うっすらと重低音が聞こえてきた。 それは何かが勢いよく回っているような音だった。

ショートショート作家 田丸雅智氏

田丸雅智(たまる・まさとも)
1987年、愛媛県生まれ。東京大学工学部、同大学院工学系研究科卒。2011年、『物語のルミナリエ』に「桜」が掲載され作家デビュー。12年、樹立社ショートショートコンテストで「海酒」が最優秀賞受賞。「海酒」は、ピース・又吉直樹氏主演により短編映画化され、カンヌ国際映画祭などで上映された。坊っちゃん文学賞などにおいて審査員長を務め、また、全国各地でショートショートの書き方講座を開催するなど、現代ショートショートの旗手として幅広く活動している。書き方講座の内容は、2020年度から使用される小学4年生の国語教科書(教育出版)に採用。17年には400字作品の投稿サイト「ショートショートガーデン」を立ち上げ、さらなる普及に努めている。著書に『海色の壜』『おとぎカンパニー』など多数。メディア出演に情熱大陸、SWITCHインタビュー達人達など多数。
田丸雅智 公式サイト:http://masatomotamaru.com/

【3分で読める小説】ネガ発電


人の感情はエネルギーを内在している。

感情エネルギーである。

それを集めて、うまく利用できないものか。

そんな考えのもと秘密裏に進められていた研究が、ついに結実するときがきた。

ネガティブ感情発電、通称、ネガ発電というものだ。

言うまでもなく、そもそも感情にはさまざまな種類が存在している。希望にあふれたもの、喜びに満ちたもの、思わず泣いてしまうもの。

そんな中でも、とりわけ高エネルギーであったのが、ネガティブな感情の持つそれだった。

恨み、妬み、憎しみ。

怒り、嫌悪、不満。

研究の結果、同じネガ感情の中でも、そういった悪意のあるものほど高いエネルギーを保有していることが明らかになった。そして、そんなネガな感情を活用して発電する技術、それがネガ発電というわけだった。

しかし、資源となりうる肝心の悪意は、果たして効率的に手に入るだろうか──。

当初、研究者たちは懸念した。

が、それはまったくの杞憂であった。

悪意は現代において、そこかしこに蔓延しているものだったからだ。

特に有り余るほどに悪意に満ちていた場所は、SNSの世界だった。

──またどこぞのご身分の高い方が、ご発言なさったらしいけどさー

──たまたまタイムラインに流れてきた例のアニメの件、ツッコミどころが満載なんだが

──こいつら低能すぎるだろwww

苦言、警鐘、議論、批判。

言葉が媒介となり、SNSの世界には膨大なエネルギーが流れこんでいた。

それらの中には悪意が先行していない、低エネルギーのまっとうなものも当然あった。が、いずれにしても反応が連鎖していくうちに悪いほうへと転がっていき、最終的には悪意を増幅させる結果となっていた。

このエネルギーの宝庫に目をつけた研究者たちは、さらに研究を進めていき、ついにSNSからエネルギーを取りだす方法を確立した。

それをもとに国主導で建設されたのが、ネガ発電所である。

その建設計画が持ち上がった当初、予定地近隣の住民たちは猛反対した。

自分たちは騙されないぞ。ネガ感情という表現で濁していても、つまるところは悪意の塊のことである。もし、その悪意そのものが漏れ出したらどうするのか。

それに対して、国はこう説明した。

リスクはほとんどゼロに近い。漏れ出すことなどあり得ない。安心・安全の技術をつぎこむ所存だ。

それでもなお住民は反対したが、最後は国が給付金を出すという条件で押し通し、ネガ発電所はついに建設されるに至った。

その発電所では、事前の目論見通り電気がどんどん生みだされた。

いや、実際は目論見以上の成果をあげた。

SNSには当初の試算よりも加速度的に悪意ある言葉が増えており、得られるエネルギーもうなぎのぼりになっていたのだ。

そこから生まれた電力は、国に多大なる活力を与えてくれた。

有り余る電力はふんだんに使われ、日本中はギラギラと輝いて不夜城と化した。

国は大いに気をよくした。

資源採集の手間がかからず、発電コストが格段に安い。もとより人間の感情を利用しているので、温室効果ガスの排出の心配もない。資源は放っておいてもどんどん増えていく一方なので、埋蔵量を気にする必要もない。

悪意とは、なんと素晴らしい資源だろうか。

国は早々にネガ発電所を増やすことを決め、全国各地で建設ラッシュがはじまった。

発電所がいくら建設されようとも、悪意という資源の増加はとどまるところを知らなかった。

有名人への誹謗中傷。病気の対策法についてのデマ。マウントの取り合い。

その中には、ネガ発電そのものに対する見解もあった。

──発電所の近くで採れた野菜を食べたら、性格が悪くなるって研究結果が出たらしいよー

無論、そんなデータなどはありやしないが、投稿はどんどん拡散されていき、周囲の論調もエスカレートする。

そんなものは、ひどいデマだ。

そう指摘した投稿には、こんなコメントが返ってくる。

──おまえ、どうせネガ地区の住民だろ?

──給付金で食ってるやつらが何言ってもなwww

噂では、国の関係者が人を雇い、悪意を増やすためにSNSでわざと煽っているのではないかともささやかれた。が、真相のほどは定かではない。

そうこうするあいだにも、いつしか日本はエネルギー大国となるに至っていた。

海外からの視察団も殺到し、世界中にネガ発電所が建てられはじめる。

ところがあるとき、東京近郊の発電所で予期せぬことが起こってしまう。

膨れあがった悪意が施設の処理限界を超え、大爆発を起こしたのだ。

建屋から真っ黒なものがもうもうと立ちのぼる中、国のトップはこう説明した。

今まさに、大量のネガ感情が漏出しており、東京全体を急速に汚染している。都民はすぐに避難してくれ──。

人々は戦慄すると同時に憤慨した。

リスクがゼロだと言ったのは誰だったか。あれは全部ウソだったのか。

国も国で反論する。

誰もゼロだとは言ってない。ほとんどゼロということは、例外があることを意味している。

突然のことで多くの都民が逃げ遅れ、漏出した悪意に“被悪”した。

どんな健康被害が出るのだろうか……。

国全体が戦々恐々とする中で、やがてもたらされた報告は意外なものだった。

健康への悪影響は一切ない。むしろ、“被悪者”たちの健康状態は極めて良好であると言わざるを得ない──。

その要因は、被悪者たちに起きた変化にあった。彼らは日常的に悪意を周囲に振りまくようになっており、それがストレス発散につながっているようだったのだ。当然ながら、彼らの周囲では罵詈雑言の浴びせ合いになるような事態が頻発していた。が、彼らは互いに相手の言葉など聞いておらず、自身の悪意を存分に周囲に垂れ流していた。

そんな彼らの嬉々とした表情は、世に多大なるショックを与えた。

が、うらやましいと思う者たちも少なくなかった。

自分たちは人目を気にして、こそこそとSNSをはけ口にしている。にもかかわらず、あいつらは堂々と好き勝手なことを言いつづけ、とがめられても気にもしてない。

ずるい。こんなのは不平等だ。

ネガ発電所の爆破テロが行われたのは、ほどなくしてだ。

テロリストたちは、こんな声明を発表した。

悪意は人に幸福をもたらす。国はその事実をひた隠しにし、一部の限られた人間だけが悪意の恩恵を享受している。そんなことは許されない。悪意は世界に解放されなければならない。

それを機に、ネガ発電所は次々にテロの標的となった。

悪意はどんどん漏れ出して、汚染は各地で進行していく。

人々は、テロリストたちをあらゆる言葉で罵った。しかし、そういった人々の大半はすでに被悪しており、批難の声をあげながらも恍惚の表情を浮かべている。

同様のテロは世界中で巻き起こり、ネットに加えて現実世界も悪意であふれかえるようになる。そして、悪意はさらなる悪意を呼び、地上は禍々しい黒いもやで覆われはじめる。

が、その満ちあふれるエネルギーを利用しない手など、あろうはずもない。

国は、新たなネガ発電所の建設をどんどん行い、電力はどんどん生みだされた。

こうして人類は、有史以来の無尽蔵のエネルギーを手中に収めることと相成った。

世界中で過剰なほどに生み出される電力は、昼夜の別なく目がくらむほどの景色をもたらした。街という街は光り輝き、サングラスをせねば直視できないほどであった。

そんな中、地上を遥か上空からとらえた衛星写真が撮影されて、世に出回ることとなる。

それはさぞ、煌びやかなものなのだろう──。

そう考えるのは早計だ。

写っていたのは、そんなものとは程遠い光景だった。

写真を見た人々は、おもしろおかしくあげつらう。

──撮影者が悪いんじゃね?

──この人工衛星の開発者、出自がマスコミっぽいですよ。

──ふざけたCG、お疲れさまっすwww

真偽のほどは、人々にとってはどうでもいい。

自己が満たされれば、それでいいのだ。

その一枚の写真からは、電力のもたらす明かりは微塵も感じられなかった。

そこに写っていたのは、何かに染まったどす黒い天体だった。

(了)

ショートショート作家 田丸雅智氏

田丸雅智(たまる・まさとも)
1987年、愛媛県生まれ。東京大学工学部、同大学院工学系研究科卒。2011年、『物語のルミナリエ』に「桜」が掲載され作家デビュー。12年、樹立社ショートショートコンテストで「海酒」が最優秀賞受賞。「海酒」は、ピース・又吉直樹氏主演により短編映画化され、カンヌ国際映画祭などで上映された。坊っちゃん文学賞などにおいて審査員長を務め、また、全国各地でショートショートの書き方講座を開催するなど、現代ショートショートの旗手として幅広く活動している。書き方講座の内容は、2020年度から使用される小学4年生の国語教科書(教育出版)に採用。17年には400字作品の投稿サイト「ショートショートガーデン」を立ち上げ、さらなる普及に努めている。著書に『海色の壜』『おとぎカンパニー』など多数。メディア出演に情熱大陸、SWITCHインタビュー達人達など多数。
田丸雅智 公式サイト:http://masatomotamaru.com/

【3分で読める小説】渋谷の潮流


いま、女子高生に大人気の店がある。

そんな話を耳にしたのは、街特集のために渋谷の取材をしていたときのことだ。

教えてくれたのは、渋谷に詳しい郷土史家の老人だった。

つれていってもらったその店の前には長い行列ができていて、一目で人気のほどがうかがえた。提供されているのは、外国発祥の新種のスイーツだという。話によると、すでに似たようなものを出す店も次々と周囲に現れはじめているらしい。

私はその盛況ぶりを取材したあと、老人に言った。

「この感じですと、ブームは長くつづくかもしれませんね」

それは雑談程度に、何とはなしに放った言葉だった。

しかし、返ってきたのは想定外の返事だった。

「いえ、それだと困るんですよ」

私は思わず口にしていた。

「困る?」

「潮の流れが停滞してしまいますからね」

意味がわからず、私はすっかり困惑した。

そんな私の様子を察してか、老人は笑った。

「なるほど、ご存知でないならお教えしましょう。せっかく渋谷を取材するなら、知っておいて損はないでしょうから」

こうして私は、後日、とある場所を訪れることになった。

その場所とは、渋谷の区役所だった。

老人はさすが顔が知れ渡っているようで、中に入るといろいろな部署の人から挨拶をされていた。すでに私のことは話を通してくれているということで、私も頭を下げつつ職員の行き来する廊下を歩いた。

案内されたのは地下室で、足を踏み入れたとたんに重低音が響いてきた。

そこに広がっていた空間には、巨大な扇風機のような機械がいくつも設置されていた。

光景に圧倒されつつ、フェンスの外から眺めていると老人が言った。

「これはタービンです」

「タービン?」

「ほら、回っているのがわかるでしょう? 発電に使うものなんですよ」

言われてみれば、目の前のそれはいつか何かで見たタービンというやつと同じであるもののようだった。

しかし、だ。

そんなものが、どうしてこんなところにあるのだろうか……。

私は大いに疑問を抱えた。

そして、遅れて当たり前のことに気がついた。

発電用だと言われたものの、この地下空間には風などは一切吹いていない。そして、ほかにタービンを動かしそうなものも、まったく存在していなかった。

どうやって、このタービンは回っているのか……。

「潮汐発電、というのをご存知ですか?」

おもむろに老人が口にした。

知らない用語に、私はおずおずと首を振る。

「潮の満ち引きを利用して発電する方法のことです。いくつか種類はあるんですが、そのひとつが、タービンを海の中に設置して、満ち引きで生じる潮流の力でそれを回すというものでして。ここに設置されているものも、同じ原理で動いているんですよ」

「同じ……?」

「ええ、このタービンを回しているのも潮流の力なんです。ただし、普通のものではありません。これが利用するのは、ブームによって生じる潮流です」

困惑する私に向かって、老人はつづける。

「世の中には流行り廃りというものがありますが、それによって、私たちの周辺には日々、目には見えないブームの潮というのが生まれていましてね。それを羽根でとらえられるようにしたのが、このタービンなんですよ。特にこの渋谷エリアは、昔から流行の発信地として激しい潮が流れる場所として知られてきました。ルーズソックスに、ガングロ。ベルギーワッフルに、フレーバーポップコーン。そのブームの潮の満ち引きがこのタービンで電気に変わって、渋谷の街に灯りをともし、街の貴重な動力源になってきたんです」

にわかには信じがたい話だった。

渋谷の街に、そんな秘密があっただなんて……。

が、重低音をあげて高速で回るタービンを見ながら、私は思う。

昼夜の別なくうごめく群衆。声という声がごちゃ混ぜになって響く喧騒。

あるいは、この妖しげなエネルギーに満ちた渋谷という街ならば、そんなことが起こったとしても不思議ではないかもしれない──。

「では、次の場所にご案内しましょう」

唐突に老人が言った。

「今度は、ブームの潮を生みだしている張本人たちのいるところにおつれしますよ」

ピンと来て、私は言った。

「もしかして、ブームには仕掛け人がいるんですか……?」

「まさしくです」

彼は微笑む。

「偶然性に頼っていては、潮は安定しませんからね。ついてきてください」

私は興味津々であとにつづいた。

たどり着いたのは、ある一室だった。

中を覗くと、若い女性たちが忙しそうに動き回っていた。

「流行創出課のみなさんです。彼女たちがブームをつくりだしているんです」

私は尋ねる。

「具体的には何をされているんですか?」

「あらゆることにアンテナを張って、新しいブームの兆しを探すのが仕事です。大きなものから小さなものまで、毎日何十、いや何百もの次のブームの候補があげられて、どれを選ぶかを議論しながら慎重に、かつ大胆に決めていきます。そうして、見極めたここぞというタイミングでその選んだものに火をつけて、一気に燃えあがらせる。新たなブームの誕生というわけです」

「なるほど……」

私は目の前の人たちを眺めながら呟いた。

流行創出課の女性たちは、慌ただしくも楽しそうに働いていた。

かっこいいなぁ……。

彼女たちは渋谷の電力を担う人たちにふさわしく、私にとっては電気のように光って見えた。

「さて」

不意に老人が口にした。

「ブームの潮を生みだすのに必要な、もうひとつの部署をご紹介しておきましょう」

「えっ?」

予期せぬ言葉に、私は尋ねた。

「えっと、ブームはこの部署から生まれてるんですよね?」

「ええ、その通りです」

「でしたら、ほかに何が……」

「まあまあ、どうぞこちらへ」

「はあ……」

よくわからないまま、私は促されて流行創出課をあとにした。

つれられたのは、すぐ隣の一室だった。

「ここです」

老人に言われ、私は中を覗きこんだ。

その部署には、先ほどの流行創出課と同じくらいの人数がいた。が、打って変わって、部屋は静まりかえっていた。

正直なところ、私は瞬時にこう思った。

なんだか冴えないおじさんばかりだなぁ……。

部屋の中を見渡すも、どの人も同じような印象だった。

私が何も言えないでいると、老人が先に口にした。

「ほら、言ったでしょう? 発電には満ち引きが必要だと。彼らがいてこそ、この発電が成り立っているんですよ」

「この冴えない人たちが……?」

思わず言うと、彼は答えた。

「流行創出課がブームを生みだす、つまりは満ち引きで言う『満ち』を担当する部署だとすると、『引き』を担当するのがこの部署なんです。この方たちがいないと、潮汐発電は成り立ちません。彼らは、すみやかにブームを沈静化させるプロ集団というわけなんです」

老人は言った。

「ここは『時代遅れ課』でしてね」

(了)

ショートショート作家 田丸雅智氏

田丸雅智(たまる・まさとも)
1987年、愛媛県生まれ。東京大学工学部、同大学院工学系研究科卒。2011年、『物語のルミナリエ』に「桜」が掲載され作家デビュー。12年、樹立社ショートショートコンテストで「海酒」が最優秀賞受賞。「海酒」は、ピース・又吉直樹氏主演により短編映画化され、カンヌ国際映画祭などで上映された。坊っちゃん文学賞などにおいて審査員長を務め、また、全国各地でショートショートの書き方講座を開催するなど、現代ショートショートの旗手として幅広く活動している。書き方講座の内容は、2020年度から使用される小学4年生の国語教科書(教育出版)に採用。17年には400字作品の投稿サイト「ショートショートガーデン」を立ち上げ、さらなる普及に努めている。著書に『海色の壜』『おとぎカンパニー』など多数。メディア出演に情熱大陸、SWITCHインタビュー達人達など多数。
田丸雅智 公式サイト:http://masatomotamaru.com/

【3分で読める小説】取調室の資源


どことなく緊張感が漂う廊下を進んでいって、私はある部屋へと案内された。

「こちらです」

椅子に座ると、目の前のカーテンが開かれる。そこは窓になっていて、対面している二人の男性が目に入る。

小さな声で、職員が言う。

「扉側にいるのが捜査官で、反対側にいるのが、ある事件の容疑者です」

その窓──マジックミラー越しに見えているのは取調室だ。捜査官は何かを話しているようだったが、こちらに声は聞こえてこない。容疑者の男はうつむいて、口を閉ざしているようだった。

──まずは実際に、現場を見ていただけないか。

職員からは、そんなふうに頼まれていた。

が、ここに至っても、私はまだ事前に聞いた話を信じることができなかった。

猜疑心を抱いたまま、目の前の光景をひたすら眺める時間がつづく。

それに変化があったのは、座っていることに疲れを感じはじめた頃だった。ずっと下を向いていた容疑者の男が、顔をあげて何かを話しはじめたのだ。

その次の瞬間だった。

男が突然、うっ、と、えずくような仕草を見せた。

気分が悪くなったのか──。

そう思った直後のこと、驚くべきことが起こった。男の口から黒い何かがあふれだし、机にべちゃっと落ちたのだ。

が、目を見開いたのは私だけで、容疑者の男は構わず話をつづけた。その合間にも黒いものはごぼりごぼりと出つづけて、床はどんどん埋もれていく。あっという間に、数十センチほどの高さになる。

呆然と眺めていると、そのうち男の口から噴出するそれの量が減りはじめた。そして、何も出なくなったころには取り調べも終わったようで、二人は部屋を出ていった。

言葉を失ったままの私に、職員が言った。

「これがお伝えしていた泥なんです」

「こんなことが……」

職員からは、事前にこう聞かされていた。

罪を告白することを、泥を吐く、などと言う。その表現はたとえなどではなく、実際に現場で日々起こっていることなのだ、と。

容疑者が罪を認めて話しだすと、口から泥が出はじめる。そして、告白を終えるころには、取調室は泥でいっぱいになってしまうというのである。

実際に目の当たりにするまでは、何の冗談だろうと思っていた。が、その冗談のようなことが、いま眼前で起こってしまったのだった。

職員は言った。

「この泥には、本当に困っていまして……」

泥を指しつつ、彼はつづける。

「掃除をするのも大変ですが、何より困るのが廃棄なんです。何しろ罪に染まった汚泥なので、ふつうの泥のようにそのまま捨てて悪意が伝染したりしたら大変です。なので、いまは何重もの浄化処理を行ったうえで廃棄をしているんですが、かなりの費用がかかっていまして……それに、残念ながら罪を犯す者たちも後を絶たず、全国の取調室で日々吐かれる泥は膨大な量にのぼります。どうにかできないものかと、我々はずっと悩んでいたんです」

私は、なるほど、とうなずいた。

「それで私に連絡を……」

「ええ、先生のお力で、何とかならないものでしょうか」

私はしばし考える。

私の研究──それは下水の汚泥を資源に変えるというものだ。

そのプロセスでは、メタン発酵菌を使う。汚泥に含まれる有機物を菌によって発酵させて、メタンを生成させるというわけだ。

そうして生まれたメタンは、ガスとしてそのまま使ったり、燃焼させて発電に利用したりする。バイオガスとも呼ばれるその種のガスは、原料の枯渇の心配がないために再生可能な資源に位置づけられる。

「分かりました」

私は答えた。

「まずは、この泥の成分を調べてからでないと何とも言えませんが、それでもよろしいですか?」

心の中には、なんとかしたい、という気持ちが芽生えていた。

むろん、そもそも泥の原因となっている、罪を犯す人自体を減らす努力は必要だ。しかし、それと同時に、すでに出ている泥のことで困っている人がいる以上、自分も力の限り協力したい──。

私の言葉に、職員は顔を明るくさせた。

「ありがとうございます!」

私は職員から泥のサンプルを譲り受け、研究室へと持ち帰った。

職員を研究室に招いたのは、しばらくたってからのことだった。

「それで、どうでしたでしょうか?」

前のめりの職員を落ち着かせると、私は言った。

「結論から申しますと、非常にいい結果が得られました」

私はデータを提示する。

「人体から出てきたものだからでしょうか、あの泥の成分は有機物で構成されていて、メタン発酵に理想的なバランスだと分かりました。こんな具合です」

私は近くの実験器具を指し示す。

中には黒い泥が入っていて、ぼこぼこと泡が立っている。

「メタンが生成している証です。火をつけてみましょうか」

私はガスバーナーの元栓を開け、貯めたメタンガスを放出させた。マッチの火を近づけると、炎がボッと立ち上がる。

「この通り、ふつうのガスと何ら遜色はありません」

「あの厄介者から、本当に資源が得られるだなんて!」

感動している様子の職員に、私は話す。

「発酵が終わったあとの残渣はセメントなどにして処理したり、排水も浄化したりする必要はあります。が、メタンが得られて活用できるようになる分、従来の処理方法よりは環境にずいぶん優しくなるのではと考えています」

「いやあ。本当にありがたいですよ……」

職員はしみじみ、口にした。

ただ、と、私はこう付け加えた。

「このメタンによる火には、変わった特性もあるようでして。それをお伝えしておかねばなりません」

「えっ?」

「普通のメタンとは違う特性があるようなんです。お見せしましょう」

私はそばに用意していた線香を手に取った。それを炎に近づけると、先端にポッと火がともる。線香を持つ手を大きく振る。息も強く吹きかける。

しかし、火は依然として変わらず揺らめいたままだった。

「この通り、ちょっとやそっとではこの火は消えないんです。火事になったら厄介なので、取り扱いには注意しなければならないかもしれません」

職員は、目を丸くする。

「でも、どうしてこんな特性が……」

「原理の解明はこれからですし、非科学的な話ですが」

私は答える。

「もしかするとメタンや泥の由来に理由があるのかもしれません。ほら、もとをたどれば、この火は罪から生まれたものでしょう?」

複雑な気持ちになりながらも、私は言う。

「残念ながらというべきか──罪というのは、なかなか消えづらいもののようです」

(了)

ショートショート作家 田丸雅智氏

田丸雅智(たまる・まさとも)
1987年、愛媛県生まれ。東京大学工学部、同大学院工学系研究科卒。2011年、『物語のルミナリエ』に「桜」が掲載され作家デビュー。12年、樹立社ショートショートコンテストで「海酒」が最優秀賞受賞。「海酒」は、ピース・又吉直樹氏主演により短編映画化され、カンヌ国際映画祭などで上映された。坊っちゃん文学賞などにおいて審査員長を務め、また、全国各地でショートショートの書き方講座を開催するなど、現代ショートショートの旗手として幅広く活動している。書き方講座の内容は、2020年度から使用される小学4年生の国語教科書(教育出版)に採用。17年には400字作品の投稿サイト「ショートショートガーデン」を立ち上げ、さらなる普及に努めている。著書に『海色の壜』『おとぎカンパニー』など多数。メディア出演に情熱大陸、SWITCHインタビュー達人達など多数。
田丸雅智 公式サイト:http://masatomotamaru.com/

【3分で読める小説】農家の魚


おもしろいものを作っている農家があるらしい。

そんな噂を聞きつけて、おれは取材をするべく、ある港町を訪れた。

仕入れた住所をもとに一軒の家のチャイムを鳴らすと、中から男性が現れた。事情を話すと、ああ、とその人は頷いた。

「それは私のことですね。長年、まさにそんな研究をしていまして」

「じゃあ、噂は本当なんですね?」

「ええ、よかったら、実物を見ていかれますか? ちょうどこれから、山に入るところだったので」

その言葉に甘え、おれは男性のあとについて行くことにした。

傾斜のきつい坂をのぼっていくと、やがて男性は立ち止まった。

振り向くと、光のきらめきが飛びこんでくる。

穏やかな波が、こきざみに揺れている。その上を、小さな船が突き進む。

海だ──。

「このあたり一帯が、うちの山でして」

視線を戻すと、斜面に植わった木々の緑が映りこんだ。そのあいまからは、鮮やかなオレンジ色──ミカンが顔をのぞかせている。

男性はミカン農家で、その研究もミカンに関するものだという。

「こちらです」

木々の中へと分け入って、しばらく歩くと男性が言った。

「これが、その木です」

目にしたとたん、おれの胸は高鳴った。

噂にたがわぬものが、そこにはあったからだった。

目の前の木の緑からのぞいていたのは、オレンジ色のものではなかった。形はミカンそのものなのだが、色がまったく違っていた。

その丸いものの下半分は銀色だった。そして、真ん中あたりに黄色がかった帯があり、そこから上は青く光り輝いていた。

まるで、魚のブリのような色合いだった。

「ここにみのっているのが、その……」

「ええ、私の開発したブリミカンです」

おれは事前に聞いていた話を思いだす。

世間には、魚にミカンやユズなどを混ぜたエサを食べさせて育てる養殖方法がある。そうすることで、魚の生臭さを軽減させて、さらには柑橘の香りを持たせられるのだ。それらはフルーツ魚などと呼ばれているが、そのひとつに、ミカンを食べさせて育てたブリ──ミカンブリというのがいる。

しかし、いま男性が口にしたのは、その「ミカンブリ」ではなく「ブリミカン」という言葉だった。彼はその名の通り、ミカンブリとは反対の、ブリのようなミカンであるブリミカンを開発したというのである。

「ですが、こんなものをどうやって……」

思わずこぼすと、男性は言った。

「詳しいことは企業秘密ですが、遺伝子改良というやつです。大雑把に言ってしまうと、ミカンにブリの遺伝子を埋めこんだというわけですね」

「たしかに皮の色はブリみたいですけど……中はどうなっているんですか?」

「お見せしましょう」

男性は、ブリミカンに近づいてひとつをつかむと、ぐいっとひねって木からもいだ。

その瞬間、男性の手の中で、ブリミカンがぶるぶると震えはじめた。

「おっとっと、もぎたては活きがいいんですよ」

おれはそれを受け取った。まるで生きている魚のように、ぶるぶると小刻みに震えている。

しばらくすると、その震えは収まっていき、やがてまったく動かなくなった。

「さ、皮をむいてみてください」

そのメタリックに光る皮をむいてみると、中からは赤みを帯びた果実が出てきた。それを半分に割ってみる。血合いのように赤かった外側に対して、中のほうは白っぽかった。

「本物のブリの刺身みたいですね……」

脂だろうか、表面はてらてらと虹色に輝いている。

男性は言う。

「そうなんです。ここまでブリの身を再現するのに苦労しました。よかったら、ぜひ召し上がってみてください」

男性は醤油を取りだし、おれのむいたブリミカンの一房にかけてくれた。

口に運んで、おれは叫んだ。

「うまいっ!」

それは、素人判断では本物のブリとなんら遜色のない味だった。脂がよく乗っていて、舌の上でとろけるようだ。加えて、ミカンの香りが爽やかさを添えている。

おれは、もう一房、二房と食べながら、男性に尋ねた。

「どうして、こんなミカンを開発しようと思われたんですか?」

「この町には漁師さんがたくさんいるんですが、彼らが嘆く魚離れというやつに一矢報いてやろうと思ったんです。魚はさばくのが面倒だという人も、このブリミカンなら皮をむくだけで刺身が食べられますからね」

それから、と、男性はつづける。

「海洋資源の枯渇問題にも一石を投じられないかと思いまして。種類にもよりますが、魚の漁獲高は年々減ってきていますから。そこに、養殖とは違うアプローチをしてみようと考えたわけです。その手はじめにブリを選んだのは、DHAなどの栄養が豊富で世間に受け入れられやすいだろうと思ったからです。それに、ブリは出世魚なので、縁起をかつぎたい人にも受けがいいのではという期待もありました」

魚離れを食い止めて、資源を守ることにもつながりうる。なんて素晴らしい取り組みだろうと、おれはすっかり興奮した。

「いやあ、早く量産化していただきたいですよ!」

おれの頭に、コタツに置かれたメタリックカラーの画が浮かぶ。

と、男性は、いえ、と言って苦笑した。

「そうしたいのは山々なんですが、まだまだ課題がありまして……」

「そうなんですか?」

「ブリミカンはいちど木からもいでしまうと、すぐに傷んでいってしまうので、鮮度を保ったまま輸送する手段を考えなければならないんです。それから、もうひとつ、じつはこちらのほうが大きな課題なんですが……」

男性は表情をくもらせる。

「せっかく実がみのっても、今のままだと、すぐに横取りされてしまうんですよ」

 おれは目の前の木を見て、なるほど、と事情を察した。

「鳥ですか……」

ブリミカンの木には、全体を覆うようにネットがかけられていた。それは、防鳥ネットに違いなかった。

鳥に実をついばまれる──そんな被害が、ミカン農家にはあるのだという。ふつうのミカンでもそうなのに、これは極上のブリのようなミカンなのだ。鳥が好むのも無理はないなと思わされた。

しかし、男性は頷きつつも、こう言った。

「それもあるんですが、このブリミカンを好むのは鳥だけではないんです。本来は柑橘が苦手なはずの生き物も寄ってきまして……」

そのとき、近くの茂みがガサッという音を立てた。

おれはそちらに視線をやって、思わず固まる。

「港町ですから、もともと多くて……このネットも爪で破って、ミカンをくわえて逃げていくんです。何かいい対策がないものかと悩んでいて……」

草陰では、無数の目が光っていた。

次の瞬間、それらがいっせいに「ニャァ」と鳴いた。

(了)

ショートショート作家 田丸雅智氏

田丸雅智(たまる・まさとも)
1987年、愛媛県生まれ。東京大学工学部、同大学院工学系研究科卒。2011年、『物語のルミナリエ』に「桜」が掲載され作家デビュー。12年、樹立社ショートショートコンテストで「海酒」が最優秀賞受賞。「海酒」は、ピース・又吉直樹氏主演により短編映画化され、カンヌ国際映画祭などで上映された。坊っちゃん文学賞などにおいて審査員長を務め、また、全国各地でショートショートの書き方講座を開催するなど、現代ショートショートの旗手として幅広く活動している。書き方講座の内容は、2020年度から使用される小学4年生の国語教科書(教育出版)に採用。17年には400字作品の投稿サイト「ショートショートガーデン」を立ち上げ、さらなる普及に努めている。著書に『海色の壜』『おとぎカンパニー』など多数。メディア出演に情熱大陸、SWITCHインタビュー達人達など多数。
田丸雅智 公式サイト:http://masatomotamaru.com/