【コラム/12月5日】「融資保証見直しを考える~蒸し返しに首を傾げる」
飯倉 穣/エコノミスト
1,山手線電車内ビジョン広告が目に止まった。「この決算書じゃ、どうせ断られるでしょ! いいえ T銀行なら、決算書だけでなく不動産担保力も重視」と謳う。マイナス金利且つ金余りの中、融資先探しに翻弄される銀行員を想像した。
「物価高克服・経済再生実現のための総合経済対策」(22年10月28日)は、対策の一つに「経済成長を担うスタートアップ起業加速で経営者リスク軽減のため個人保証を不要とする制度の見直しや中小企業対策でも個人保証に依存しない融資慣行の確立」を目指す。
報道は伝える。「「経営者保証」制限 起業促す 金融機関に説明義務、来年から 中小向け融資見直し 金融庁11年ぶり」(日経11月2日)
金融市場における慣行・制度変更の試みは、どれほど起業促進となり、中小企業の経営に活性化をもたらすだろうか。方向感覚微妙な融資保証見直しを考える。
2,いつの世も銀行が顧客を求める一方で、信用供与(融資)の厳しさを味わう人がいる。事業計画にやや説得性なく起業したくても資力がないか、収支不全、債務過多、資力欠如等信用力のない法人・個人である。一定条件に適う保証は、融資を得る身近な方法である。債務者の失敗で返済困難となれば、保証人は様々な債権者の要求で修羅場に直面し、悲劇も産まれる。このためいつの時代も保証人は債務保証の慣行を問題視し、その非合理性を訴え、廃止を求めたい。
3,金融機関にとって融資保証は貸付返済をより確実にする手法である。金融の歴史そのものである。企業の財務改善があれば、徐々に融資保証不要となる。それでも経営責任を問う形で一部残存する。中小企業は、所有と経営の一体性や、企業経営の不確実性が大きく、担保不足等の場合も含めて融資保証が継続している。金融サイドから見れば、合理性があり、借入サイドから見れば、先に保証ありきでは、意欲をそがれ、不合理・不当の念を隠しえない。且つ弱い立場の人は条件を受け入れざるを得ない。保証を巡る貸すものと借りるものの思いと論理は常に嚙み合わない。
4,過去保証のあり方が経済成長の絡みで検討された。アベノミクスの成長戦略である。「日本再興戦略~Japan is Back」(13年6月14日)は、「内外の資源を最大限活用したベンチャー投資・再チャレンジ投資の促進」で「個人保証制度の見直し」を盛る。「経営者本人による保証について・・一定の条件を満たす場合には、保証を求めないことや、履行時において一定の資産が残るなど早期事業再生着手のインセンテイブを与えること等のガイドラインを策定する・・」と述べた。それを受け金融庁は、「経営者保証に関するガイドライン」(13年12月9日)を公表した。対応で、融資保証なしの前提は、法人と経営者個人の資産・経理の明確な分離、二者の資金のやり取りが社会通念上適切な範囲であること、法人の資産・収益力で借入金返済が可能と判断しうること、適時・適切な財務情報の提供、経営者から十分な物的担保の提供があること等を記す。
記述内容は、リーマンショック後、債務過剰になった中小企業対策という意味合いが大きい。起業促進となったか不明である。
5,投資(出資)と貸付けでリスクの取り方が異なる。投資は、事業失敗も覚悟である。配当以上にキャピタルゲイン目的である。融資は、事業の成功を前提として、収益から返済を受ける。預金原資のような場合、貸し倒れリスクは、極めて小さく見込む。「融資の要諦は回収にあり」の言葉がある。貸付金の返済は、当然回収可能という性善説の考えは経験的に不適切である。お金は人を惑わす。世の中、返さない人もいる。故に信用供与の言葉がある。
金融の論理から見れば、抑も保証は、回収をより確実にするためである。お金の返済における保証人の資力期待に加えて、経営者の事業の継続性、借入金返済意思の確認や経営責任の明確化等々である。
6,起業におけるリスクの見方は、新技術や新事業の企業化の具体例が重要である。企業審査は、財務分析や各種ヒアリング等により対象企業の信用を判断する。実績のない法人等は、事業計画で判断となる。将来の不確実性をもつ。在来型の事業であれば、同業者の状況で比較判断も可能である。他方新技術の場合、技術評価が必要となる。過去の経験で、松茸の人工栽培の例がある。その技術が本当に実用化できるか。その当時、研究者やその分野の専門家、農業関係の専門金融機関も技術の蓋然性を検証できなった。結局融資困難となった。その場合、キャピタルゲイン(成功報酬)期待のリスクを織込んだ投資は可能でも、リスクを最小限にしたい融資は困難である。
7,現在銀行の経営環境は厳しい。差別化・高付加価値化できない「お金」の競争が続いている。冒頭に述べた金融状況下、収益力の低下でより長い貸し付けを行い(期間リスク)、より回収不確実な事業に融資(信用リスク)を行っている。つまり「銀行預金という貨幣を、流動性が低くリスクの高い投資に転換させる貨幣と銀行の錬金術」(マーヴィン・キング「錬金術の終わり」17年5月)が拡大している。先行きに懸念もある。銀行にリスクありである。
この状況で金融機関の信用判断に政府が介入することはいかがであろうか。勿論公序良俗違反、信義誠実違反、権利の濫用は許されないが。信用供与の判断は、各銀行の経営マターである。
8,政治家は、個人・小企業の声を聴く機会が多い。金融機関の対応が問題となれば、政策的対応を考える。起業家の場合も金融的問題を声高に叫ぶ。所詮回収困難な融資は、無理である。その時は投資会社やファンドに投資を求める。それらが無理となれば、起業を断念せざるを得ない。金融市場の姿である。無理強いは、不全を招く。
9, 繰り言になるが、経済の真実はただ一つである。成長は、技術革新とその企業化である。企業化の時、事業家は、全責任を担うことが求められる。物的担保がなければ、事業責任者としての保証は、覚悟の証として合理的と金融機関は考える。事業家が、他の手段なく、保証を回避するのであれば、金融機関の判断は厳しくなる。そこに金融世界と実物世界の桎梏がある。その実態に対し金融庁の押しつけ基準は相応しいだろうか。政府が出来るとしたら政策金融等の補完程度であろう。
Sound Bank(健全な銀行)を旨とする銀行は、信頼もあるが薄情でもある。事業家と金融家の見方は、かみ合わない。起業は、まさに市場が決めることである。そこに政策介入すれば、起業家の幻想を助長することにならないか。融資保証問題は、藁をもつかむ政策に見える。今回の融資保証の見直しは、新型コロナ感染による過剰債務問題に焦点を当て調整すべきと考える。
【プロフィール】経済地域研究所代表。東北大卒。日本開発銀行を経て、日本開発銀行設備投資研究所長、新都市熱供給兼新宿熱供給代表取締役社長、教育環境研究所代表取締役社長などを歴任。