【コラム/10月30日】原子力の日に考える~原点は大量エネ供給期待、今も変わらず

2023年10月30日


4,原子力予算計上、実用化へ

政府は、原子力予算計上(250百万円、54年)、試験研究費交付基礎研究スタート、通商産業省工業技術院原子力課設置等を行った。55年11月日米原子力協定となる。

「エネルギー総合対策」(閣議了解55年5月27日)は、石炭対策、石油対策、天然ガス対策、都市ガス対策、電力ガス対策、薪炭対策(旧来のカマドの改良)に加えて将来のエネルギー不足に備えて原子力の平和利用に関する研究及び開発を促進すると述べた。

国内の研究開発体制が、昭和30年代に整備された。各大学の原子力研究部門に加え、日本原子力研究所設立(56年6月)、原子燃料公社(人形峠、56年8月、動燃に吸収67年)、日本原子力発電株式会社設立(57年11月)である。そして原研東海研究所原子力発電成功(原子力の日)、原電東海発電所運転開始(商業運転、66年7月)となる。

原子力発電は、1970年代前半に軽水炉の実用化・商業化の時期を迎えた。日本原電敦賀発電所(35.7万Kw、70年3月)、関西電力美浜1号機(70年11月)、東京電力福島第一1号機(71年3月)である。この実用化は、米国の技術開発の恩恵であるが、我国の原子力導入・国産化の努力の賜でもある。


5,石油危機で原子力発電の意義確認

73年10月オイルショックがあった。経済は混乱した。ゼロ成長となり(下村治博士予言通り)、成長の先行き不透明となった。敗戦後と同様、まず経済水準維持のエネ確保が最重要使命となった。そこに原子力発電があった。

石油火力の発電原価の高騰(25円/Kwh超)に伴い、原子力発電の経済性が向上した。物価高騰の下で、(ボラタイルな)燃料費を(固定的な)資本費に置換する発電原価構造が評価される。70年代後半(昭和50年代)以降、原子力は、石油代替エネルギーの主力の一つとなり、開発が拡大した。つまり原子力推進の理由は、時代により強調点が変化するが、基本はエネルギー量の大きさと発電原価の相対的安定性(インフレ耐久力)である。


6,東日本大震福島第一原発事故(以下「福島事故」という)で試練に直面

福島事故は、エネ政策の大転換となった。民主党政権は、混乱のもとで、国民不安を煽り、原発重視の方針を変え、政治延命を狙う内閣の思惑で化石暫定利用、原発停止、再エネ拡大(FIT導入)に転換する。行政の対応は、この機に「願望」電力自由化徹底を貫徹した。そして福島事故の処理で、事故責任は東電とし、賠償責任を負わせ、東電体制変更、原賠機構設立となる。

90年代無駄と思われた化石エネ中心の過剰設備は、福島事故に恐怖した時の政権の原発停止で復活する。供給不足を補い、計画停電で大停電を免れた。皮肉なことである。

政権交代後(12年)、環境対策等の視点から、エネ安定供給・脱炭素で再エネもいいが、原子力も必要という論が弱いながら再登場する。今も原子力の扱いは、難航である。

そしてカーボンニュートラル(CN)宣言(20年10月)、ウクライナ戦争(22年2月)があった。更に中東情勢は不安定(23年10月)である。原子力軽視で大量エネ供給・脱化石は混乱している。

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