GXでの課題克服に実力発揮 高い専門性と解決力で企業を支援

2023年12月22日

【日本エヌ・ユー・エス】

日本エヌ・ユー・エス社は、エネルギー・環境分野でのコンサルティングで高い評価を得ている。

複雑さを増す課題の解決にどう取り組んでいくのか、松本真由美氏が近本一彦社長に尋ねた。

松本 真由美(東京大学教養学部客員准教授)
まつもと・まゆみ 上智大学外国語学部卒。専門は環境エネルギー政策論・環境コミュニケーション。持続可能な社会の在り方をテーマに研究に取り組む。現在は教養教育高度化機構環境エネルギー科学特別部門で教鞭を取る。

松本 社名を拝見して初めは外資系の会社かと思いました。ところが100%日本の企業でした。どういう経緯で設立されたのですか。

近本 実は、私が入社した1986年当時は外資系企業だったんです。当社の生い立ちをご紹介するとき、創始者である榊原愷夫についてお話ししなければなりません。

榊原は、1960~70年代に米国に駐在していた商社マンで、原子力発電所が次々と立ち上がっていく米国の原子力の勃興期を見ていた。それで「日本の高度成長にも原子力が欠かせない」と商社マンの血が騒いだ。

日本原子力研究所(当時)の動力炉「JPDR」の導入に携わり、JPDRが順調に稼働した後、京大の研究炉、続いて商用炉を手掛けることになった。商用炉に取り組む過程で紆余曲折があり、日揮に入社します。日揮はフランスのサンゴバン社と提携して東海再処理工場を建設していました。

当時、原子力の規制体系など、日本には商用炉を始めるのに必要な十分な知見がなかった。それで榊原は日揮と話し合い、既に信頼関係を築いていた米国の原子力専門企業だったエヌ・ユー・エス社の総合代理店として、コンサルタント企業をつくることになりました。コンサルティングとエンジニアリングを行う会社として、日揮45%、エヌ・ユー・エス社45%、それに東京電力が10%出資して1971年に設立したわけです。

松本 それで「エヌ・ユー・エス」の名前が残っているのですね。

近本 その後、エヌ・ユー・エス社がM&Aなどをされ、1997年に日揮が同社の株を全て買い取りました。その時点で、「日本企業」になったといえます。

松本 榊原さんが原子力開発に熱心だったということで、原子力関連の事業が中心だったのですか。

近本 当初はそうでした。しかし、原子力発電所の安全規制などに携わると、環境への影響などの調査も必要になります。発電所の温排水の沿岸の海洋環境への影響を調査したのをきっかけに、環境コンサルティングサービスに進出します。やがて原子力だけでなく、他の分野での環境アセスメントなども手掛けるようになりました。

創業した71年は環境庁が設置された年でもあり、2001年に格上げされた環境省の仕事を受託することが徐々に多くなりました。当時は大気汚染などが大きな社会問題です。当社は汚染物資による環境や人の健康などへの影響について、国や自治体の調査・分析の支援を行いました。

松本 エネルギーの分野でも、幅広くコンサルティングなどの事業を展開されています。

近本 一例を挙げると、原子力規制について制度を見直すとき、国や電力会社は米国、欧州の動向に非常に敏感になります。そのときにわれわれは海外に出向いて、米国ならば「米国原子力規制委員会で今、こういう議論が行われている。日本にはこういう影響が考えられる」という情報を提供する。原子力に限らずエネルギー・環境の分野では、常にフロントラインに立って情報提供やビジネス支援などのサービスを行っています。

松本 コンサルティング会社は多くありますから、情報やサービスの「質」が問われませんか。

近本 ご指摘の通りです。ありがたいことに、「困ったら日本エヌ・ユー・エスに聞け」という声を多くいただいています。もっとも、そういう評価をいただくようになったのは、われわれの先輩たちの功績によるところが大きい。

当社の取引先のほとんどが電力会社と国・地方自治体です。そのためか当社には知識が豊富で、真面目にこつこつと解決策を追い求めていく社員が多い。先輩たちが築き上げたものを、しっかりと引き継いでいると思っています。

近本一彦(日本エヌ・ユー・エス社長)
ちかもと・かずひこ 1986年東海大学大学院工学研究科修了、日本エヌ・ユー・エス入社。2009年リスクマネジメント部門長、14年理事・新ビジネス開発本部長、15年取締役、20年から現職。

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