【コラム/10月26日】急速な電子化社会へ弱者はどうする
新井光雄/ジャーナリスト
いつごろだったろうか。デジタルデバイドなる言葉がはやった。直訳的には「情報格差」といったところで、分かり易くは、パソコンを使える人、使えない人の格差といったところだったかもしれない。さすがに、もうそんな記者は1人もいないと断言できるのだろうが、1990年代は職場にそんな記者がまだ残っていて、そんな記者のためにパンチャー、打つ担当の社員がまだいた。今や、パソコン哀史か。
このデジタルデバイドが目下、「二次デジタルデバイド時代」ではないかと思えてきた。やや大げさに言うと空前の急速な電子化社会。到底、追いついていけない人。駆使して余裕しゃくしゃくの人。その差が歴然という感じになってきている。正直、どこまで付いて行けばいいのか。この世のなかの関係を結ぶ電子、それに依存する社会はその過渡期にどんな現象を呼び起こすのか。不安が高まる。むろん、社会のデジタル化は世界の必然。なかで日本の遅れは一応、承知なのだが、この遅れている日本で、追いつけていない人が多いのも事実。
あるレストランに予約を入れた。ところがそのレストラン曰く、「ネットで予約すればドリンクのサービスがある」という。
確かにネット予約なら人件費が多少軽減できるのかもしれないが、ネット弱者はそれが面倒、出来ない場合も。そのうえに「ゴートイート」があるの、ないのと悔しいがどうしてよいのかり分からない。象徴的なのは銀行。いよいよ通帳の有料化が始まるらしい。近い将来の個人口座の電子化を促すものだという。コロナがらみの給付金などは大部分が電子化らしいが、また、それに対応できないためのトラブルやら犯罪も発生して、混乱の度は深まっている。ややこしい時代になってきた。
一次デバイド時代はパソコンが出来る出来ない程度のことで損得、犯罪などに余り関連しなかった気がするが、二次デバイドは個人口座が簡単に絡んでくるような事件すら出てきている。悠長なことを言っていられない。電子化に伴う痛みなのだろうが、被害者的な立場に何時たつかもしれないという社会は生きにくい。多分、あと十年程度で日本全体が電子社会となって、一種の落ち着きを取り戻すのかもしれないが、その間、デジタル弱者は注意深い暮らしを迫られる。 心配なのはやはり犯罪だ。電子犯罪はアナログではないから、電子的な巨額の犯罪が成立する恐れが高いという。銀行口座がもう安心の場でなくなりつつある。しかし、電子化は避けられない。新政権の目玉政策が「デジタル庁」の新設。結構なことではあるが、出来れば、いや、是非、デジタル弱者への配慮を忘れないでほしい。 スマフォをつかえない知人が周囲にまだ いる。皮肉なことに安全なのかもしれないが。
【プロフィール】 元読売新聞・編集委員。 エネルギー問題を専門的に担当。 現在、地球産業文化研究所・理事 日本エネルギー経済研究所・特別研究員、総合資源エネルギー調査会・臨時委員、原子力委員会・専門委員などを務めた。 著書に 「エネルギーが危ない」(中央公論新社)など。 東大文卒。栃木県日光市生まれ。