【コラム/2月8日】これでいいのか、第6次エネルギー基本計画
福島 伸享/元衆議院議員
昨年の秋以降、総合資源エネルギー調査会基本政策分科会で第6次エネルギー基本計画の策定に向けた議論が行われている。私は、エネルギーフォーラム誌の昨年2月号・3月号や拙著『エネルギー政策は国家なり』において、2018年に閣議決定された第5次エネルギー基本計画は従来の電源構成に焦点が当てた基本計画とは異なり、日本の産業構造全体の中での将来のエネルギー産業の姿を描いた革新的なものであること、技術や金融といったこれまでのエネルギー政策のツールとして中心的に捉えられてこなかった分野に焦点が当てられていること、などを指摘してきた。この路線を引き継いだ、革新的なエネルギー基本計画が策定されるのかどうかが、第6次エネルギー基本計画の見どころである。
これまでの議論を見ると、事務局資料の「次期エネルギー基本計画検討の進め方(案)」のスタート地点が「3E+Sを目指す上での課題を整理」というものであり、旧来型の基本計画に戻りそうな出だしであった。菅新総理が10月26日に臨時国会の所信表明演説で「2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会の実現を目指すことを、ここに宣言いたします」とぶち上げると、議題は「2050年カーボンニュートラルの実現に向けた検討」というものに衣替えしている。しかし、ここでも「カーボンニュートラルを目指す上で、脱炭素化された電力による安定的な電力供給は必要不可欠」として、各電源の目標「参考値」を定めた複数のシナリオ分析を行うこととしており、電源構成に焦点が当たった基本計画路線に固執しているように思われる。
議事概要を読んでみると、毎回「電源構成のベストミックスを探ることが大事」などとして、「原子力が重要」との意見が組織的に連携しているかのように繰り返し出される。エネルギーの安定供給のために、さらにカーボンニュートラルの実現に向けても、原子力の役割が重要であることは否定しないが、第6次エネルギー基本計画で電源としての位置付けや目標値を明確にすれば原子力の推進が進むような状況ではない、と私は考える。これからのエネルギー供給において原子力に一定の役割を与えるのであれば、日本社会の中で再び原子力が受容されうるよう、バックエンド問題や核燃料サイクル路線も含めた原子力政策の根本的な再構築が必要なのではないだろうか。3.11以降10年以上もこうした議論から逃げ続けることは、許されないであろう。今こそ、ゼロベースでの原子力政策の再構築の議論をするため、エネルギー基本計画の議論とは別の座敷を設けることが必要なのではないか。
さらに、これまでの議論を見てみると、民間企業の委員を中心に「投資の予見可能性が必要」、「海外輸出プロジェクト創出を期待する」、「政府が強いリーダーシップを発揮してほしい」、「政府がスピード感を持って方向性を示すべき」、「政府が長期の研究開発の旗を振ってほしい」などという「業界からのお上への要望」のようなコメントが何度も何度も出てくる。政府の予見に頼ったり、政府が方向性を示さなければ行動できないような企業が、今後世界的なカーボンニュートラルの進展の中で競争に生き抜くことはできないであろう。これまでの議論の中で、第5次エネルギー基本計画でその芽が出た革新的なエネルギー政策が生まれるようなやりとりは、あまりにも少ないのだ。
委員のメンバーを見ると、かつてのような電力、ガス、石油の業界代表者が口角泡を飛ばし合うような構成ではなくなっているが、伝統的大企業の関係者やさまざまな審議会の委員を兼任しているような学者や役人OBがその大宗である。このようなメンバーでは、カーボンニュートラルの実現を旗印にした世界的な時代の変革、競争の時代に対応するための、革新的なエネルギー基本計画を作ることはできないであろう。
第5次エネルギー基本計画を作るにあたっては、当時の日下部資源エネルギー庁長官は総合資源エネルギー調査会基本政策分科会と並行して「エネルギー情勢懇談会」というインフォーマルな議論の場を設けて、業界の利害調整や学者的議論にとらわれない自由な議論を行った。この場で議題を提供するのは、ほとんどが海外の有識者であった。今回もこれと同様に、いつもの代わり映えのしない審議会委員とは違う、年齢や国籍、ポストにこだわらず、現場感覚や最先端の技術的専門性を持ち、戦略的な思考ができる人材による議論の場を設けることが必要なのではないか。いつもと同じようなメンバーで、同じような過程によるエネルギー基本計画の策定を行えば、今度こそ2050年に日本はエネルギー敗戦、いや経済敗戦を迎えることになってしまうであろう。
【プロフィール】東京大学農学部卒。通商産業省(現経産省)入省。調査統計、橋本内閣での行政改革、電力・ガス・原子力政策、バイオ産業政策などに携わり、小泉内閣の内閣官房で構造改革特区の実現を果たす。2009年衆議院議員初当選。東日本大震災からの地元の復旧・復興に奔走。