【コラム/3月15日】枝野氏の現実的発言を歓迎する

2021年3月15日

福島 伸享/元衆議院議員

 立憲民主党の枝野代表は、西日本新聞のインタビューに答えて「原発をやめるということは簡単なことじゃない」「政権の座に就いたら急に(原発ゼロを実現)できるとか、そんなのはありえない」「カーボンニュートラルには技術革新も必要で、何年やったらできますなんて無責任なことは言えない」と発言している。2月26日の記者会見でも同趣旨のことを繰り返し、「原発をゼロにするゴールは100年単位だ。使用済み核燃料が安定的に保管されて初めて原発をやめたと言える。廃炉も簡単に作業できるとは限らない」と語ったと報道されている。

 もちろん党の綱領に掲げる「原発ゼロ社会」の旗印を下ろしたわけではないが、イデオロギー的な「原発即時ゼロ」のスローガンを唱えるのではなく、現在の日本の原子力が抱える状況を見据えた上で、現実的な政策論を展開しうる土俵に降りてきたことを歓迎したい。最近打ち出している立憲民主党の「zeroコロナ戦略」もウイルスゼロということではないようなので、綱領の「原発ゼロ社会」も幅のある概念だということなのだろう。とかく選挙の時になると俗耳に入りやすい「原発即時ゼロ」「原発絶対ゼロ」を野党は掲げがちだし、支援者にはそれを期待する向きも多い。しかし、今回そうしたポピュリズムと一線を画する姿勢を明らかにしたことは、党の代表としては勇気のいることであると最大限に評価されるべきである。

 枝野代表は、「使用済み核燃料は、ごみではない約束で預かってもらっているものです。再利用する資源として預かってもらっているから、やめたとなったらその瞬間にごみになってしまう。この約束を破ってしまったら、政府が信用されなくなります。ごみの行き先を決めないと、やめるとは言えない」と、原子力政策に関わる立地地域との関係を指摘し、なぜ原発ゼロが簡単にいかないかその本質も的確に把握している。八ッ場ダムの二の舞を繰り返すことはないだろう。さらに、毎日新聞のインタビューでは「原子力技術をいかに残していくかも重要な課題だ」とも言っている。単純な「脱原発」論者じゃないことは、明らかだ。

 このように土俵を設定されると、政府・与党の側でも現実的な原子力政策の再構築を提示せざるをえないだろう。10年前の東日本大震災以降、原子力をめぐる環境が根本的に変わったにもかかわらず、7年8ヶ月の安倍政権の間に惰性で無為な時間を過ごしてしまった。そのため、あの大事故後、日本の原子力政策の目標はどこにあって、そのためにどのような体制で遂行し、どのような政策資源を投入していくのか、ほとんど何も決まってはない。その結果、再稼働はほとんど進まず、原子力産業は衰退し、日本の原子力は瀕死の状況に陥りつつある。私は、その状況を拙著『エネルギー政策は国家なり』で、「実は「脱原発」の安倍政権」と表現している。

野党第一党側は、100年単位での現実的な原発ゼロへの道を模索し始めている。そうであるなら、政府・与党側からも今の日本のエネルギーや原子力が現実に置かれている環境を的確に見据えた上で、やはり現実的な原子力政策論を展開すべきであろう。菅総理の唱える「カーボンニュートラル・バブル」に踊っている場合ではないし、カーボンニュートラルにかこつけてドサクサ紛れに原子力政策を進めるといった弥縫策も通用しまい。まずは、バックエンド問題をどう解決していくのか、もんじゅの廃炉やプルサーマル可能な稼働原発数の激減、最終処分場の立地を巡る自治体での新たな動きといった環境変化を踏まえた政策を提示しなければならない。

「原発か再エネか」などといった単純な二項対立の無意味な議論は、もう終わった。イデオロギー的観念論ではない、現実の所与の条件に即した、地に足の着いたエネルギー政策の議論が、今後政治の場で始まることを期待したい。そのためにも、自分もその場に戻らなくてはならない。

【プロフィール】東京大学農学部卒。通商産業省(現経産省)入省。調査統計、橋本内閣での行政改革、電力・ガス・原子力政策、バイオ産業政策などに携わり、小泉内閣の内閣官房で構造改革特区の実現を果たす。2009年衆議院議員初当選。東日本大震災からの地元の復旧・復興に奔走。