【コラム/3月29日】なぜ試してはいけないのか~電力改革同様、無理が深みに、破綻を招く金融政策の構図

2021年3月29日

飯倉 穣/エコノミスト

 今日までの経済推移を検証すれば、2013年以降リフレ派が主導した量的緩和、総需要拡大、物価目標実現は幻想であった。日銀は、決定会合で政策転換の方向を論議せず、昨年末約束した金融緩和の点検を公表した。金融緩和がもたらす金融機関収支不調、株価不安定、金利上昇への対応策に絞り対応を提示し、金融緩和継続を強く打ち出した。日銀資産膨張が続き、日銀の健全性への不安(信認低下)も浮上している。金融緩和政策の出口が見えない。

日銀は、97年改革で大蔵省から脱皮し独立性を高めたようだが、現実は論薄き政治主導が横行している。一部学者主張の市場重視・規制緩和推進の電力自由化失敗と同様、改革の意味を改めて考え、量的緩和政策に代わる経済の安定に必要な金融政策の検討が望まれる。

1, 日銀は、政策点検を公表し「より効果的で持続的な金融緩和」を決定した(2021年3月19日)。報道は「日銀、金融緩和修正へ ETF購入目安を撤廃 副作用軽減へ苦渋」(朝日3月20日)、「緩和持続へ政策見直し 日銀、ETF購入目安削除」(日経同)と伝える。

金融政策で「物価上昇率が高まりにくい状況下、物価上昇率プラスの状況定着、需給ギャップ改善、労働生産性向上で、良好な経済情勢が継続した」と評価し、2%物価安定目標達成のため更に機動的な金融緩和継続を表明した。また現政策で問題となる金融機関収支対策として貸出促進付利制度創設、株価下落対策としてETF必要買入れ、金利上昇対策で連続指値オペを提示した。

2,果たして金融政策は、日銀の点検・評価のような「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展」に導いたであろうか。改めて日銀の政策と姿を考える。

日銀には、歴史的な4大失敗(戦前の金解禁と国債引受、1972年と1980年代後半の金融緩和)があるという。今日の金融運営の窮状は、内需拡大狙いの前川レポート(1986年)の機動的な金融政策運営を嚆矢とする。

爾後迷走する。バブル期の過熱認識なしの金融引き締めの遅れ(80年代後半)、バブル崩壊後の緩和遅延(90年代前半)、金融危機時の対応失敗(90年代後半)である。そして2000年以降「デフレ」と決めつけ、大胆な量的緩和実施継続(マネタリーベース(以下MBという)重視の国債購入等)となる。

3,2000年代初めデフレ経済を巡って論議が活発だった。リフレ派(通貨膨張主張)は、ゼロ金利下でもインフレ目標を定め、量的緩和(長期国債買い切りオペ等でMB拡大)すれば、総需要を増加させ、期待インフレ率を引上げ、適度な物価上昇可能と主張した。

当時これに対し小宮隆太郎教授は、理論的にゼロ金利政策で十分で、長期国債買切りオペ等量的緩和の実体経済への影響は「微害無益」等に近いと主張した。また財務大臣の「長期国債の買い切り購入額要請」を衆愚的金融論議と断じた。

日銀のバランスシート(B/S)悪化(信認低下)の評価も分かれた。未だ明確な解は存しない。起きて初めて分かる類のリスクとなる。

4,13年アベノミクスの一環で、リフレ派の主張に沿って、財政出動と並行してデフレマインド払拭狙いの大胆な金融政策が開始された。日銀は、MB重視の運営で、2%物価上昇を目指し、国債(長期国債等)、ETF(指数連動型上場投資信託)、J-REIT(不動産投資信託)等の資産を買い入れた。

経済変動的には12年以降回復期となり、政策開始後2015年まで、経済パフォーマンスは、成長率、物価、雇用面で動意を見せた。政権・日銀は、財政出動の下支えや金融緩和(為替安や株価上昇)が功を奏したと吹聴した(実質GDP年平均1.2%、名目同2.4%)。その後勢いは鈍化し18年にピーク越えとなった。

19年まで見れば、財政出動の乗数効果の罠に嵌まり、経済は低成長(実質GDP年平均1%、名目同1.7%)で財政依存の姿である(20年まで実質・名目共に0.9%)。金融緩和の実体経済への影響は些少であった。むしろ金融緩和中毒が市場機能と企業活動の健全性を歪めている。

5,ここに来て政策の宴の跡も浮上している。政治に翻弄された日銀の財政状況である。アベノミクス・コロナ対策で日銀のB/S合計は、12年末158兆円(MB139兆円)から20年末702兆円(MB618兆円)となった。日銀は、国債535兆円と残高の50%以上、ETF35兆円と東証一部時価総額の7%(日銀公表)等を保有する。安易な国債発行に貢献し、株や不動産(住宅価格)も管理市場化の様相である。長期金融緩和の弊害である。

6,リフレ派が、机上の論を盾に「なぜ試してはいけないのか」と主張・実行した姿が現在である。二進も三進もいかず、出口さえわからない状況にある。ボルカ―は、「金融政策の精度が低いことを考えれば、(物価が上昇出来るのか)試してみるという誘惑に屈することは、健全な金融政策に欠かせない物価安定の約束を弱めてしまう」と述べている。現状評価すれば、依然金融政策は経済変動局面の短期的な緩和措置という考えが妥当である。

7,90年代の金融危機対応失敗を踏まえた日銀改革(97年)は、金融政策の自主性を重視した。大蔵省支配からの脱皮だったが、その後の運営を見ると独立性と言いながら、論なく、時の政治権力に弱い日銀の姿が露出している。

経済の安定(経済均衡)を取り戻す策は、金融政策依存症では困難である。現状の経済・技術体系の中で、財政均衡も重視し、若干の成長をもたらす工夫と努力が求められる。 

【プロフィール】経済地域研究所代表。東北大卒。日本開発銀行を経て、日本開発銀行設備投資研究所長、新都市熱供給兼新宿熱供給代表取締役社長、教育環境研究所代表取締役社長などを歴任。