【目安箱/5月6日】気候変動対策を巡る危険と期待

2021年5月6日

新型コロナウイルス感染症の感染拡大の報道にかき消されているが、米国の主催で気候変動サミットが4月23日までの2日間、ウェブ上で各国首脳を集めて開催された。ここで各国の温室効果ガスの削減目標の公表が行われた。パリ協定に復帰する米国が、温室効果ガス削減目標を2005年比で温室効果ガスの排出量を50-52%削減すると表明。日本も、菅義偉首相が自ら30年度の温室効果ガス削減目標を「13年度から46%削減しさらに50%の高みに向け挑戦を続ける」と宣言した。日本の削減目標は、15年にパリ協定に基づく目標である「30年度に温室効果ガスを13年度比で26%削減する」から大幅に引き上げられた。温室効果ガスの削減は、その対策で経済に負担をもたらす。気候変動が国際政治の場で、欧米発で盛り上がっているが、本当に意味があるのか。そして日本は、損をしないのだろうか。

首相官邸で開かれた第2回気候変動対策推進のための有識者会議の模様(4月19日)

◆数字目標を競い合う主要国

46%減という数字の決定について、小泉進次郎環境相が報道番組で、「(数字が)目の前に浮かんできた」と説明した。小泉氏は奇妙な発言で注目を頻繁に集めるが、今回も「神がかりか」と、多くの人に笑われてしまった。実際には、米国の同調の要請がある中で、菅義偉首相が自らの政治決断で、数値目標を引き上げたようだ。

小泉氏の行動に対する笑い声のうるささによって、深刻な問題が隠れかねない。政治家が気候変動問題での数値目標を、深く考えずに、大きな数字を決めてしまうという問題だ。そしてこの光景は、問題を観察する全てに人に既視感を起こさせる。気候変動問題では、欧米主導で数値目標が国際的な騒動になる。しかし、その騒ぎはいつの間にか沈静化する。日本は1997年の京都議定書の時に、90年比で、2008年から12年に温室効果ガスを6%削減するという実現不可能な大きな数字を決めてしまい、一国だけが律儀に国際的な約束を履行し、負担に苦しむ状態に追い込まれてしまった。今回の気候変動サミットの数値目標でも、同じことが繰り返されかねない懸念がある。

そもそも温室効果ガスを、大量削減することは、日本も他国も不可能だ。日本は13年の最大排出量14.1億tから19年までの6年間で14%減った。13年時点で全停止していた原発が一部稼働した上で、国内経済成長の横ばいなどが影響した。17年決定の「第5次エネルギー基本計画」では、国内の使える原発を全て動かし、稼働停止の目安とされる40年間から原発の稼働が延命されることで「30年26%減」目標はようやく達成可能が可能かもしれないとされた。ところがその後、次々と古い原発の廃炉が決まり、原発再稼働も遅れているため、この達成はほぼ不可能と思われる。

(図)温室効果ガスの削減 (政府資料)

一方で「46%削減」には積算根拠がない。現在は第6次エネルギー基本計画が政府審議会で検討されており、年内の発表を目指している。その前に気候変動サミットが行われるために、精緻な数字の検証もなく、米国に追随せざるを得なかったのだろう。

◆米国に2度「梯子を外された」経験

ところが米国は過去に2度、気候変動を巡る国際協定を突如出ていった経緯がある。日本は「梯子を外された」のだ。1度目は、クリントン政権が決めた97年の京都議定書を、01年に米ブッシュ政権は脱退した。そして、15年にオバマ政権が決めたパリ協定を、17年にトランプ政権は離脱した。いずれも民主党政権の決めた気候変動の協定を、共和党政権が潰した。今回も米国の共和党は気候変動問題で民主党と対立しており、議会の同意が見送られる可能性や、政権交代で米国が約束をなくしてしまう可能性がある。

日本は京都議定書の約束達成のために、海外で温室効果ガスを削減し、排出権を購入して、その削減分を計上した。06年度から12年度まで1660億円の政府支出を行なった。京都議定書体制が崩壊したために、購入量は限られたが、同じような大量の排出権調達で、巨額の政府支出が行われてしまうかもしれない。

米国の行動が典型的だが、気候変動問題は地球環境を守るというきれい事の意味だけではない。各国は自国の利益に固執するし、技術規格や環境外交の分野での国家の主導権争いの面がある。

日本のライバルである中国は、そのことを十分わかっている。米中の対立が続いているが、この気候変動サミットに、習近平国家主席は参加した。そして技術面での共同研究などを訴えながら、温室効果ガスの削減目標は「30年までにピークを迎え、60年までに実質ゼロを実現できるよう努力する」という曖昧なものにしている。このしたたかさは、日本にとっても参考となるだろう。

◆したたかに、バブルを利用せよ

それでは、こうした気候変動を巡る新しい流れに、どのようにビジネスパーソンは対応するのがいいだろうか。

ヒントになる言葉がある。ある金融マンに、日本であまり紹介されていないアメリカの金融市場の相場格言を聞いた。相場が熱狂状態にあるときに言われるものという。彼はその姿勢で、今回の「気候変動バブル」に向き合うそうだ。

「パーティを楽しんでね。しかし、パンチボールと出口の位置は忘れずに」

パンチボールとは酒の容器。「パーティーを楽しまないのは愚かだが、飲み過ぎに注意し、すぐに逃げ出せる準備をするということだ」とこの投資家は言う。

気候変動を巡る政治主導の「バブル」は繰り返されてきた。それに参加せずに孤立し、儲けの機会を見逃すのは愚かしい。しかし酔いすぎたり、逃げ遅れたりするのは危険だ。騒動に参加しながら、自分を見失わず、いつでも逃げ出せる準備をする。したたかな態度を持ちながら、動く必要があるだろう。日本の企業人なら、米国や日本の政府に、「梯子を外される」経験を、再びしたくないはずだ。

この気候変動を巡るバブルは、良い方向に転がり、日本の産業界、特にエネルギー関連産業に利益をもたらす可能性がある。効率的なエネルギー利用を巡るさまざまな技術の発達、製品の販売拡大、国際ルール作りの日本勢の関与につながるかもしれない。こうした動きは温室効果ガスを減らし、世界と人類の役に立つ。EV、発電技術、省エネ、プラント製造など、宝と言える多くの技術や企業を日本の産業界は持ち、国際的に今もリードしている。ビジネスの利益をしっかり確保しながら、地球環境の改善に貢献できたら、企業人としてこんなに喜ばしいことはないだろう。そして最近、元気のない日本経済、エネルギー産業の復活にも役立つはずだ。

問題は、政治と行政だ。パーティへの参加を、一般国民に強要してしまう。小泉進次郎環境相のように、民意におもねる政治家が、問題をおかしな方向に動かしかねない。慎重とされる菅義偉首相でさえ、数値目標を大きくしてしまう誘惑に駆られてしまった。言論界や市民運動など内外の環境派の応援もポピュリズムに流れがちな政治家を支えてしまう。物やサービスの提供という産業界の持つ力を通じ、こうした夢想家を現実に引き戻し、おかしな暴走をさせないようにすることも必要だ。