【コラム/5月24日】科学無き者の最期

2021年5月24日

福島 伸享/元衆議院議員

戦前から戦後にかけていくつもの会社を経営し、国会議員も務めた永野護が、敗戦直後の昭和20年9月に行った講演を基に編集された、『敗戦真相記』という本がある。そこには、まだ硝煙の匂いが冷めやらない時期に語られた、日本が戦争に負けた理由が整然と列挙されている。

「聞くところによると、アメリカのニュース劇場で東京空襲の映画を上映するとき、日本なら「日本空襲何々隊」とつけるべきところを、そんな題はつけないで「科学無き者の最期」という表題を付しているということです。ああ、科学無き者の最後!!アメリカは最初から日本のことをそう見ており、まさにその通りの結果になったと言い得ましょう」として、日本は兵器などの科学力の差によって負けたことが実例をもって列挙されているが、その上で「科学兵器の差というものは目に見えるから皆納得するが、目に見えないで、もっと戦局に影響を及ぼしたものはマネージメントの差です。残念ながら我が方は、いわゆるサイエンティフィック(科学的)マネージメントというものが、ほとんどゼロに等しかった・・・この経営能力が、また科学兵器の差よりひどい立ち遅れであって、この代表的なものが日本の官僚のやり方でしょう。日本の官僚の著しい特性は一見非常に忙しく働いているように見えて、実は何一つもしていないことで、チューインガムをかんだり、ポケットに手を入れたりして、いかにも遊んでいるように見えて、実際は非常に仕事の早いアメリカ式と好対照をみせています」としている。

 新型コロナウイルスへの日本政府の対応を見ていると、この敗戦直後に書かれた日本の宿痾は、未だなお何ら改まっていないと思われるのではないだろうか。1年前のアベノマスク騒ぎの時には、一部の官邸官僚の跳ね返りによるものだと顔をしかめていればよかった。陽性者との接触を確認するアプリCOCOAは、ほとんど役に立たずにその存在すら忘れるところとなっている。聖火リレーのスタートなどのオリンピックイベントを意識して緊急事態宣言を出し入れし、ついには「夜間禁酒令」が出るに至っては「どの国のいつの時代なのか」と不条理を感じるようになった。遅れに遅れているワクチン接種の予約のために電話がパンクする様子を見て、とうとう日本がアジアの途上国に転落したことを確信せざるを得なかった。

 これらの問題の根幹は、日本の医療技術とか公衆衛生制度にあるのではなく、日本政府の「サイエンティフィック・マネージメント」のなさによるものであろう。ワクチンを接種するために菅総理が行ったことは、自らわざわざアメリカまで赴いてファイザーの社長にわずかな時間「電話で!」直談判したり、厚生労働大臣の屋上屋を重ねて河野太郎ワクチン担当大臣を任命したり、自衛隊にワクチン接種をさせたりといった、国民に見栄えすることばかりである。その一方で、どこでだれにワクチンを接種したのかを一元的に管理するシステムがなかったり、ワクチン接種後の接種者へフォローする仕組みはできていない。「科学的な」マネージメントができていないから、日本政府は次から次へと起こる「想定外」の事象に右往左往しているだけなのだ。

 これは、原発事故の際の危機管理や今流行りの「カーボン・ニュートラル」でも同じことが言える。『敗戦真相記』で戦争に負けた大きな敗因として、①公明正大な目標を欠いていたこと、②自己の力を計らず、敵の力を研究せず、ただ自己の精神力を過大評価して、これに慢心したこと、③指導者が国民の良識や感覚を無視して、一人よがりで自分のいいと信じたところに国民を連れて行こうとした点、の三つを挙げている。果たして、大きな政策を立案するにあたって、こうした敗因に陥らないための「科学的な」分析ができているであろうか。

 コロナ禍で世界の情勢が大きく動く中で、エネルギーや地球環境をめぐるパラダイムも大きくシフトする中で、近いうちに再び『敗戦真相記』を書かなくて済むようにしなくてはならない。同書には、

「日本にとって最も不幸だったことは・・・諸種の事情が、日本有史以来の大人物の端境期に起こったということでありまして、建国三千年最大の危難に直面しながら、如何にこれを乗り切るかという確固不動の信念と周到なる思慮を有する大黒柱の役割を演ずべき一人の中心人物がなく、ただ器用に目先の雑務をごまかしていく式の官僚がたくさん集まって、わいわい騒ぎながら、あれよあれよという間に世界的大波乱の中に捲き込まれ、押し流されてしまったのであります」とある。政治に携わる者こそ、頑張らなければならない。

【プロフィール】東京大学農学部卒。通商産業省(現経産省)入省。調査統計、橋本内閣での行政改革、電力・ガス・原子力政策、バイオ産業政策などに携わり、小泉内閣の内閣官房で構造改革特区の実現を果たす。2009年衆議院議員初当選。東日本大震災からの地元の復旧・復興に奔走。