【特集2】原子力発電所の廃止措置 今に生きるJPDRでの実績
石川迪夫/原子力デコミッショニング研究会 最高顧問
日本における原子力発電所の廃止措置は、既にJPDRで豊富な経験がある。第一線で廃炉作業に当たった石川迪夫氏が当時を振り返り、提言を行う。
原子力発電が始まった時に、廃止措置(廃炉)の話しが既に出ていたと言う。古い研究施設をそのまま土中に埋める隔離埋設、放射能の高い機器設備を格納容器の中に閉じ込めて保管する安全隔離、放射能を完全に除去して後を使用する解体撤去の3案であったという。今でもこの3案は国際原子力機関(IEAE)で使われている。
ところで、廃炉工事といえば危険な仕事と考えている人が日本には多い。これは間違いなのだが、その震源は欧州にある。原子力発電が始まりだした1970年ごろ、発電用原子炉の解体撤去は無理ではないかとの見解が欧州で生まれた。幾年も発電を続けた原子炉は強く放射化しているから、解体撤去工事は放射線安全上無理ではないかという意見だ。この話を聞きかじった日本の反対派は、「解体撤去ができない原発は、発電が終われば死の町を作る」と歪曲して宣伝した。
欧州発の懸念ともなれば、原子力と相性の悪いマスコミが見逃すはずがない。70年ごろから、反原発の気運が日本で急速に広まった理由の一つが、このマスコミ報道だ。それに伴って、廃炉は危険との認識も何となく日本に根づいた。
以降25年を経て、95年にJPDRの廃炉工事が日本で完了した。その総被ばく量(期間約8年)はわずか0・3シーベルト(Sv)・人だった。定期検査1回分(期間約1カ月)の約1Sv・人より大幅に少ない。日本原子力発電の東海発電所の廃炉工事も、総被ばく量は定期検査と同程度との予測だ。話と実績は全く違う。
その理由は、定検は原子炉停止直後に行うが、廃炉は停止後10年もたってから行われる工事だからだ。この時間の差が中の放射能量を1億分の1以下に減らす。
欧州の懸念の間違いは、放射能の減衰を勘定に入れない不安だけの思考だったことによる。反原発情報は、この種の誤り、フェイク話が多い。廃炉は工事であるから、労働災害のリスクは常に存在する。だがそれは放射線被ばくのリスクでない。これが総論の結論1だ。
ところが発電用原子炉には、炉心溶融を起こした事故炉もある。事故炉の廃炉は一般炉とは大違いだ。炉心が壊れている上に、強い放射能汚染が解体を妨げるので工事は大変だ。費用も多大だ。これに対して一般炉は、廃炉手順がほぼ定型化しており、被ばくも少ない。事故炉と一般炉では、廃炉はそれほど違う。これが結論の2だ。
廃炉第一号・JPDR 国際会議が計画を評価
以上二つの結論で総論は終える。だが今回は一般炉の廃炉特集だ。以降は、特殊な解体技術と思われていた廃炉が、一般化していった歴史について述べる。
まず日本の廃炉第一号、JPDRについて述べておこう。JPDRは63年、日本原子力研究所で日本最初の原子力発電を達成した発電用原子炉だ。その後研究に使われていたが、耐震基準の変更により安全規格に合わなくなり、75年ごろ廃炉と決まった。


以降の約10年、JPDRの職員たちは原子炉周辺の放射能分布の測定や計算、解体機器の開発や試作などの、廃炉工事に向けた取り組みを正攻法で進めた。準備がほぼ整い、工事開始と思われた時に、リーダーが工事の着手に二の足を踏んだ。廃炉は危険との欧州の懸念は、日本の原子力関係者にも影響していたのだ。原研首脳は困惑して、昔JPDRの建設運転に携わった僕に、お鉢を回した。これが僕と廃炉の縁の始まりだ。
着任して一カ月後、85年5月に第1回の廃炉国際会議がワシントンで開催された。廃炉に対する欧州の懸念の払拭も目的であったろう。JPDRの廃炉計画は会議開催寸前の飛び入りで申し込み、発表を許された。内容が、日本は原子炉を解体する機器を試作して工事の準備が整っており、解体の順序も放射能の高い炉心構造物から始め次いで圧力容器、生体遮へい、格納容器の順に行うという分かりやすいものだったからであろう。
話が前後するが、このJPDRの計画は職員が施設の保全を行う傍ら、全員で検討を重ねたものであった。主に研究員は放射線分布の計算を行い、高卒の技術系職員たちは試作機の開発に取り組んだ。発足当時の原研には、研究員に劣らぬ高い能力を持つ高卒技術系職員が、全国から希望して入所してきた。彼らの勉学と意思がJPDRの廃炉計画の作成を支え、かつ工事を成功させたことを、ここに付記しておく。
ここで余談を一つ。ワシントン会議の頃、廃炉に対するマスコミの見解は、前述の欧州の風潮を背景に、米国政府と対立していた。米国提案のシッピングポート発電所の廃炉予算は1億ドルだったが、ワシントンポストなどの有力紙は「廃炉費用は100億ドル必要」などと書き立てていた。
本格的な廃炉の世界最初の試みだから、スポンサーのエネルギー省(DOE)も自信があるわけでない。そこへ飛び入りの日本が「JPDR廃炉予算は、機器開発費を含めて200億円(約2億ドル)」と何も知らずに会議で発表したものだから、DOEは驚き、喜んだ。偶然だが、JPDRの費用がシッピングポートとほぼ同額だったからだ。苦戦の最中に、思いがけない援軍が現れたに等しい。
事情を知ったのは後日のことだが、DOEは発表に感謝し、以降JPDRを手厚く応援してくれた。DOEはJPDR職員の廃炉留学を受け入れたり、廃棄物施設の見学を許してくれたり、廃炉計画の全貌の伝達などの便宜を与えてくれた。
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