全国からの応援に感謝! 震災で強くなった能登の絆

2025年1月4日

【電力事業の現場力】北陸電力労働組合

能登半島地震では劣悪な環境の中、停電の早期復旧を成し遂げた。

震災を通じて高まった一体感を深めていくのが、今後の労組の役割だ。

2024年の元日夕刻、一家団らんの準備に取り掛かる頃だった。石川県能登地方を最大深度7の揺れが襲った。あれから1年─。能登は絶望に打ちひしがれながらも、復興に向けて歩み出した。

発災当時、北陸電力送配電エリアでは最大4万戸の停電が発生したが、北陸電力グループの総力を結集した復旧作業により約1カ月でおおむね解消。ただ作業は困難を極めた。極寒の中で降りしきる雪、断水で使えぬ水道、相次ぐ余震……。休息しようにも自宅が被災していて帰れない。仮設トイレが未整備で食事を控える組合員さえいた。

雪の中での高所作業が続いた

ある職場では「命の危険」を感じた組合員もいた。事務所が大きな被害を受けたからだ。元日で誰も出勤していなかったが、「平日だったらどうなっていたのか」と恐怖に襲われたという。だが強い精神的負荷が掛かりながらも、安定供給に向けた努力を続けるのが現場の使命だ。

狭い道でも懸命に作業

能登半島地震は北陸電力グループにとって、20年の送配電分離後初の大災害だった。そんな中で停電復旧の責務を果たせたのは、北陸電力と北陸電力送配電がしっかりと連携し、グループ会社や地元の協力会社、ほかの電力会社が一丸となったからだ。電力の安定供給は決して当たり前ではない。当たり前になるように、日々最大限に努力する人たちがいる。

電柱が倒壊し、あちこちで道路が寸断された

停電復旧は「電気を灯して終わり」ではない。地域に根差し、地域と共に成長してきた北陸電力グループとして、声掛けなど被災者の安心感につながる対応を意識した。差し入れをくれる被災者もおり、寒い中でも能登で暮らす人々の温もりを感じながらの作業となった。

応援部隊の高所作業車がズラリ

大きな力となったのは全国からの応援だ。発災後、各地の応援部隊はわれ先にと能登へ向かった。その数、延べ4000人以上。応援部隊だけでなく、ほかの電力労組からも応援メッセージや物資、カンパなどの支援を受け、「会社は違っても電力マンの強い使命感、高い誇りを感じた」(竹原康裕本部書記長)。


政治活動の重要性 底力と誇りを一層深める

北陸電労が加盟する電力総連は組織内議員として、国民民主党から参議院議員(浜野喜史氏、竹詰仁氏)を国会に送り込んでいる。震災ではこの重要性を再認識した。

1月4日には同党の災害対策本部会議に宮本篤本部執行委員長がオブザーバー出席。志賀原子力発電所を巡るフェイクニュースの拡散や現地の状況を報告し、現場の努力を伝えるとともに正確な情報発信を求めた。翌日には、玉木雄一郎代表が激震地の七尾市内や河北郡内灘町、電力関連の後方支援活動拠点などを視察。SNSでは発電所について、一次情報に基づいた情報や復旧作業の現状を発信した。玉木代表の発信力は大きく、「組織内議員の必要性を強く感じつつ、政治活動の大切さをかみ締める機会になった」(同)

宮本氏は今後について、「労働組合には、震災で培った北陸ならではの底力と誇りを一層深めていく役割がある。こうした一体感が、結果として組合員の経済的・社会的地位の向上やグループ企業価値の向上につながっていく」と意欲を燃やす。24年に70周年を迎えた北陸電労。25年度が最終年度となる「中期ビジョン」の実現へ、震災で強固になった絆でまい進する。