【コラム/8月29日】敗戦後80年経済を考える~談話への期待は、節度ある経済運営

2025年8月29日

飯倉 穣/エコノミスト

1、経済水準を享受

敗戦後80年となる。政治・社会面を飾る恒例の行事があった。東京大空襲(3月)、沖縄戦終了(6月)、広島・長崎原子爆弾投下(8月6日、9日)、ポツダム宣言受諾(10日)、何故か敗戦でなく玉音放送の日の終戦記念日(15日)と続いた。そして降伏文書調印日(9月2日)がある。1945年、これらの日々を経て焦土の経済復興が始まった。 

政治の世界では、70年談話に続く80年談話を発出するか話題となっている。報道もあった。「首相、戦後80年見解に意欲 「無謀な開戦」検証にこだわり 準備不足党内外から批判」(日経25年8月14日)。国会答弁で首相は「二度と戦争を起こさないためにどうするのか。単なる思いの発出ではなく、何を誤ったのか。我が国が今年世界に向けて何を発出するかに強い思いがある」(毎日8月4日)と強調した。談話の意味は、時の政権・為政者の思いにすぎないのか。

経済面は、敗戦恒例の行事もなく、トランプ相互関税騒ぎで、敗戦後80年に係わる事象について目立つ紙面を見かけなかった。米国管理の平和の下で、国民が敗戦後の経済発展で歴史上最高の経済水準を享受している証である。先行きに懸念もある。財政出動・金融緩和の支えで、資産価格上昇・高水準の現経済を今後も持続出来るだろうか。経済の実態は、財政破綻状態・経済政策混迷で、不安定な状況に見える。実物経済の水準維持に必要なエネルギ―・資源確保の問題や地球環境(ゼロエミッション)の制約もある。それらの様々な課題を抱えながら、次の80年はどこに向かうだろうか。

敗戦後80年の経済を振り返り、高水準ながら借金まみれの経済運営を反省し、未来を展望しつつ、政治(80年談話)への期待を考える。


2、敗戦後80年間は、前半良好、後半閉塞感継続

敗戦後の経済は、大まかに2区分となる。第1期は、当初の40年間(1945~1985年)である。敗戦の苦しみから這い上がり、高度成長を経て、漸く先進国に辿り着いた。S20年代敗戦後の飢餓状態から配給制・食料増産で凌ぎ、S30年代以降家庭用品が高度化し、欧米技術導入で重厚長大産業、加工組立産業が伸長した。エネルギーは、石油(流体革命)が支えた。実質経済成長率は年平均7%程度だった。目標(キャッチアップ)が明快だった。衣食が充実し、住も漸く人並みになった。経済運営は、内外均衡重視(とりわけ国際収支・国内需給・財政均衡・雇用重視)だった。財政・金融政策に過度に依存せず健全を旨とした。企業経営も雇用第一だった。個人・企業は、政府に頼らず自助(働く)を基本とした。民は、官嫌・面従腹背の様相だった。昭和が懐かしがられる所以である。

第2期(1986~2025年)は、グローバル化と称する時期で、市場重視・自由競争が強調された。背景に米国圧力で消費者重視・規制緩和・内需拡大があった。第1期の成果を過信し、節度を失いバブル経済を形成した。その崩壊に対処する知恵を喪失し(89年下村治博士死去)、二進も三進もいかず、構造調整や構造改革という勘違い政策にまみれた。政策迷走・民間企業力低下の40年間だった。軽薄短小産業は匍匐(ほふく)前進せず、通信関係産業頼りながらGAFA的プラットフォーム産業の出現はなかった。

エネルギーは、再エネ高価買入、原子力発電縮小で、石油等化石エネ主力が継続している。実質成長率は、年1.1%だった。グローバルの意味がわからず、自己喪失で目標も明解でなかった。現実直視せず、成すべき目標を掲げる思考力が欠如していた。経済運営は、消費(時間消費)重視で、貧しき発想で余暇(リゾート)に走り、経済基盤となるインフラ、生活の堅実さを忘れた。そして財政・金融政策で節度を失う。政府は雇用を忘れ、企業は、人件費を変動費に変え、従業者を福祉政策(セーフテイネット)に追い込んだ。政治家万能、官嫌・忖度強要の時代となった。自立自営の言葉は空に飛んだ。この状況で今後の80年間が始まる。 

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