【コラム/1月7日】2025年経済を考える~ミレニアム四半世紀を振り返り、知力、気力、体力、原子力で経済健全化元年に
飯倉 穣/エコノミスト
1、経済政策の転換は
21世紀に入り、四半世紀を経た。経済運営は、経済政策で三度転換の試みがあった。いずれも経済健全化に至らず、三度の乱流に遭遇し挫折する。依然財政や雇用に不安があり、競争力の先細りを抱えながら漂流している。この流れを平時と考えるべきか。これまでと異なる経済運営で、もう少し安定感のある経済状況に到達できるのか。
現政権は、アベノミクスを曖昧に踏襲するも、先行きの展望が暗い。今後その政策変更は可能か。どのような経済運営を目指すべきか。四半世紀の政策を振り返りながら考える。
2、劇場「改革なくして成長なし」
小泉改革は、「新世紀維新、改革なくして成長なし、聖域なき構造改革」等の用語を駆使した。「民で出来ることは民(官から民へ)」で郵政民営化、公的金融縮小、社会福祉への競争原理導入、公務の市場化テスト等を行った。「地方で出来ることは地方(中央から地方へ)」で、国の干渉なき財源確保で地方行政・地方活性化を目指した。その間の経済は、改革と無縁だった。米国サブプライムバブル起因の輸出と国内ミニバブルで膨張した(実質経済成長率00~08年平均0.9%)。そしてリーマンショックで前年比08年△1.0%、09年△5.5%と落ち込む(00~09年平均0.3%)。小泉改革の各政策は、リーマンショックで剝げ落ち、経済健全化に効果がなかった。
3、殿ご乱心
民主党政権の取組(コンクリートから人へ)は、公共投資抑制、事業仕分けに象徴的だった。無駄遣いを止め、子育て・教育、年金・医療、地域主権、雇用・経済充実の約束をした。必要財源はなかった。また雇用対応で期待ばかりの介護雇用、グリーン、社会的企業スタートアップを掲げた。一見良さそうだったが、必要な短期政策と乖離した動きだった。そして緊急経済対策連発、円高対策に邁進する。経済の戻りの下で東日本大震災発生に遭遇した(予想経済低下1~2%程度)。恐怖を煽り政権維持で原子力発電を停止した。緊急時の対応不全で国民不安を倍加させた。経済は、震災ショックの落込みもあったが、リーマンショックからの回復過程だった。経済無策の批判以上に経済運営で隅々まで不安を染み込ませた。
4、老経済学者と狂気に走る
アベノミクスは、キャッチフレーズが素晴らしかった。三本の矢(大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長政策)である。経済論的に見れば、現実を無視し節度を喪失した。内容は、お粗末且つ疑問だった。大丈夫なの?という思いが募った。経済変動的には経済の回復過程であり、財政・金融駆使は特に必要なかった。そして2018年にピーク超えとなる。成長率は2012~2018年で1.2%(~2019年0.9%)。金融緩和の効果も財政出動の効果も薄かった。成長政策と企業は、知力・気力・体力不足だった。技術革新を担う研究開発の人材、推進力、経済力がそもそも橋本・小泉改革で混乱していた。
そして新型コロナ感染ショックで、経済縮小となる。感染防止の行動制限で△2%程度の水準低下が予想された。だがその対策は大仰だった。感染症の専門家の怪しげな見解に引きずられて、冷静な分析なく、機動的でなく膨大な財政出動となった。
5、初めに言葉ありき
新しい資本主義が登場した。言葉の内容が不明で後付けになった。人・技術・スタートアップへの投資実現が副題だった。爾後、賃上げ、資産運用立国、スタートアップ、ジョブ型人事、三位一体労働市場改革、GX等の言葉が印象的である。且つ賃上げ、消費活発化、企業収益上昇、企業投資増、労働生産性上昇、賃金上昇の言い回しで好循環を謳った。そして「コストカット型の経済」から「成長型の新たな経済ステージ」に移行と願望を述べた。経済論的には、とりわけ通常の成長論的に考えれば、賃上げの波及効果について首を傾げる。アベノミクスの亜流だった。
現在少数与党の下で、同じような経済路線を歩んでいる。
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