【コラム/3月25日】「東日本大震災・福島原発事故14年を考える~最高裁判決と福島再出発への願い」
4,最高裁判決の意味
福島復興が、漸くここまで進んだところで、東電福島原発事故刑事裁判最高裁判決があった。事実の報道とやや感性的な記事内容があった。「東電旧経営陣無罪確定 福島原発事故 最高裁も予見性否定」(朝日25年3月7日)。「時々刻々 原発事故 誰も罪を負わず 防止策「運転停止しか」最高裁踏襲 個人の責任 立証ハードル」(朝日同)「東電旧経営陣 無罪確定へ 最高裁 原発事故で上告棄却」(日経同)。震災から14年経過し復興の現実も見え、世の中落ち着きを取り戻した状況の故だろうか、感情的・爆発的な発信を見受けなかった。被告の一人だった当時の会長は、判決前に高齢で旅立った。
刑事裁判の判決は、当時東日本大震災の津波を予測出来ないと判断した。そして経営者の刑事責任を問わなかった。原子炉設置許可を出した国は、国の免責を主張している。多くの自然災害は、現在の学問の知見のみでは、予測対応できない実情にある。経験的なことが、唯一の頼りであることも否めない。
改めて原賠法3条1項但し書きの扱いを思い出す。条文は「原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただしその損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りでない」。震災後、改正の動きもあったが、変わっていない。予測できない自然災害となれば、福島第一原発事故の際、民主党が行った3条1項但し書きの解釈と不適用が依然不可解である。従来天災地変の意味は、「関東大震災の三倍以上の大震災」(1960年5月18日答弁)だった。東日本大震災まで、その解釈が大きく変更されなかった。
民主党内閣となり、内閣法制局国会答弁除外となる(産経10年1月16日)。法解釈説明も政治家答弁に変更された。その後震災があった。民主党政権は天災地変の意味を「人類の予想していないような大きなもの」(11年6月7日答弁)に変更した。その意味するところは、抑々国も賠償不可能な状況と言えるような、人類絶滅の地球滅亡という内容ではなかろうか。そして東日本大震災の被災に伴う責任を東電に押付けた。外国人献金問題報道(朝日11年3月11日)に直面していた菅直人民主党政権は、震災来るで、更に被災対応の責任からも逃亡した。許認可する政府が、許認可に責任を負わないことを強弁する。福島県知事等地方公共団体関連の発言や東京系報道にも東電を責め立てることを得意とする姿勢が目立った。理性希薄の世論だった。
今回の最高裁判決は、東日本大震災は予測できないとした。その意味するところは、東京電力も、一般の人・企業同様、被災者だったということである。つまり原賠法3条但し書きに該当することを暗示したと言っても過言でない。被災者を救わず、責め立てる事象(政府行動等)の矛盾が現出している。
5,原発停止の判断
世の中、落ち着いてくると過去の奇妙な光景が浮かんでくる。菅直人政府は、中部電力浜岡原子力発電停止を行った。そして本人の不安か延命の、根拠なき全原子力発電所停止である。これにより全国民を、電源不足で、経済・社会不安に陥れた。マスコミがそれを煽った。その判断が適当なものであったか、関係者は検証を回避しているように見える。
人々の生活を不安定にし、経済の落ち込み加速させた。且つ地域経済維持に有効な福島原子力発電所等を廃炉に追い込んだ。時々の感情と政治的勘定(損得)による対応に思えた。これらに政治責任を問う声は聞こえない。日本的か、日本人らしい。 福島県浜通りの人口減は自然である。地場産業原子力発電所を放棄した結果である。その代わりを政府施策に求め続けてもいい結果が得られるか疑問である。政府の対応は、事業を生むことでなく、ばら撒き的対応に終始していないか。研究施設づくりに腐心しているが、地場の人々の戻りはいかがであろうか。
6,再興を阻む何か~原子力規制委員会の逃避
この脈絡で原子力規制委員会の現在の行動を考えると納得できる。申請主義で、全ての立証責任を事業者に押付ける。「わからない」という言葉がキーワードである。分からないのでよく調査してほしいの掛け声が響く。規制委員会は、分からないので責任を事業者に預ける。公的使命のはき違えではないのか。如何か。民主党政治の言い逃れの延長が、現在の原子力規制委員会の姿に見える。改組の検討が必要である。
残された震災の課題も見えてきた。報道が示した。「東電再建「暫定版」を申請 国支援の前提条件 新計画は来年度」(日経25年3月8日)。漸く原子力推進の旗印が、見えるようになったが、問題は担い手である。被災者東電の位置を考え、早急にその再建と体制整備に取り組むことであろう。
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