【コラム/5月19日】IPCC排出シナリオ 「物語に基づいた科学」に過ぎず

2025年5月19日

なぜインフィージブル、つまり「解が無い」はずのシナリオが、時間とともに増殖していったのか? それは、気候危機説ナラティブに沿って2℃、1.5℃といった目標を達成するシナリオを量産するように、政治の側から動機づけられたからだ。以下に、その歴史を見てみよう。

<地球温暖化「2 ℃」・「1.5 ℃」目標の主な政治的マイルストーン>

1.1995 独 WBGU が特別報告書で「2 ℃ガードレール」を提唱。wbgu.de

2.1996 EU 環境相理事会が 2 ℃を域内の長期目標として正式決定。European Union

3.2007–08 J. ハンセンらが 350 ppm(1.5 ℃と解釈)を安全上限と主張。WIRED,GISS Publications

4.2010 COP16 カンクン合意(決定 1/CP.16)が 2 ℃を公式採択、1.5 ℃への強化についての検討を付帯。UNFCCC

5.2015 パリ協定第 2 条が「2 ℃を十分下回り、1.5 ℃を追求する」という文言で合意。IPCCに『1.5 ℃特別報告書』の作成を要請。UNFCCC

6.2018 IPCC『1.5 ℃特別報告書』が公開される。IPCC

7.2021 COP26 グラスゴー合意。これに前後してG7諸国は1.5 ℃目標と整合的であるとして2050年ネットゼロ目標を達成すると宣言。


コスト分析も 10数年で180度転換

それで、インフィージブルだった、即ち無限大だったはずのコストは、いったいどうなったのか(表3)。最新の22年の報告であるAR6のAR6政策決定者向け要約(SPM)を見ると、コストは「50年でGDPを数パーセント低下させる」とこともなげに書いている。1.5℃シナリオ(C1シナリオと分類されている)においてすら、わずか2.6~4.2%しかGDPは減らない。GDP成長率にすると0.09~0.14%の低下にしかならない。しかも、自然災害などの環境影響を回避することで得られる便益の方が大きい、と主張している。

パラグラフ抜粋原文(太字は GDP 影響の定量部分)
C.12(ヘッドライン)Mitigation options costing USD100 tCO2-eq–1 or less could reduce global GHG emissions by at least half the 2019 level by 2030 (high confidence). Global GDP continues to grow in modelled pathways64 but, without accounting for the economic benefits of mitigation action from avoided damages from climate change nor from reduced adaptation costs, it is a few percent lower in 2050 compared to pathways without mitigation beyond current policies.
C.12.2“The aggregate effects of climate-change mitigation on global GDP are small compared to global projected GDP growth … For example, compared to pathways that assume the continuation of policies implemented by the end of 2020, assessed global GDP reached in 2050 is reduced by 1.3 – 2.7 % in modelled pathways assuming coordinated global action … to limit warming to 2 °C (>67%). The corresponding average reduction in annual global GDP growth over 2020 – 2050 is 0.04 – 0.09 percentage points. … For modelled global pathways in other temperature categories, the reductions in global GDP in 2050 … are 2.6 – 4.2 % (C1, ≈1.5 °C), 1.6 – 2.8 % (C2), 0.8 – 2.1 % (C4), 0.5 – 1.2 % (C5). The corresponding reductions in average annual global GDP growth are 0.09 – 0.14, 0.05 – 0.09, 0.03 – 0.07, 0.02 – 0.04 percentage points, respectively. … In all assessed modelled pathways, global GDP is projected to at least double over 2020 – 2050, regardless of mitigation level.”
C.12.3“Models that incorporate the economic damages from climate change find that the global cost of limiting warming to 2 °C over the 21st century is lower than the global economic benefits of reducing warming, unless (i) climate damages are towards the low end of the range; or (ii) future damages are discounted at high rates.”
表3 AR6政策決定者向け要約(SPM)における排出量削減(mitigation)がGDPに与える影響の記述

このように、07年には2℃目標ですら実現不可能であったはずなのに、22年には1.5℃目標が低コストで容易に達成できる、という結論に180度変わってしまった。この「研究成果」のおかげで、各国政府はネットゼロ政策にまい進することができるようになった。

気候危機ナラティブに沿う研究をすることを、政治はエネルギーシステム分析業界に要請し、業界はまさにその意に従ったわけだ。
ここには科学を貫くと言う態度など微塵もない。

ちなみに日本のエネルギーシステム分析業界の先生方も、10年前であれば「50年CO2ゼロ」などとインフィージブルなことをいうとバカ扱いしていたはず。それがいまは「実現不可能です」「途方もなくコストがかかります」とはっきり公言する人はほとんどいない。学会では50年CO2ゼロというシナリオの発表であふれかえっている。

だが10年のうちに言うことが180度変わるのはどう考えても科学者のやるべきことではない。出世したいのか予算が欲しいのか、それとも非難や嫌がらせが心配なのか、あるいは単に目立たないようにしたいのか。動機はそれぞれだと思うけれど、この無節操振りにはあきれ返る。残念なことに、学者ほど信用できない人種はいない、という思いを禁じ得ない。


【プロフィール】1991年東京大学理学部卒。93年同大学院工学研究科物理工学修了後、電力中央研究所入所。電中研上席研究員などを経て、2017年キヤノングローバル戦略研究所入所。19年から現職。慶應義塾大学大学院特任教授も務める。近著に『データが語る気候変動問題のホントとウソ』(電気書院)。最近はYouTube「杉山大志_キヤノングローバル戦略研究所」での情報発信にも力を入れる。

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