【論考/11月25日】亡国の「暫定税率」廃止 なぜ日本を弱体化させるのか⁉
思考の停止:61年前の本則税率への後退
「暫定」税率が半世紀も続くのは異常であり、廃止が当然、との見方はよく喧伝される。
ところで暫定税率の廃止とは、ガソリン税及び軽油引取税の本則税率をそのまま適用することだが、現在の本則税率が定まったのは1964年、実に61年前のことだ。
この年、第3次池田内閣は本則税率をガソリンは1割(2.6円)、軽油は2割(2.5円)増税して、それぞれ1ℓ当たり28.7円、15円とした。これは当時「日本経済の成長のために最も必要な社会資本は道路」という認識のもとで、第4次道路整備5ヵ年計画に沿って特定財源として行われた増税だった。すなわち未来志向の戦略的なアプローチであり、そこには「公債不発行」という強い財政規律も働いていた。日中戦争・太平洋戦争中の国債乱発が、敗戦後に預金封鎖・新円発行などの非常措置を強行したにもかかわらず、6年間で100倍の物価上昇につながった記憶は、まだ新しかったのではないか。
この本則税率は決して低くなかった。64年の28.7円は、消費者物価指数を用いて計算すれば、2024年実質価格で140円に相当する。これは昨年EU各国でガソリンに掛かった税金額の平均とほぼ等しい。本則税率は、GDPが現在の5分の1にも満たなかった当時の日本が、その高度経済成長を実現するために、むしろ戦略的にあえて課した高税率だった。
ガソリン・軽油税率の引き上げが暫定税率として行われるようになったのは1974年度以降だが、これは第1次石油危機によって将来の石油需要動向の見通しが困難となり、道路特定財源として必要な税率を短期的に見直す必要が生じたためだ。言うまでもなく、ここで意味を為すのは本則、暫定それぞれの税率ではなく、両者合わせた合計税率と道路整備予算との整合性だった。
従って2009年度に道路特定財源が一般財源化された時点で、税率を本則と暫定に分けて調整する意義は失われていた。合計税率(ガソリン53.8円、軽油32.1円)の一般財源としての妥当性を改めて検討し、それを本則税率の改正で実現すべきだった。国際石油情勢、エネルギー安全保障、運輸・自動車政策、環境政策等を重ね合わせれば「今後あるべき日本の石油消費」の姿は大筋見えてくる。税率はこの石油政策の基調に適合し、同時に一般財政を支える上で適切な水準を保つ必要がある。
実際には10年度から、特例税率の期限を「当分の間」と改めたが、税率自体は維持された。一定条件下(連続3カ月でガソリン小売価格160円超)で特例税率を外す「トリガー条項」も加えられたが、これも発動実績のないまま、11年3月東日本大震災後に適用停止となった。あるべき税率への抜本的議論を欠き、本則・特例の二分法も残存したものの、主に国・地方の財政を支える必要性から、合計税率の現状維持が支持されたと言える。
結局、暫定税率は、ガソリンは1979年6月以降、軽油は93年12月以降、今日まで据え置かれてきた。これはガソリン暫定税率の場合、この46年間に物価上昇を勘案したその実質額は、約4割下がったことを意味する。すなわち、税率維持は「静かな実質減税」だった。対照的に例えばドイツの場合、ガソリン燃料税は86年から2003年までに約3倍引き上げられ、昨年時点では107円に相当。加えて21年以降、独自の排出量取引に基づいてCO2価格が課せられており、合わせて124円。さらに燃料税後の価格に消費税19%が掛かり、ガソリン課税は計171円だ。
同じ石油輸入・先進国である欧州各国に比して、日本のガソリン税は顕著に低い。すなわち暫定税率が長く継続したのは、それが一般財源・省エネ策として一定の役割を果たしながら、さほど高くない、いわば「ほどほど」の水準にあったから、と言えよう。
むしろ異様であるのは、今日的な妥当性を全く失った61年前の本則税率を、しかも名目額そのままに適用しようとする、現在の日本の挙国一致の姿勢なのだ。
1964年の日本は本則税率を引き上げ、60年代後半の道路投資を倍増以上に導いた。名神に続き、69年には東名高速道路を全線開通させ、次世代につないだ。今の日本は単に「安ければいい」と、実質額が64年当時の約5分の1に下がっている本則税率を、そのまま盲目的に適用する。足元の消費支援の大幅減税であり、それが残すものは「大安売り」の石油燃焼後の二酸化炭素と、一層の財政負荷である。


