【論考/11月25日】亡国の「暫定税率」廃止 なぜ日本を弱体化させるのか⁉
創造力の否定:日本を弱体化する石油価格操作
かつてエコノミスト・下村治は60年代の日本の高度経済成長を予見し、これを「国民の創造力の歴史的な解放過程」と呼んだ。成長の原動力は、国民の創造的努力にある。石油高価格への対応も、同様だ。
2次にわたる石油危機により、72年度から80年度まで、日本の原油輸入単価・総額は10倍上昇した。日本はこの衝撃を果敢な燃料転換と技術革新、国際競争力の強化によって克服した。産業・発電部門で重油消費を激減させ、原油処理設備合理化と精製能力の高度化を促進。また良質・低燃費の小型車で世界の自動車市場を席巻し、従来の資源集約的な素材・重化学工業から電機・電子工業を中心とする組み立て産業へ、さらにはサービス産業へと、産業構造の転換まで遂げた。石油危機を克服する創造的努力が、70年代後半から80年代にかけて日本を「経済大国」へと押し上げた。
このような創造力の発揮を促す最も基礎的な条件は、国内石油市場の価格機能の健全性である。国際石油価格の変化を迅速に国内に伝え、無数の経済主体の行動を共通に方向付けて、変化への主体的な適合を促す。それは日本と世界の石油情勢を結ぶ手掛かりであり、石油需給調整の自律神経とでもいうべき役割だ。
この自律神経を、今の日本は約4年の長きにわたって自ら麻痺させている。燃料油補助金は、当初期限とされた2022年3月以降、実質的に政府による「国内価格操作事業」に変質して継続した。ガソリン基準価格は原油価格と無関係に決められ、特に23年10月以降は明確に175円を上限とし、今年5月下旬以降の「定額引き下げ措置」もこれを引き継いだ。補助金が期限を迎えて縮小に向かう度に、ガソリン価格は180円前半まで微増したが、その一時期を除けば今年10月まで価格は概ね横ばいを続けた。すなわち、日本の燃料油価格は国際価格との連動性を全く失い、世界石油需給動向から遊離した「仮想現実」と化して低位安定した。
この「政治家が石油価格を決める」仮想現実の中では、市場価格の変動を梃子とした創造的努力はもはや求められない。消費者・供給者とも、有権者として政治的に値上げに反対すれば、それが実現する。「民意」の名の下に、消費者は省・脱石油の努力をせずとも廉価の石油を得て、供給者は国費で売価を下げて販売を下支えでき、そして政治家は票を得る。この目先の利益は「既得権」となって互いに結合する。
昨年、日本のガソリン平均価格175円はEU加盟国の平均より3割以上安く、インド大都市圏とさえ比べても低かった。インドを下回る価格であっても、なお暫定税率廃止による値下げが挙国一致で求められたところに、この既得権の強固な結合が看取される。人為的な石油低価格を求める政治的圧力は持続し、暫定税率の廃止後も、一定の価格上昇局面において補助金の導入を繰り返し実現させるだろう。既に、片山財務相は今冬の灯油価格補助積み増しに積極姿勢を示しており、ここからも国内市場の価格機能の復活に関心が薄いことが伺える。
廃止分の税率はガソリン25.1円、軽油17.1円。今年11月初旬までの定額補助10円を引くと、追加の減額はそれぞれ15円、7円。これを旧来の基準価格・ガソリン175円、およびこれに対応する軽油155円から引けば、それぞれ160円、148円となる。これが新たな「事実上の基準価格」と化していくのではないか。
原油輸入単価をバレル当たり80ドルとすれば、10円の円安で約5円/ℓ上昇する。円安が減税効果を打ち消す展開はまず軽油に現れ、そこで補助金再開への動きが見られよう。即ち、円安による原油高と政治による国内石油価格操作の悪循環が、今後も続くだろう。そこで衰弱するのは、原油輸入代上昇の現実に立ち向かい、これを自国の競争力強化によって克服しようとする、国民の創造力である。


