地場企業として復興に貢献 社会の変化にどう立ち向かうか

2020年11月4日

釜石ガス

ラグビーW杯の会場になった釜石鵜住居復興スタジアム

鉄と海とラグビーの町・釜石。かつては製鉄の町として、また昨年秋のラグビーW杯では試合会場にもなったことで、多くのラグビーファンの注目を集めたことは記憶に新しい。

そんな釜石市で都市ガス事業を営んでいるのが、釜石ガスだ。1957年の創業以来、市街地を中心に都市ガス供給を続けており、現在は周辺市町村でLPガスを販売し、また電力小売りも電気販売代理店業務を手掛けている。

しかし、市の人口は63年の9万2000人をピークに右肩下がりを続け、2020年には3万2000人まで減少。そのうち約40%は65歳以上の老年層で、さらに20年後に同市の人口は2万人台にまで落ち込むと予想される。少子高齢化および過疎化が顕著な地域といえる。

そうした中、11年に東日本大震災が発生。三陸海岸には20m近い大津波が押し寄せ、釜石市内の住居のうち、約4分の1が壊滅。1000人以上の尊い命が失われた。海に近い同社社屋も1階部分が完全に浸水し、ガス製造プラントは全壊。導管網にも海水が入り込むなど、設備は壊滅的な被害を受けた。

地震後には地元岩手県にある花巻ガス、水沢ガス、親会社でもある東部ガスといった東北のガス会社が、片道数時間かけて釜石まで通いながら復旧に当たった。また岩谷産業などから支援物資として、LPガス容器やカセットコンロの提供も受けた。しかし停電が長期間続き、震災直後から明かり一つない釜石市内では、廃屋などで換金できる資材などを物色する窃盗集団が相次いで発生。このため各地から届いた支援物資を守るべく、社員がローテーションを組み、倉庫の前で野球のバットを片手に夜警を行ったという。

支援の輪はさらに広がった。県内ガス事業者や東京ガス、武州ガスからは移動式のガス発生装置64台の提供を受けて、震災から5日後には一部の総合病院や介護施設でのガス供給を再開。同年3月27日には、津波に襲われなかった非浸水地域6342戸に対し、移動式ガス発生装置でのガス供給を行うまでこぎ着けられた。

当時について、澤田龍明常務は「日本ガス協会さんや多くのガス会社さんから支援をいただき、大変ありがたかった」と振り返る。

スマコミ事業にも参画 市の環境負荷低減に貢献

震災で壊滅的な被害を受けた釜石市は、震災からの復興と災害に負けない町づくりとして、「釜石市復興まちづくり基本計画」、および低炭素や省エネなどによる資源循環型社会を目指す「環境未来都市構想」を12年に策定。市内ではスマートコミュニティの建設が計画され、スマコミ協議会には澤田常務が委員として参加し、市のエネルギー政策にも、同社は貢献を果たしている。

スマコミ計画では、非常時に防災拠点となる公共施設に太陽光パネルと蓄電池を導入することでレジリエンス能力を高めたほか、エネルギー利用を見える化するマネジメント設備を導入。同社は市民プールや小中学校、情報交流センターなど9カ所の公共施設の電力消費量や、各設備の機器異常などを集中管理する地域エネルギー管理システム(CEMS)の管理を行っている。また本システムで得られたデータを基に、市に対する省エネの助言も年に2回ほど行っているそうだ。

さらに上中島地区の復興住宅・計4棟156戸の運営に携わっている。復興住宅には太陽光パネルや太陽熱温水器による温水供給、一括受電による電気ガスの同時検針など、建物のエネルギー効率を向上させる各種システムが導入されている。現在、同社は復興住宅の検針業務などを担当しており、復興住宅の設計に際しては、レジリエンス能力の高いエネファームの全戸導入も提案。しかし「室外機の設置スペースの確保が難しかったこともあり、断念せざるを得なかった」(澤田常務)という。

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