オイルショック時の経験を忘れた日本
石油価格をめぐる今日の日本のポピュリズムは、かつて70年代の2次にわたる石油危機に正面から対応し、その克服を通じて経済大国として台頭した姿と比して、極めて対照的だ。
72年度から80年度にかけて、日本の原油輸入単価、総額とも実に10倍上昇した。ガソリン小売価格は2.5倍超、軽油、C重油の卸価格もそれぞれ3倍、7.5倍と跳ね上がった。また80年度、原油は日本の総輸入の35%超を占めていた。

この強烈な衝撃を日本は積極的な燃料転換と技術革新、国際競争力の強化によって克服した。需要の側では、それまで石油需要を牽引していた産業および発電部門において、大量の重油が代替された。85年度の重油需要はオイルショック以前の72年度対比、産業部門で3分の1まで落ち、発電用も半減。重油総量で日量100万バレル減少し、供給側に於ける原油処理設備合理化と精製能力の高度化を促した。
一方、世界的な石油高価格を梃子として、日本は良質・低燃費の小型車で世界の自動車市場を席巻し、また従来の資源・エネルギー集約的な素材・重化学工業から電機・電子工業を中心とする組み立て産業へ、さらにはサービス産業へと、産業構造の転換までも遂げた。2000年代半ば以降の油価上昇期にも、日本はハイブリッド車の普及を加速させ、資源高を消費側の技術革新によって積極的に克服する姿勢を示してきた。

このように、市場を通じて国内石油価格が、国際価格および為替レートを反映して変動する場合、これを共通の手掛かりとして石油消費・供給者が主体的に行動を変容させていく。その無数の地道な変革の積み重ねが、原油高への日本の対応能力を決する最も根本的な要因だ。
しかし今のように、燃料油価格が政治の一存で決まるのならば、その上昇を抑えるには、消費者・供給者が有権者として値上げに反対すればよい。「政治家が石油価格を決める」というルールの下では、それが最も有効な対応となる。世論の圧力が掛かれば、政党・政治家は値下げを容易に決め得ても、値上げは躊躇する。消費側では省・脱石油に励む必要が薄れ、また供給側でも、補助金が需要を下支えする分、経営努力せずに済む。「民意」の名のもとに、消費者は廉価の石油を、供給者は販売量を、そして政治家は票を、それぞれ獲得できる。これらの短期的利益は、既得権と化して、価格操作を延命させる強い誘因となって働く。この3年間の、燃料油補助金の度重なる延長は、この制度の慣性の強さ、正常化の困難さを、如実に物語っている。
ところでガソリン税を本則税率に戻せば、消費税を含む税額は約28円下がる。この措置がもし22年2月以降に適用されたと仮定すると、22年平均のガソリン小売価格は171円。これは補助金投入後の実際値にほぼ一致する。しかし補助金後の月平均価格が最安値168円から最高値175円、その差7円の範囲に収まったのに対し、本則税率価格は148円から184円と、その差36円の間を変動した計算になる。
特定税率を廃止し、仮に22年と同様の価格変動があった場合に、この36円の上昇を果たして「民意」が甘受するだろうか。値上がりは価格水準よりも、その上昇幅に注目が集まりやすい。「ガソリン高は政治の責任」という通念が支配する以上、今度は例えば150円程度を新たな「標準」として、補助金による価格操作が復活する可能性は十分にある。
今目指されている特定税率廃止は、ガソリン・軽油価格の引き下げそれ自体を目的としている。そこには「石油は安ければ安いほど良い」という論理しかない。実施されれば、次は価格水準を一層引き下げた補助金制度へと、容易に移行し得る。