【追悼】故千葉昭氏を偲ぶ~競争時代だからこそ「公益の心」を重視 ライフラインを守る使命貫く

2023年3月22日

努力と抱負な識見で 進むべき道を示した

四国電力社長を務められた千葉昭氏が1月12日、亡くなられた。

的確な判断と行動力は、四国地域を超え大きな存在感を発揮した。

「千葉さんはわが社の『太陽』でした」―。四国電力会長の佐伯勇人氏は、師とも仰ぐ元上司を万感込めそう追悼した(1月17日付電気新聞)。親分肌で気さくな人柄だけではない。同社員約4000人の多くの顔と名前を覚え込むといった人知れぬ努力と豊富な識見は、同社のみならず広く電気事業と地域発展に向け「切れ味の良い判断」となり「進むべき道を的確に示し」(佐伯氏)ていった。

千葉昭氏は、1946年香川県生まれ。実家はお寺で自身僧籍を持っていた。69年に京大経済学部を卒業し四国電力入社。2000年取締役、03年常務、05年副社長を経て09年社長に就任した。15年会長に就き、同年四国経済連合会会長に。19年相談役に退いた。

この間、企画を中心に営業、総務、燃料各部門から原子力本部、情報通信本部まで幅広く経験。周囲は「リーダーシップがあり上位者とも臆することなく渡り合い、対人能力に長けていた。いずれ会社を背負って立つ人」と一目置いていたが、高松支店長時の98年2月、電力マン人生の節目となる出来事に遭遇する。18万7000Ⅴの坂出送電鉄塔倒壊事件(未解決)だ。高さ73mの鉄塔台座部分のボルトが抜かれ停電被害などをもたらした特異な事件は、復旧の現場責任者として「苦い思い出」となった。それでも100日間という短期間での復旧を果たし、やがて社内の語り草となっていく。

ライフラインを守る電気事業の使命を改めて確認した千葉氏は副社長時広報部門も担当、電力自由化時代到来から事業の効率性を追求する一方で、CSR(企業の社会的責任)を重視し企業のマイナス情報を出すことにためらうなと社員に呼び掛けた。競争時代だからこそ事業の公益性にこだわった。

その姿勢は社長就任2年目、11年2月末に発表した長期ビジョン「しあわせのチカラになりたい。」に表れている。ほっこりした平易なビジョン名、またグループ共通の価値観として「公益の心」を盛り込み、低炭素など時代の変化に対応する道筋を示した。

しかし3・11後の困難な情勢はエース電源、伊方発電所を停止に追い込み、需給と収支は一挙に緊迫。再稼働に向け全戸訪問や原子力本部を松山市に移転させるなど、先頭に立って指揮し奔走した。再稼働と料金値上げ問題が差し迫る中、茂木敏充経産相(当時)との差しの場面では、発送電分離の電力システム改革への協力を強く迫られた。

懸案への対処を通じ千葉氏の存在感は高まった。相談役に退いてからも新幹線の実現などに力を注ぎ、「元気を与えてくれる」(佐伯氏)人となりは、危機の時代にこそ必要とされていた。信条とした公益の心、改めてかみしめたい。

文/中井修一 電力ジャーナリスト