【視察②】実際目にして得られた再発見 随所に潜む日本への示唆
分権的エネルギー供給の実態 東ドイツ時代の政策による部分も
同社訪問は午後6時に終了。その夜の飛行機で移動し、ドイツのベルリン・ブランデンブルク新空港到着は11時近かった。参加者のロストバゲージ問題もあり、ホテルに着いた頃には日付が変わっていた。にもかかわらず3日目の訪問先はザクセン=アンハルト州の州都マクデブルク市のマクデブルク・シュタットベルケ(SWM)で、ホテル出発は午前6時45分という強行軍となった。

SWMは電力・天然ガス・地域熱供給、上・下水道、廃棄物処理事業などを手掛ける複合企業で、現在、市が54%の株式を保有する公営企業(日本流に言えば第3セクターだろうか)である。ドイツのシュタットベルケが地域インフラを支えていることを参考に、日本でもさまざまな提案がなされている。
ただ、SWM成立の経緯を見ると、シュタットベルケがドイツ固有の分権的行政構造および社会主義時代の東ドイツの経済政策の残滓に依存していることが分かる。SWMの場合、現在の会社は1993年の設立とされるが、経営上の骨格となるのは60~80年代にかけて供給が始まった大規模公営住宅の熱供給事業体(国営企業)である。これは当時の同市の経済発展(重工業化)に合わせたもので、80年代の経済停滞を経て東西ドイツ統一の後、民間企業の形態を取るシュタットベルケが誕生した。ドイツ流シュタットベルケの形を直輸入することはあまり意味がない。真に必要なのは、日本の地域経済環境と行政組織に根ざした事業体なのであろう。
同国2番目の訪問先は北部ブランデンブルク州トロイエンブリーツェン市のフェルトハイム地区(住民約130人)。住民と事業者、などが有限合資会社形態でフェルトハイム・エネルギーを共同設立し、2010年にドイツで初めてエネルギーの自給自足を実現した。風力・太陽光発電、調整用蓄電池、バイオマス発電を備え、独自の送電網、温熱網を持つ。特に風力は、現在からすれば比較的小型の発電機が約50基(約12万kW)あり、余剰電力は系統に売却され利益が出ているという。
実際に訪れると、とにかく風車が乱立している印象で(景観的な違和感はない)、人口、経済規模からすれば電熱自給は納得できる。風車を見学すると、小型にもかかわらず最大出力が3000kWと明記されている。そのための風速は12mだが、そもそも風の条件がわが国とは大きく異なり、エネルギー自給の土台になっていることがうかがえた。
CNや脱原発で意欲的目標 エネルギー・ヴェンデの実態
締めくくりは連邦経済・気候保護省(BMWK)である。ドイツ政府は「エネルギー・ヴェンデ(大転換)」という方針の下、①45年までのカーボンニュートラル、②原子力発電の廃止、③38年までの石炭火力発電廃止―を掲げてきた。本年5月に成立したメルツ新政権でもこの方針は継続されている。

原発廃止については、11年の東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故を受け、メルケル政権(当時)が段階的廃止の方針を再確認し、脱原発のプロセスは23年4月にドイツ国内最後の原子力発電所が停止したことで完了したとされる。ただ、まさに今回の訪問で明らかになったが、いくつかの分野で化石燃料からの転換が遅れており、この点を腐心する姿勢が顕著であった。
エネルギー大転換に関しては、今回は水素戦略について担当者からヒアリングすることができた。ドイツは比較的早くから水素を重視する方針を示しており、現在の水素戦略は19~20年にかけて策定された。コロナ禍、ウクライナ戦争により多額の技術投資がなされたが、想定よりコスト低下が進まず、市場に「冷静化」が広がっているという。水素調整部門長のChristine Falken-Grosser氏によれば「水素は依然として必要不可欠だが〝時間がかかる〟という現実を直視する時期に来た」とのことであり、わが国の7次エネ基でも水素利用へのウェイトが変化した点を告げると、納得できるとのコメントをいただいた。
国際情勢や経済環境に影響されるエネルギー政策のあり方は、多くの国で共通する課題を持っているのであろう。
1 2


