【コラム】「成長戦略・資産運用立国の発想を考える~大学の資産運用は救国となるか」
4,大学とは何か~健全な運営が第一
私立大学でも国立大学でも、教育と研究である。教育は、社会に出たときに必要な教養・教科書的な専門知識と常識(良識)を身につけた人材育成。研究は、教授等の教職員の創造的な努力如何である。そしてそれを支える財務基盤は、私立大の場合、サービスの対価である授業料を基本とし、加えて国の支援金、寄付金、研究者が申請獲得する国・民間の研究支援金である。それで収支を償うことで大学運営がある。またその収支の下で必要な設備投資を賄うため、積み立てを行う。その積立金は、健全な運用を図ることが基本(常識)である。企業であれば銀行泣かせの名古屋方式である。積み立て後自己資金で投資を行う。昔話だが公益財団法人日本相撲協会の国技館建て替えもそうだった。堅実に積み立てた資金をリスク性資産の運用にあてることは、大学の健全性維持の点からも疑問であり、不要なことである。
故に「大学を設置する法人は非営利法人であるが、同時に資本主義社会の一員でもあり、インベストメントチェーンの一翼を担う存在でもある」という記述に違和感を覚える。資本主義とは、「利潤追求を原動力とする資本の支配する経済体制」(有斐閣経済辞典)である。個人の自由と権利を前提とし、企業が、私有財産と自由な市場の下で、生産・流通・販売で利潤追求を行う社会である。時に利潤追求で弊害もあり、その修正が必要な場合もある。
大学は、資本主義社会の下で存在しているとしても、その活動で利潤追求をしているわけでない。ましてそもそも設立趣旨から、インベストチェーンの一翼を担っているわけでない。
資産運用で、市場経済の仕組みを利用しているにすぎない。政府が自己都合で、大学をアセットオーナーとして無理に位置づけ、利潤追求を強要させることは如何か。国民利益を考慮しない「金融庁」の金融膨張狙いの投資金融寄りの行政ではないか。そして政府が、政策の責任を取ることはない。投資金融も口八丁手八丁であることを忘れてはいけない。困れば、担当替えで雲隠れとなる。マネーゲームの世界は、所詮そのようなものである。
過去政府による国立大学の独立行政法人化の失敗も顕著である。各大学は、教育・研究能力の低下に悩んでいる。「東大、2年連続赤字へ「貯金」数年で枯渇 研究者の削減不可避」「国立大学法人モデル岐路に 東大も自立運営困難」(日経8月7日)である。
大事なことは、政府が、個人の自由・権利を尊重し、大学が、その自治を前提に学問の発展に取り組む主体であることを尊重すべきことであろう。
5、経済政策の目的は、「雇用」の次に「物価の安定」~総動員的発想は止めよう
大学の資産運用に関して、預金・債券中心の運用から、インフレ圧力・金利上昇を考慮し、株式等のリスク性資産への投資も含め、資産運用の促進・高度化に向けた取組を求めるという政府サイドの記述は問題である。
インフレ対応を大学に押しつける前に、政府の経済政策を見直すことが重要である。今日の物価上昇は、輸入物価上昇に起因し、その後安易な価格転嫁容認、生産性無視の消費者物価上昇見合の賃上げ推奨と続く。賃金と物価の好循環で経済活性化という奇妙な経済・金融政策が横行している。そして現政権は、国債残高圧力を回避するためか、経済成長率実質1%、名目3%(経済財政運営と改革の基本方針2026)という目標を掲げている。これは成長(生産性)と物価の関係を無視している。如何なものか。
政府の経済政策の目的は、一に雇用、次に物価の安定であることを思い返して欲しい。
金融資本のプレデター的性格を取り締まることこそ金融庁の役割である。逆にその追従者となり、行政がお金のある所を巻き込む姿勢は、苦しきときの神頼みではないか。国がおかしくなると、苦し紛れの総動員法的発想が登場することが、この国の癖であることを思い返したい。
【プロフィール】経済地域研究所代表。東北大卒。日本開発銀行を経て、日本開発銀行設備投資研究所長、新都市熱供給兼新宿熱供給代表取締役社長、教育環境研究所代表取締役社長などを歴任。
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