
本土で生まれたが、小笠原の海に魅せられ役場職員から村長になった
5月に始まった最終処分場建設を巡る文献調査への思いと決断の背景とは─。
東京都三鷹市生まれ。中学・高校時代は陸上部に所属し、キャプテンを務めた。卒業後は筑波大学に進学。部活やサークル選びの際は「陸上はもういい。大学でしかできないことをやってみたい」と考えていた。
そんな時、構内の調整池でダイビングサークルのデモンストレーションを目にした。「泳ぐのは嫌いではなかったので、やってみようと思った」。この何気ない決断が、小笠原村と縁もゆかりもない渋谷氏が村長となる遠因となった。
サークルは素潜りの練習から始まった。耳抜きが上手くいかず、鼻血を出したこともあった。それでも1年生の夏合宿が終わった頃から、楽しんで泳げるようになった。「中古車を持っていたので、伊豆半島や神奈川県真鶴町など関東で潜れる数少ないスポットにみんなで行った」。ここでもキャプテンとなり、沖縄合宿などを計画。小笠原村を初めて訪れたのは20歳の時で、美しい海と山、島民の温かさに魅了された。
筑波大では農林学類で公園計画を、同大学院では環境科学を専攻した。修了後は一年間、筑波で就職したものの、「地方の役場でまちづくりに携わりたい」という気持ちが高まった。すると、学生時代に行った小笠原の記憶が蘇ってきた。「小笠原村で暮らすのも悪くないか」と思い立ち、採用試験のために片道39時間以上かけて父島に向かった。合格し、25歳で小笠原村役場に入庁した。
主に企画や観光、産業振興の分野でキャリアを積んだ。母島で栽培されたサトウキビの糖蜜から造られる地酒「小笠原ラム」の復活に向けた会社を立ち上げ、ホエールウォッチングの普及に尽力。小笠原村の世界自然遺産登録の際にはパリでの国際会議に主席するなど、あらゆるプロジェクトの最前線に立ち続けた。6年間にわたる東京事務所の勤務では、村長や議員に随行して国会や都庁を回り、政治の動かし方を肌で学んだ。副村長を務めた後、2021年に前村長が亡くなり、村長選への出馬を決意。同年9月に初当選を果たし、現在2期目だ。
南鳥島に巨大施設の建設は可能か 今でも時間を見つけて素潜り
小笠原村の南鳥島では、5月に高レベル放射性廃棄物の最終処分場建設プロセスの第一段階「文献調査」が始まった。北海道寿都町、神恵内村、佐賀県玄海町に続く4地点目の実施となったが、国が初めて調査の依頼から実施判断までを担った。
地層処分事業の存在は、副村長だった19年に知った。村長から「こういう話があるから、あとはお前に任せる」と言われた。村長就任後も水面下で話はあったが、新型コロナ禍の対応などで目まぐるしく月日は流れた。23年には静岡県の川勝平太知事(当時)が、全国知事会で南鳥島を候補地として提案したが、大きな議論にはならなかった。
ところが、昨年11月、国から調査実施を申し入れたいとの相談を受けた。「驚きはしなかったが、私の中で一度中断していた話だったので、村民や議員への村内周知はできていなかった」
原子力発電環境整備機構(NUMO)が開いた説明会などで、村民からさまざまな意見が上がった。全ての意見に耳を傾け、悩み抜いた上で「実施するか否かは、国の責任で決めるべき」との結論に至った。
「電気がない社会は考えられないし、社会の維持には原子力、火力、再生可能エネルギー、全てが必要だ。村では原子力由来の電気は使っていないが、最終処分問題は他人事ではないと考え、申し入れを受けようと思った」
今回の申し入れの対象は小笠原村だけだった。「できれば、ほかの地点も同時に申し入れてほしかった」としつつも、まずは「ほかの地域に申し入れができるように努力している」という国の言葉を信じた。一方、他地域で調査が実施されなければ、次のステップである概要調査に進むかどうかの意見表明は行わない。
「南鳥島は小さな島で、都心からは2000㎞もの距離がある。先日、北海道幌延町の幌延深地層研究センターを視察したが、最終処分場は地下300m以上の巨大な施設だ。建設コストは本土の土地より上がるだろうし、地上面積の小さい南鳥島に建てられるのか。文献調査はこうした疑問と向き合う期間にしたい」
南鳥島には、常駐する自衛隊員などの不在者投票事務で2度足を運んだ。どちらも1泊する予定だったが、天候の関係で1時間ほどの滞在で終わってしまったという。「海の中にポツンと浮かぶ緑色の島で、潜りたいと思った」
タンクを背負うスキューバダイビングこそ引退したが、68歳の今も時間を見つけて小笠原の海に潜っている。



