【リレーコラム】伊藤伸泰/理化学研究所 計算科学研究センター研究チームリーダー
還暦を迎えた私が小中学生を過ごした1970年代は、物価高騰・公害激化・交通戦争と、戦後復興の問題が顕在化した時代だった。国際的にはオイルショック、文明論的には18世紀以来続いてきた動力機械の指数関数的な成長が鈍化し始めた時代でもある。産業革命以来、連綿と続いた成長シナリオが破綻した時代と言ってもよい。そして72年には「成長の限界」が発表された。当時のコンピューターシミュレーションが「指数関数的に増える人口は100年以内に食料・資源の供給や環境の限界を超える」と警鐘を鳴らした。
以来、半世紀にわたりグローバルに食料・資源・環境の限界が認知され、その対策が最重要課題と認識される一方、日本を含めた多くの国々で少子化・人口減少が加速していく。現在約80億人の世界人口は2080年代に約100億人に達した後に、減少に転ずるとの推計がある。人類に成長の限界が先にくるのか、それとも逃げ切るのか、今世紀は知恵が問われている。
私にかぎらずみんな、うまく逃げ切ってより明るく幸せな未来を期待しているだろう。そこで重要となるのは、知恵と知識を涵養し活用することだ。グローバルに協力し合うことで最大の効果が得られよう。幸い現在において、活用のためのインフラはこれまでになく整っている。そのインフラとは、情報・通信技術を指す。観測データを収集し、分析・予測のためのシミュレーション技術も「成長の限界」の頃と比べて相当に進んでいる。付け加えると、人々を協力に導くにはどうすれば良いか、という研究分野でも現代のスーパーコンピューターの活用が成果をあげている。
実際に、1970年代以降の半世紀、世の中を大きく変えたのは言うまでもなく、コンピューターの成長だった。60年代から1年半で2倍のペースの指数関数的な成長を続けてきた。また、通信性能も90年代から9か月で2倍のペースで、その成長とともに活用分野は広がり、生成AIの実現を支えるまでになった。
インテル4004との出会いが今に
小学生の時に秋葉原で売られていたインテル4004を眺めて心躍らせていたことを思い出す。4004は日本のビジコン社とインテル社が共同開発した世界初のCPUだ。中学校に上がると、NECが発売したワンボードマイコンを組み立てて、日がな一日プログラミングで過ごしたのは良い思い出だ。以来、コンピューターに取りつかれ、神戸の「富岳」を楽しみつつ、将来の量子コンピューターなどに思いを馳せているところである。

※次回は、キャベンディッシュ・ニュークリア・ジャパンの彦坂淳一さんです。