【書評】福島事故後の原子力規制見直しに携わった官僚が描いた、事実に基づく私小説

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規制当局の動きの内幕がわかる
原子力規制に関わった経済産業省出身の工学博士とされる匿名作家が書いた本だ。東京電力の福島第一事故の後で、現在の原子力規制制度をめぐる法案作りにも政府の外から参加したという。
小説の形式で登場人物と会社・組織名は隠して記述しているが、現実の出来事と重なる。原子力・エネルギー政策を見てきた人は「あの時、経産省や原子力規制当局の内部の人々はこんな考えを持ち、こんな動きをしていたのか」という新しい発見があるだろう。
現在の日本の原子力規制制度は、福島事故の後で、米国のNRC(原子力規制委員会)の制度を形の上では模倣している。しかしNRCの規制の長所である、事業者との対話、合理性と経済性の追及を取り入れているようには思えない。対話不足、独善、審査の遅れが批判されている。
日本政府はこの事故直後に新規制制度を拙速に作った。当時の民主党政権と政府は継続性の強い案を作ったが、NRCの仕組みを取り入れようと提案する当時の野党の自民党案をある程度飲み、中途半端な形になった。今に続く原子力規制の混乱は、それが影響していると思える。このことは、著者も残念がっている。
2011年当時、規制制度づくりの当時の国会審議を聞いて、筆者は自民党側が異様にNRCに詳しかったことを驚いた。誰がアドバイスをしているのか不思議に思い調べたが、表向きは高村正彦氏、塩崎恭久氏の2人の衆議院議員(現在は引退)が東大の学者チームの協力で作ったとされていた。その協力者の中に、NRCに勤務経験のあるこの本の作者も深く関わっていたようだ。
無責任、楽観視、企業や官僚機構の本音
この小説には、組織外から見えない原子力関係者の本音が見える場面がある。主人公は福島事故の一報を受けて事故処理に協力するために、出向していた大学から役所に戻ろうとする。すると、一緒に出向していた官僚が言う。「役所なんかにいたら責任を取らされるぞ。賢い役人はそんなことはしない。事が起こった時は、通り過ぎるまでじっと潜んでいるのが身のためだ」。
チェルノブイリ事故を研究した主人公がベント設備の充実を業界に提案しようとする。これは事故が起きた時に、原子炉が制御できず格納容器に過度な圧力が加わった時に、その容器破損を避けるため部分的に炉を開けて圧力を開放する装置だ。福島事故ではその装置があったものの適切に動かず、2号機の格納容器と炉の破損が起き、放射能が漏れた。すると当時、電力会社の担当者は「我が国では、チェルノブイリのような過酷事故が起きるとは考えられませんから、ベント系整備の必要はありません」と返事をした。
福島で起きたような原子力発電所での全電源の喪失、津波による旧型炉での重要機器の破損の危険性も事前に規制当局内で警告され、シビアアクシデント対策の法制化は検討されていた。しかし、責任逃れ、そして楽観的見通しという、官僚機構のいつも現れる弊害に阻まれたようだ。
危険は認識されていたのに、なぜ事故を止められなかったのか。本当に残念だ。この本でも深掘りが欲しいが、作者は「無念」と繰り返している。
適切な規制、原子力政策に何が必要か
日本の原子力規制は、福島事故を起こす形で失敗した。そして、その後に立ち上がった原子力規制委員会・規制庁の体制も問題を抱える。審査の遅れ、国民や事業者との対話のなさ、説明不足、規制の合理性を検証しないなどだ。
規制を適切に機能させるための解決法として、主人公つまりこの作者は、米国式の原子力規制の手法と思想の導入を官僚時代から試みたという。確率論を取り入れ危険な部分を重点的に対応する規制、対話を通じて「規制者と被規制者が、相互に信頼しあった上で、規制者は被規制者を信頼するが確認する」(本書より)という姿勢だ。
しかし政策転換を主張したことで、規制当局の中でメインストリームから外れていったようだ。なぜ、それが形にならなかったのか。作者の反省に物足りなさも抱くが、組織の中での戦いは大変であっただろうと推察する。
できれば小説という形ではなく、しっかりした論考を残して欲しいが、それができない事情と判断があったのだろう。
この本を読むには原子力問題や過去の経緯にについて、ある程度の知識が必要だ。しかし、その知識を持つ人には、読めば、原子力政策のこれまで、そしてこれからの問題点が見えてくる。関係者にはぜひ一読を勧めたい。原子力規制の実態を知り、そこからの問題点を直視した自由な議論が、原子力規制、その先にある国民のエネルギー利用の姿を、より良いものにしていく。


