【福島廃炉への提言〈事故炉が語る〉Vol.15】石川迪夫/原子力デコミッショニング研究会 最高顧問
福島第一の廃炉でまず必要なことは、破損・汚染の状況を炉ごとに克明に記した地図の作成だ。
地図なしでの廃炉工事は無謀であり、廃炉方法の検討などは地図ができてからにすべきだ。
これまで内外の原子力事故について話してきた。そこから得た教訓は、事故の経緯は炉ごとに違い、破壊や汚染の状況も原子炉ごとに異なるであった。従って、廃炉も炉ごとに異なる。今回は廃炉を行うに当たっての必要な準備について述べる。
まず諸外国の状況から。米国のSL-1(静止型低出力原子炉1号)は廃炉を完了した唯一の事故炉だ。30年で完了できたのは、単純な暴走事故であったことと、発生が燃料交換の直後であったので、放射能の放出が少なかったことによる。廃炉に先立ってBORAX(Boiling Reactor Experiments)、SPR(Special Purpose Reactor Test)の暴走実験を行い、事故の実体を把握した上で解体工事を始めたことが円滑な廃炉に役立った。
これに比べて、TMI事故の検証は同じ米国でも手ぬるい。冷却水の注水直後に炉心溶融したことに気付かず、炉心溶融は崩壊熱で起きるとした従来の考え方に従った解析を行っただけで、実験による確認を行っていない。
解体作業の経験をもとにして作り上げた熔融炉心のスケッチ図は素晴らしいが、米国は図の解明をしていない。例えば、卵の殻の形成理由や、燃料デブリと溶融炉心とが別々に存在する理由などの説明がない。TMIの事故究明はまだ終了していない。
なお最近、TMIの廃炉工事再開のうわさを耳にした。格納容器の内部で作業できるのは汚染が少ない証拠で、恐らくその理由は炉心溶融ガスが深い水槽を持つ加圧器を通って格納容器に入ったことによろう。これはBWRの水ベントの「うがい効果」と同じで、大きな除染効果を持つ。
チェルノブイリ事故は、ゴルバチョフのグラスノスチ時代に起きた。おかげで、事故説明に隠し立てはなく、あるがままの破壊状態を見せてもらえたのは幸運であった。すさまじい被害実体はよく理解できたが、事故の原因や経緯の検討は十分ではない。
風雨が降り込んでいた石棺は、EUの出資で新建造物(覆い)が造られ、雨風も止まり、放射能の外部飛散もなくなった。米国地質学会誌によれば、30㎞圏の強制避難地域は野生動物の天国と化し、コロナ直前には年間10万人の見物客が押し寄せたとある。チ炉は事故状態から脱却して、安全管理による廃炉状態になったと安心していたが、ウクライナ侵攻で発電所が占領され、退却途中にロシア兵が陣を張り、多数が被ばくしたとの報道があった。今後どうなるか。
英国研究所の炉心溶融事故 60年後も手付かずに
発電炉ではないのでこれまで述べなかったが、世界で炉心溶融事故を起こした一番手は英国のウインズケール研究炉(金属燃料・黒鉛減速炉)だ。事故後60年がたつが、熔融炉心にはまだ手が付いていない。研究所は牧畜を営む静かな農村にあり、周囲との関係は良好で、住民に事故を気にしている様子はない。英国の国民性は、米国のように経済が最大関心事でもなければ、日本のようにせっかちな律儀者でもない。廃炉はTMIの様子を見た後に行えばよいと、どっしり構えている。下手に急いで、金を使って被ばく者をつくるのは無駄と考えているようだ。外国の概況は以上だ。解体撤去工事を急ぐ気配はどこにもない。
福島の廃炉は、これまで発表された政府見解から述べる。
2011年12月に政府が決定した中長期ロードマップは「30年~40年後に廃止措置の終了を目標とする」とあり、過去5回の改訂を経たが、内容に変更はない。
13年に発足した国際廃炉研究開発機構はこの意向を受けて、「溶融炉心の状況や所在の調査をすることから始めて、40年後の廃炉完了を目指す」と発表した。
16年12月に経済産業省が廃炉機構の試算として発表した廃炉費用は、明確な根拠はないとしながら、2兆円の東京電力の当初予算を大幅に増大して、8兆円にした。 過去に公式に示された政府の意向は以上だ。委員会の議事録などを散見する限り、40年での廃炉完了の方針に変更はなさそうだ。
この10年間、東電が行った仕事は、ほとんどが事故の後始末だ。列挙すれば、発電所の破壊調査、放射性物質の飛散防止、港湾の整備、汚染水の海洋流出防止、汚染水の浄化および貯蔵、地下水の流入防止工事など、みな事故処理仕事だ。廃炉の仕事は、使用済み燃料の施設外輸送と、ロボットによる格納容器内部の小手調べ調査くらいだ。今、問題の浄化水の海洋放出が終われば、事故の後始末はほぼ終了し、廃炉の出番となる。
炉ごとに異なる福島の廃炉 まず克明な地図の作成を
事故炉の廃炉は炉ごとに異なると冒頭に述べたが、福島第一の廃炉も炉ごとに異なる。まず最初に行うべき仕事は、それぞれの事故現場の状況を図面に表すことだ。言い換えれば、各発電所の破損と汚染の状況を克明に記した地図の作成だ。地図なしでの廃炉作業は、海図なしで見知らぬ海を航海するのと同じくらい危険。廃炉方法の検討などは、地図ができてからの話だ。
まず克明な状況の把握が必要になる
正確な地図を作るには、①事故現場を詳細に調査し、②事故経緯から発生事象を推考する―の二つが必用だ。実用に耐える地図を作るには、両者をつき合わせて検討する頭脳と技術の協力が欠かせない。炉心解体での掘削速度の相違をヒントに作ったというTMIのスケッチ図は、地図作成のお手本だ。出来上がる地図が完成していれば工事は成功し、不完全であれば難航する。廃炉の成否は地図の精度にかかっている。
東電は今、地図作成の時期にきていると思うが、その準備は始まっているのであろうか。率直に言って、そうは見えないのだが。
地図の作成は、現場の調査だけではない。②で①を考え、①で②を修正していく繰り返し作業だ。他人の意見に耳を傾け、議論を重ね、相補う忍耐が肝要だ。失礼ながら、誇り高い東電職員は、事故の責を負う気概が強い故か、この手の協力が苦手に見える。地図作成は、記憶がまだ残る今しかない。己を捨てての実行を期待する。
福島事故については、日本はまだ正式な発表を世界に対し行っていない。世界は一時、事故解明を支援する姿勢を日本に示したが、あまりにも反応がないのにあきれて、忘れたふりをしてくれている。地図作成を機に判明した範囲でよい、福島の現状を世界に伝えてはどうか。
いしかわ・みちお 東京大学工学部卒。1957年日本原子力研究所入所。北海道大学教授、日本原子力技術協会(当時)理事長・最高顧問などを歴任。
・福島廃炉への提言〈事故炉が語る〉Vol.1 https://energy-forum.co.jp/online-content/4693/
・福島廃炉への提言〈事故炉が語る〉Vol.2 https://energy-forum.co.jp/online-content/4999/
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