NTT時代の知見を生かして、千葉市のレジリエンス化に向けて尽力する。阪神・淡路大震災も経験し、史上最年少の政令指定都市市長となった。
生まれは奈良県天理市だが、父親の転勤で大阪府堺市、千葉県浦安市、兵庫県神戸市で少年時代を過ごした熊谷氏。政治に関心を持つきっかけには、「高校生2年生の冬に、阪神・淡路大震災で被災したこと」を挙げる。
震災では、電気・水道・通信など、生活に欠かせないライフラインが分断。「都市計画を日ごろからどう進めるかが、防災にとって重要だと幼いながらに感じた。災害対応は国政の対応よりも、県知事や市長の判断力が問われる。被災を経験した一人の住民として、地方政治に参加したい」との思いを抱いた。
早稲田大学政治経済学部に入学し、卒業後はNTTコミュニケーションズに入社。当時の直属の上司は、現在NTT社長の澤田純氏だった。就職後も政治に対する関心は高かったといい、思いを知る別の上司から「政治家に会ってみないか」との話を受ける。議員会館で、当時民主党の代議士だった田嶋要氏と面会。ちょうど千葉市議選の候補者公募が行われていたこともあり、公募参加の誘いを受ける。その後は大前研一氏が主宰する政治塾に入塾し、公募にも合格。2007年に行われた市議選に出馬し、当選を飾った。
市議として活躍していた09年4月、大きな転機を迎える。鶴岡啓一・前千葉市長が収賄で逮捕される事件が発生したのだ。鶴岡氏を支援していた自民・公明陣営の新たな候補者の対抗馬として、熊谷氏に白羽の矢が立った。同年6月に市長選が行われると、過去最高得票を得て当選。政令指定都市では最年少の、31歳4カ月の若さで千葉市長となった。
NTT・東京電力と連携 電気・通信の強靭化に注力
市長としては、11年に東日本大震災、19年には台風15・19号など、未曽有の大災害を相次いで経験。東日本大震災では、千葉市内各所の住宅の損壊、土砂崩れのほか、液状化も発生し、停電や都市ガス供給に支障を来す被害を受けた。その後、市は民間企業と防災に向けた取り組みを進めたが、その最中に台風15・19号が千葉県に襲来。館山市、南房総市など房総半島の広い範囲が長期間にわたって停電に遭い、千葉市でも若葉区、緑区など内陸部の住宅地で数日間にわたって停電が発生した。
「メディアで千葉市内の状況はあまり報道されなかったが、停電で電気が使えないことに加え、水道のポンプが停止したため断水した地域も多かった。千葉にとっては東日本大震災以上の被害が起きた印象だ」と振り返る。
こうした災害の教訓を生かし、4月に東京電力、NTT、NTTアノードエナジー、東電とNTTの合弁会社であるTNクロスが、千葉市のレジリエンス(強靭性)能力を高める取り組みを行うと発表。市内182カ所の避難所に太陽光発電と蓄電池などを導入するほか、NTT東日本千葉支店の周囲に自営線を敷設し、災害時に電力供給を行うという。
東電、NTTグループと連携した防災力の強化について、「18年の北海道のブラックアウトでもそうだが、電気が止まれば通信機器も使えなくなる。私自身、NTTに勤めていた時から、電力と通信は密接な関係にあり一体的なものだと感じていた」と説明する。また古巣のNTTについては、「澤田社長に『電力と通信の強靭化で一緒に何かできませんか』と相談すると、『NTTも電力をしっかりとやらなればならない』と、熱意を持って応えてくれた」と語る。これまで千葉市が民間企業と多くの連携を行ってきたことに加え、熊谷氏の人脈も、電力と通信の融合によるレジリエンス強化という試みに乗り出した大きな要因かもしれない。
また市の内陸は農村地帯が広がり、太陽光発電所も多い。地元住民からは「太陽光を自分たちのレジリエンスのために使えないか」との要望も受けていた。「台風で甚大な被害を受けた地域だからこそ、電力強靭化政策に市民・議会の理解を得られた。これを災害に強いまちづくりの旗頭の一つに据えて取り組みたいと考えている」と抱負を述べる。
座右の銘は「温故知新」。歴史好きであるだけに「歴史の歩みを知ることで、学べることは多い」と、趣味が過去の教訓を生かした政策作りに反映されているのかもしれない。
目下、千葉県知事選への出馬も取り沙汰されている。出馬について聞くと「あくまで報道で出ているだけですよ」とさらり。とはいえ「千葉県には海も山もあり、畜産や新鮮な農水産物もある。いわば東京の隣にある北海道のようなもの。千葉のブランド力向上や地域のアピールを積極的に行いたい」と、さらなる活躍に向け意欲を示した。
自治体首長の中で、ツイッターのフォロワー数は大阪府知事の吉村洋文氏、都知事の小池百合子氏、大阪市長の松井一郎氏に次ぐ4番目。情報発信能力に定評のある熊谷氏の今後に関心が高まりそうだ。