【福島廃炉への提言〈事故炉が語る〉Vol.3】石川迪夫/原子力デコミッショニング研究会 最高顧問
1961年1月、米海軍の訓練用試験炉SL―1で世界初の炉心溶融事故が起きた。
事故原因の調査・研究が行われた後、解体撤去が行われ、97年に廃炉が完了している。
過去、炉心溶融事故を起こした発電用原子炉は、世界に6基ある。古い順に、米海軍の訓練用試験炉SL―1、スリーマイルアイランド(TMI)、チェルノブイリ、福島第一(3基)である。本稿では、事故炉についての廃炉の現状を、事故の経緯とともに今後述べていく。今回は順序に従ってSL―1の話だ。
SL―1事故を知らない人は多い。だが事故を起こした炉で、廃炉が終了したのはSL―1だけだ。SL―1は、米国アイダホ州の国立原子炉実験場(NRTS)に設置された初期の加圧水型炉(PWR)で、潜水艦の運転訓練に使われていた。カーター元大統領が原子炉を学んだのがここだ。
SL―1事故は単純な反応度事故で、補修員が停止中の原子炉から制御棒を手で引き抜いたことで起きた。理由は失恋による自殺という。巻き添えで、同僚1人が重篤な放射線被ばくで死亡した。
自殺志願者は、制御棒を引き抜いた瞬間、驚いたに違いない。立っている大地(原子炉容器)が、衝撃音と共に突き上がったからだ。原子炉は暴走状態となり、その熱で燃料棒が熔融蒸発して飛び散り、水蒸気爆発が起きて(水素爆発ではない)事故は終了した。
炉心の上部を覆っていた水は、水蒸気爆発によって一塊となって跳ね上がり、原子炉上ぶたを強く叩いた。いわゆるウオーターハンマー(水撃力)の発生である。
水撃力で打たれた原子炉容器は、飛び上がる過程で冷却配管を剪断し、クレーに激突して元の位置に戻った。剥がれた断熱材が、座蒲団のように原子炉の下に敷かれていたという。
冷却配管の剪断によって、粉々になった燃料と冷却水が炉室に噴き出した。幸いにも燃料棒が交換されたばかりだったので、炉心の放射能は暴走による核分裂だけで、外部への放散量も微量であった。
暴走の時間は約100分の1秒、最大出力は約1000万kW、そのエネルギーは13万kW秒(40 kW時)と推定されている。
非現実的な数字を羅列したのは、反応度事故の実体を知ってもらうためだ。核分裂反応がいかに早くて大きいか。原子力は常識を越える存在なのだ。事故の発生は1961年1月、この当時は、反応度事故が原子炉の最悪事故と考えられていた。
余談だがこの頃、日本初の原子力発電所、JPDRの契約が日本原子力研究所と米国GE社の間で結ばれようとしていた。その直前の事故だ。今なら大問題であろうが、当時は小さな記事であった。
困難な事故の原因立証 英国がアメリカに助け舟
短時間に大出力が発生して、原子炉が破壊した。火薬の爆発に似ている。こう考えた米国は、爆薬や火薬を使った再現実験を行った。だが成果は芳しくなかった。圧力容器に残された変形が模擬できず、容器が破裂してしまうのだ。
原子炉で生じる最悪事故の原因が立証できないとなれば、軽水炉の開発は宙に浮く。米国は困ったらしい。この時、イギリスが助け船を出した。電気加熱ヒータで炉心を模擬したモックアップを作り、大電流を流したところヒータが溶けて、水蒸気爆発が発生した。容器の変形も似ている。この実験で、反応度事故の破壊原因は水蒸気爆発と判明した。
ここで一服してクイズを。水蒸気爆発と、福島第一で起きた水素爆発とでは、どちらが怖いか?
答えは、水素爆発。それもけた違いに。水素爆発に較べると、水蒸気爆発など赤ん坊の様に可愛らしい。だから、容器は破壊しないで変形したのだ。これが解答。覚えておいて損はありませんよ。
以降の米国は、暴走の本質を解明するために、「BORAX」「SPERT」の実験を矢継ぎ早に実施する。SL―1の破壊原因は分かったが、水蒸気爆発の発生理由は何か、暴走出力と水蒸気爆発の関係は何か等々、反応度事故の謎を追求し続けた。これがほぼ究明されたのが事故後約10年、1970年ごろのことだ。
SL―1のオフィスを利用 米国が示す解体撤去の本質
僕はSPERT(Special Pow-er Excurtion Test)の暴走実験で留学時代を送った。この縁で、廃炉を担当する以前の30年間は、燃料破壊の実験を本職としていた。
留学時代、偶然に2日ほどをSL―1のオフィスで過ごした。原子炉建屋内側の壁は除染作中で、グラインダーの音が間歇的に響いていたが、きれいに除染された外側はオフィスとして使用していた。
ここに税金の無駄を嫌う米国の国民性が現れている。飛散した燃料の後始末が終われば、原子炉建屋も倉庫として利用する。この発想は、残念ながら日本にはない。
元来、解体撤去の目的は、放射能を取り除いた跡を自由に再利用する所にある。それは、土地だけではない。建物も同じだ。米国が示した解体撤去の本質、読者はしっかりと覚えておいて欲しい。
初の炉心溶融事故を起こしたSL-1
SL―1の廃炉は、主要部分が84年に、最終的なサイトの除染が97年に完了した。廃炉完了まで36年、事故炉としては短い。
理由は、第一に原子炉室の放射線量が低かったこと、第二にBORAX、SPERTの実験により事故を確かめた上で、安心して工事が進められた事が挙げられる。さらに今一つ、事故が単純な暴走事故だけで終わった事実を挙げたい。ほかの事故では、第2、第3のミスが事故を災害にしている。
例えば、TMI事故では、原子炉冷却材ポンプを不用意に回したことで、高温のジルコニウムと水の化学反応が起き、炉心が熔融し、水素爆発が生じた。炉心溶融と爆発は、事故時の対応の不味さが招いた第2の災害といえるのだ。
チェルノブイリも福島第一も、付随災害の発生が事故を災害に仕立てている。事故一つで終れば災害に至らずに済んだ。事故を一つに止め、付随災害を起こさせない、これは国防も安全も同じだ。
原子力安全が援用する米国の国防思想、深層防護哲学(Defense in Depth Philosophy)が教えるところが、これだ。
いしかわ・みちお 東京大学工学部卒。1957年日本原子力研究所入所。北海道大学教授、日本原子力技術協会(当時)理事長・最高顧問などを歴任。
・福島廃炉への提言〈事故炉が語る〉Vol.1 https://energy-forum.co.jp/online-content/4693/
・福島廃炉への提言〈事故炉が語る〉Vol.2 https://energy-forum.co.jp/online-content/4999/