【業界紙の目】中村直樹/科学新聞 編集長
コロナ禍でm(メッセンジャー)RNAワクチンが1年以内に開発・生産された。
欧米で新型コロナワクチンが迅速に開発できた理由と、いまだそれができない日本に足りないものは何か。
この原稿を書いている2021年12月初め時点では、日本国内の新型コロナウイルスの感染は落ち着いているものの、オミクロン株の出現と世界での感染拡大、国内での患者の発生により、予断を許さない状況になってきている。
新型コロナウイルスは、その表面にスパイクタンパク質という多数の突起を持っており、それが人間の細胞のACE2受容体(細胞表面にあるタンパク質が結合する部分)と結合し、ウイルスを構成するRNAゲノム(人間のDNAに相当する)を細胞の中に流し込むことで感染する。ウイルスのRNAゲノムは人間の細胞が持つシステムを利用して細胞内で自分のコピーを作り、それを細胞の外に出すことで増えていく。そして次の細胞に結合してさらに増殖する。
こうしたウイルスに対して、人間の身体は二つの免疫システムで対抗している。一つは自然免疫と呼ばれ、体外から入ってきたウイルスや細菌などを、それらの種類には関係なく攻撃する。もう一つは獲得免疫で、一度入ってきたウイルスを覚えておいて、それに特化した対抗手段でウイルスの増殖を抑えたり、攻撃したりする。
ワクチンは、この獲得免疫の役割を強化する。つまり、ウイルスが最初に細胞に取り付くときの目印となるACE2受容体と似たものを作ってウイルスのスパイクタンパク質に被せてしまうことで、そもそも感染できなくする。また、対象のウイルスを攻撃する能力も強化する。
ウイルスの許容量がカギ 欧米ではmRNA研究に実績
ウイルスが自分のコピーを作るときにミスをすることがある。このRNAゲノムのコピーのミスによって、いろいろな変異が起こるが、ダーウィンの進化論でいう適者生存によって、たまたま環境に適して生き残ったものが変異株と呼ばれる。そのため、市中に出回るウイルスの種類は、初期の武漢株からアルファ株やベータ株に変異し、より感染力の高いデルタ株に置き換わってきた。
また、ワクチンを2回打ったのにどうして感染するのか。一言でいうと、自然免疫とワクチンで強化した獲得免疫による許容量を超えるウイルスが喉や肺などに入ったためだ。呼吸する以上、人体内には常にウイルスや細菌が入ってくるが、免疫システムが攻撃して感染を防いでいる。例えば居酒屋で飲んだ時、近くに感染者がいたとして、○分間に入ってくるウイルス量は自然免疫で対抗できるが、それ以上経つと許容量を超えて感染する。ワクチンで免疫を押し上げると許容ウイルス量が増えて、□時間までは免疫システムが入ってきたウイルスに対応するが、それを超えると感染してしまう。同じ空間にウイルスを排出する感染者が多いほど、感染までの時間は短くなる。従って2回打っていても許容量を超えれば感染する。
新型コロナウイルスのワクチンとして最初に登場したのが、mRNAワクチン。mRNAは、体内でさまざまな情報を伝えることでタンパク質を作らせたり、免疫の機能を強化したりする。上手く利用すれば、さまざまな病気の治療に使えるのではないかと1970年代から考えられてきたが、成功しなかった。mRNAを体外から入れると激しい拒絶反応が起こり、細胞が死んでしまうからだ。
この拒絶反応を防ぐ方法を開発したのが、ハンガリー人の女性研究者カタリン・カリコ博士。彼女は70年代に当時社会主義国家だったハンガリーから米国に研究者として渡りmRNAの研究を続け、2005年に拒絶反応を抑えることに成功する。しかしペンシルベニア大学では冷遇され、09年には上級研究員から非常勤研究員に降格されてしまう。それでも諦めず研究と講演活動を進めていると、ドイツのビヨンテック社(08年設立)の創業者ウダル・サヒン博士と出会い、同社のバイス・プレジデントに就任し、mRNAワクチンの開発に取り組む。
ワクチンと言うと、日本では感染症に対するものというイメージが強いが、世界の研究界で主流になっているのはさまざまな疾患に対するワクチンだ。ビヨンテックが開発を進めていたのは、ガン、インフルエンザ、ジカウイルスに対するワクチンで、18年からはファイザーと共同でmRNAを使ったインフルエンザワクチンの開発に着手していた。
20年1月に中国・武漢で発生した新型コロナウイルスに関する論文が出ると、同社はすぐにワクチンの検討を始め、3月にはファイザーと共同研究契約を締結し、4月には臨床試験を開始。11月には臨床試験の結果が出て、FDA(米食品医薬品局)での認可を得て、接種が始まる。
日本は基礎研究不足 ベンチャー巡る環境も不利
凄まじいスピード感で開発が進んだ欧米と異なり、日本では新型コロナワクチンは開発できなかった。さまざまな理由があるが、一つはワクチン開発の基礎研究が不十分だったことだ。一部の研究者はmRNAワクチンも検討していたが、カリコ博士の40年来のノウハウに敵うはずもない。また不活化ワクチンなどについても、感染症に対する研究資金が元々少ない。新型インフルエンザ流行時(09年)から数年間は増えたものの、その後予算は縮小され、多くの研究者が離れていった。

決定的な違いは、創薬系ベンチャーと大企業の姿勢だ。米国では、新薬の約半分がベンチャー発であり、そうしたベンチャーには投資が集まり、製薬大手も投資や買収に活発に取り組んでいる。一方、日本では創薬ベンチャーが増え始めたものの、ベンチャーキャピタルの投資はIT系に集中し、時間のかかる創薬系への投資は少ない。また大手製薬企業も買収や投資、共同には消極的だ。こうした姿勢を変えない限り、同様の危機に対応することは難しいだろう。
日本政府は、ワクチン開発・生産体制強化戦略を閣議決定し、今回の補正予算でも8101億円を計上しているが、重要なことは、基礎研究から実用化に至る継続的なエコシステムを構築できるかどうかだ。
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