被災地では多くのエネルギーインフラが被害を免れず、関係者はさまざまな課題に直面した。
他方、これまでの教訓が生きた場面も。甚大な複合災害に対峙した現場の生の声を拾った。
能登半島地震ではマグニチュード7・6、最大震度7を観測し、津波や液状化、火災といった大規模複合災害により、インフラの復旧は困難を極めた。道路の寸断や断水が長期に及び、かつ冬場の発災で、自らや家族が被災者というケースもある中、エネルギー関係者はどのように復旧に当たり、何を感じたのか。4月上旬に現地を取材し、当事者に発災から現在までを振り返ってもらった。
〈配電部門〉 困難極めた停電復旧
電力ネットワークでは今回、送変電設備でも一部被害があったものの、顕著だったのは配電設備だ。3月末時点で電柱の傾斜2310本、折損760本、断線・混線が1680カ所となっている。無電柱エリアでも路上機器に家屋が倒壊するなどの被害があった。
地震発生直後、石川県の能登地域を中心に約4万戸が停電し、北陸電力や他電力の応援部隊はアクセス可能なエリアから段階的に作業を実施していった(グラフ参照)。当初約200人が現地に入り、最大時は一日1400人規模で対応した。もともと奥能登の二つの事業所は所員が少なく、多数の人を投入してもさばききれないため、受け入れ可能な最大規模の人員が現地に赴いた。

提供:北陸電力
需要側設備の健全性が確認できない場合などを除き3月中旬には復旧したが、その間の苦労はほかの災害の比にならないものだった。北陸電力送配電配電部の越中洋・業務運営チーム統括は、「昨年末も奥能登では雪害があり、除雪し倒木を避けながら復旧作業を行った。しかし今回は複合災害であり、断水や渋滞も長期化。通常の停電復旧ではまず巡視し、被害を想定した上で班数などを考えるが、今回はそもそも巡視できないエリアが多数あった」と振り返る。特に被害が甚大な珠洲市や輪島市は、広いエリア内に設備が点在する上、なかなか現地に到達できなかった。
現地に入った作業員は3泊4日でローテーションを組み、被災地からいったん帰ってもすぐまた出向く、という日々がしばらく続いた。渋滞も悩みの種で、「ひどい時は金沢から珠洲に8時間かけて行き、1時間だけ作業して帰るなど、とにかく非効率だった」(越中氏)。また、罹災証明が発行されるまで道をふさぐ倒壊家屋を撤去できず、復旧させたくてもできない。1月いっぱいはそんな状況だった。
液状化で電柱が傾いたり沈下したりという箇所は、通電に問題がなければいったん仮復旧し、後から修復していくことになる。そうした対応にもまだ2年程度はかかる見通しだ。
そして何といっても、作業環境の改善がなかなか進まない点での苦労がつきなかった。通常であれば日が経つにつれ現場の環境はどんどん改善していくものだが、今回、1月ほど過酷な環境ではないにせよ、3カ月たっても大きく改善せず。現在でも共同の風呂や仮設トイレを使い、プライベート空間が限られる中で作業を続けている。
ただ、「大変な状況でも現場の配電復旧や後方支援は頑張ったし、雪慣れしていない他電力の人も1月いっぱいフルに活動してくれた」(同)。現在は仮復旧から本復旧の段階に入るとともに、仮設住宅への対応などが多くなってきた。今後、現場が直面した課題などを聞き取り、これからの訓練などに生かす方針だ。

提供:北陸電力
災害時連携計画が効力 応援要請が円滑に
越中氏は「場面場面で、これまでの災害の教訓が生きていたと感じた」とも強調する。まず大きかったのが災害時連携計画の存在だ。5年前の房総半島台風の教訓から、一般送配電事業者は同計画を策定し、経済産業省への届け出が義務付けられた。同計画に基づき今回、陸上自衛隊や海上保安庁の協力を得て、アクセス困難なエリアには作業員をヘリや船で輸送した。特に海保とは3年前に災害時の協定を結んだばかりだったが、ルールに基づき円滑に応援を求めることができた。
また、同計画では、仮復旧に関して全電力で統一した仕様・工法で行うこととしている。以前は応援に行くと部材や工法の違いに戸惑うことがあったが、ある程度統一できており、また統一できていないものについても拠点で作業前にレクを行うことでスムーズに対応できた。
さらに、経産省のリエゾンの存在も大きかったという。「リエゾンが災害対策総本部会議に参加して各部門が困っている話を吸い上げ、例えば道路啓開などの件で国土交通省に掛け合うなど、他省庁との懸け橋になってくれた」(同)
他方、昨年に一般送配電事業者の顧客情報漏えい問題が明らかになったことを受け、災害対応時も非公開情報や個人情報の扱いには最大限の配慮をしながら対応したと振り返る。