【原子力の世紀】晴山 望/国際政治ジャーナリスト
通貨下落に伴う物価上昇を背景に、イランの3月消費者物価指数は前年比37・1%増に。
厳しい経済制裁を米国から受けてまで、核開発を断念せずに続けるのはなぜなのか。
米国のトランプ政権が日本や欧州、中国などに相互関税をかけ、世界の金融市場が大混乱に陥っている。米国との貿易がないイランは、ロシア、北朝鮮などと同様に相互関税の対象にはなっていない。だが米国による「最大限の圧力」が続く中、通貨イラン・リヤルの暴落が止まず、3月末には、とうとう1ドル=100万リヤルを割り込み、紙切れ同然になりつつある。
そんな大打撃を受けているイランが核開発に乗り出したきっかけは、イラン・イスラム革命翌年から始まったイランイラク戦争だ。混乱が続くイランをたたくのは絶好の機会だとみたイラクのサダム・フセイン政権は1980年9月、イラン侵攻を始める。虚を突かれたイランだが、果敢に反撃し、戦争は長い小康状態に入った。
最前線では、現在のウクライナ戦線と同様、双方が塹壕を掘り巡らした。総攻撃を仕掛ける際は、敷き詰められた地雷を「踏み潰し道を開く」ため、年端のいかない少年兵を大量に投入、地雷を爆破した後に戦闘車両が進軍する悲惨な闘いが続いた。テヘラン市内を歩くと、地雷を踏み命を落とした少年兵の顔写真が多く飾られている。
イラクは友邦ソ連から調達したスカッド弾道ミサイルを使った。イランは北朝鮮から同様のミサイルを調達して応戦した。イラクは、化学兵器の使用にも踏み切る。イラン軍は対抗しようと開発を始めたが、最高指導者ホメイニ師は「多くの人を殺傷する化学兵器のような大量破壊兵器は、イスラムの教えに反する」と待ったをかけた。
カーン氏率いる闇商人 80年代から中東などへ
イラン軍は同時期、化学兵器より強力な殺傷力を持つ核兵器の開発も目指し始めた。当時、世界には核兵器開発に使う機器やノウハウを売りさばく複数の集団が居た。
ひとつは、欧州の英国・西ドイツ・オランダが共同で設立したウラン濃縮会社「ウレンコ」に、ウラン濃縮用の遠心分離機や、ベアリング、真空ポンプなどの関連機器を納入するメーカーだ。欧州のメーカーが中心だ。「ウレンコ」は欧州各国の原子力発電所用に濃縮度3~5%の濃縮ウランを製造している民間企業だ。だが、この技術を軍事転用すれば、核爆弾に使う濃縮度90%以上に達する濃縮ウランの製造ができる。
ウラン濃縮用の遠心分離機「IR-1」 出所:筆者撮影
もうひとつは、「ウレンコ」の技術を盗み取り、本国パキスタンに持ち帰った人物、A・Q・カーン博士が率いる「核の闇市場」だった。博士はパキスタンの「原爆の父」と呼ばれるなど国民のヒーローだった。核兵器開発に一段落がつき、今度は、自らが培ったノウハウやネットワークを活用して巨万の富を築こうと「市場」に参入した。
闇商人たちは80年代に入り、中東諸国や北朝鮮、ブラジルなど核武装を目指す国々に相次いで接触、遠心分離機などの売り込みを図った。
カーン博士のグループが最初に標的に定めたのは、独裁者・カダフィー大佐が支配するリビアだった。84年1月、「パキスタンは核兵器開発に10年の歳月と3億ドルを費やした。これを1億5000万ドルでお分けする。開発期間も半分になる」とリビアを口説いた。だが、リビアは、現時点は十分な技術的基盤が足りないと断る。
次の標的はイランだった。メンバーであるスイス人が、87年3月にテヘランを訪問、遠心分離機のビデオを見せながら欧州製の濃縮機器の購入を強く勧めた。それから1カ月後、スイスのチューリヒ空港で落ち合い、レマン湖の見えるホテルで2度目の面会に臨む。闇市場側は、イランが核兵器を取得するまで、全ての面で面倒を見ると説明、手はじめに、分離機の設計図やサンプルを2000万㌦で売り渡すと持ちかける。
11月上旬にアラブ首長国連邦(UAE)であった3度目の会合で商談は成立するが、イラン側は、「この分離機は欧州製ではなく、パキスタン製だ」と読み切っていた。イランは隣国パキスタンを「最貧国」と見下しており、購入数は限定的だった。遠心分離機は天然ウランの中にわずか0・7%しかないウラン238を分離するための機械だ。音速を超す速度で回す制御技術が難しく、ウレンコでも日本でも、実験中に「発射台からミサイルのように飛び出してしまう」事故が相次いだ。イランも同様だった。
分離機のノウハウつかむ 鍵握るトランプ氏との関係
モスクワ・赤の広場であったナチス・ドイツ打倒を祝う戦勝50周年式典に参列した翌日、クリントン米大統領はエリツィン露大統領とクレムリンで向き合っていた。クリントン氏は「イランは核兵器開発を目指している。イラン向けの遠心分離機や原発の輸出はやめて欲しい」と要請する。ロシアは原発輸出こそ主張を曲げなかったが、分離機輸出は米国の要請に従うことを決めた。
イランは再び、カーン博士の「闇市場」と接触、分離機や、パキスタンが中国から入手したという核兵器の設計図などを次々に購入する。試行錯誤を重ねたイランだが、若手の技術者の活躍もあり、徐々に分離機のノウハウをつかんでいく。2003年には中部ナタンツに設置した濃縮施設で運転に成功、これを機に濃縮の規模拡大を図っていく。
それから約20年あまり。国際原子力機関(IAEA)によると、イランは、原爆(濃縮度90%以上)製造まであと一歩の段階にある濃縮度60%のウランを約275㎏保有。原爆6~7発分に相当し、90%濃縮までの期間はわずか数日から1週間だ。
昨年11月のトランプ氏当選を受け、イランは翌12月から濃縮作業を加速した。「最大限の圧力」を復活させるというトランプ氏を意識したものだ。とはいえ、イランの経済状況は苦しく、イスラエルとの実力差も際立ち始めた。生き残るには、何とか米国と妥協点を見いだすしかない。イランは4月に入り、トランプ大統領からの要請を受け入れ、米国との直接協議に応じる姿勢を見せた。今後、両国の駆け引きが本格化していく。