◆なぜ安倍首相の存在感は大きくなったのか?
安倍晋三元首相が7月8日に暗殺されて亡くなり、その影響は社会のさまざまな場所、国際政治に至るまで広がっている。安倍氏の存在感の大きさを実感するが、ここまでそれが大きくなった理由は何だろうか。
理由の一つは、安倍氏が外交、国家観でグランドデザインを示したことにある。そして、それを示すことで安倍氏個人が日本外交を巡る「司令塔」となり、存在が大きくなった。安倍氏は日米同盟の強化、自由で開かれたアジア・太平洋の構築を訴えた。そのデザインを巡り人々が議論をし、彼の存在感が高まった循環が起きた。実際に安倍氏主導の提言や安全保障法制の整備など政策が具体的な形になって現実を動かしたことも存在感を高めた。
なぜ筆者はこんなことを考えたのか。令和3年度(2021年度)版の原子力白書を読みながら、司令塔も、グランドデザインも不在のままで、混乱の続く原子力発電、原子力産業のことを思ったためだ。
◆意欲は見えるが空回り?原子力白書
令和3年度版原子力白書が7月、閣議に報告された。特集は「2050年カーボンニュートラルおよび経済成長の実現に向けた原子力利用」というもの。内容は、経済との関係や社会的必要性を強調している。
原子力白書は、原子力委員会が取りまとめ、国の原子力政策の方向を記す文章だ。2011年の東京電力福島第1原発事故の後で、発表が一時止まって2015年から再開された。それ以来、「福島の反省」ばかりをテーマにしていたが、今年は雰囲気を変えた。
2020年12月、東大教授だった上坂充氏が原子力委員会委員長に就任した。その上坂氏の問題意識がこの白書では強く出ている。冒頭の序文で上坂委員長は「エネルギーは人間のあらゆる活動を支える基盤であり、誰にとっても他人事ではない」として、「じぶんごと」として捉え、考える必要性を自らの文章で訴えた。
(図)原子力白書概要 (同委員会ホームページより) http://www.aec.go.jp/index.html
しかし、せっかく白書をまとめたのに、メディアの取り上げや世論の関心は少ない。かつて原子力を巡って政府が何か発表すると大騒ぎした一部政治勢力は、今回特に騒がなかった。7月に参議院選挙と安倍首相の暗殺という大事件があり、別の問題に関心を向けた。
そして、この白書に原子力関係者の関心もいまひとつだ。電力会社は、再稼働準備と経営危機、電力不足対策でそれどころではない。メーカーも、原子炉新設がないので、積極的に動けない。
自民党の原子力活用派の中堅議員からは、「原子力委員会に政策をまとめる中心になってほしい。委員会は、白書をもっと目立たせる工夫をしてほしかったし、原子力活用をもっと強調してもよかった」という批判まであった。
◆司令塔探しで、原子力委員会に期待?
とはいえ、原子力委員会と上坂委員長の努力を批判するのは酷だろう。原子力委員会は1956年に設立された。その際に、学者を集めて原子力政策の理論武装と司令塔になることを期待された。しかし日本の行政府は予算が取れる場合には積極的に仕事をとり、問題がある仕事は他所に押し付ける傾向がある。原子力委員会は、1960年代に原子力発電が実用化されると原子力発電関係の権限を通産省(現・経済産業省)に取られ、70年代に高速増殖炉開発計画が持ち上がるとその権限を科学技術庁(現・文部科学省)に取られた。原子力委員会の仕事は核物質管理と政策提言に縮小させられてしまった。
しかし状況は変わった。東電の事故による混乱が収束しつつある今、関係者の間で原子力委員会への期待が急速に高まっている。自民党の議員は選挙があるために、社会に原子力の必要性を訴えづらい。経済産業省・資源エネルギー庁も原発事故の責任を問われ、事故の後に規制部門を分離させられて、権限と社会的信用を失った。東電の事故で行政機関の中では、組織として傷つかなかった原子力委員会が急に注目された。
上坂委員長は「このままでは原子力が衰退する。誰かが引っ張らなければ」という危機感を周囲に話しているという。今回の原子力白書の意欲的な発信は、上坂委員長の意欲と周囲の関係者の期待が背景にあるようだ。しかし白書ひとつでは、物事は動かない。原子力を牽引するグランドデザインが必要だが、それを誰が作り、牽引するかが問題になる。
◆司令塔は見つからないが…
ここで冒頭の安倍氏の活動に戻ろう。安倍氏もいきなり外交でグランドデザインを示し、「司令塔」となったわけではなかった。「美しい国日本」とか「クールアース」などと、スローガンだけを掲げた07年の第一次政権は、病気という不運も重なって何もできなかった。しかし、再チャレンジした12年からの政権では、安倍氏の努力に加え、具体的に政策を動かしたことの積み重ね、そして中国の対外膨張への警戒という国際情勢の変化があり、安倍氏の活動の成果を大きくし、その結果、彼の存在感が大きくなったように思える。
安倍氏の活動は、原子力を含めた、社会問題のあり方に示唆を与える。日本の原子力の復活を関係者が願うならば、この安倍氏の活動のように、原子力の未来を巡るグランドデザインを示して世に問うこと、そして具体的な結果を残すこと、それを指示する「司令塔」が必要なのではないか。
原子力の未来について、ぼんやりとした合意は関係者の間で形成され、政策にもなっている。発電の一定量を原子力発電で行いながら、安全性を高め、核燃料サイクルを稼働させ、高速増殖炉や新型炉などの技術革新を進める。中国とロシアの原子力産業が成長する中で、日本の原子力を自由主義陣営の持つ重要な技術、産業として維持する。そうした足場を固めた上で、次の発展を目指すというものだ。
ただし「司令塔」になる存在は、政治には見えない。岸田文雄首相に原子力、またその長期停止による電力業界や原子力産業へのテコ入れの意志はなさそうだ。民間で、米国において原子力開発で中心になっているビル・ゲイツ氏のような存在もいない。役所は頼りない。原子力委員会がその中心になることは難しいだろうが、政策を練るいくつかの柱の一つになることはできるだろう。
安倍氏のような旗印になる人、期待を言えば司令塔になる存在の登場を待ちながら、できる範囲で原子力の次の発展のためにできる取り組みを重ね、信頼を確保することが原子力の復活には不可欠だ。もちろん、その道のりが険しいことは言うまでもない。