明治初期、同時期に開業した鉄道と並び文明開化の象徴とみられていた「都市ガス」。国民経済にとって不可欠な重要インフラへと発展するまでの軌跡をたどる。
大阪造幣局・横浜馬車道 鉄道と同時期に開業
エネルギー源としての「ガス」の始まりは、1609年にさかのぼる。日本では徳川家康が江戸幕府を開いて間もないころ、ベルギーの科学者ヘルモントが、石炭を蒸し焼きにしてエネルギーに利用。ギリシャ語で混沌を意味する「CHAOS(カオス)」にちなんで「GAS」と名付けたのが最初とされている。
しばらくの時を経た1792年、スコットランドの技師ウイリアム・マードックが、照明用としてガス灯の開発に成功し、世界初となる「都市ガス」が誕生した。その後、欧米で都市ガス事業の研究が行われ、1812年には英国のフレデリック・ウインザーらによって、世界初の都市ガス会社「ロンドン・アンド・ウェストミンスター・コーク」が発足。15年に仏パリで、16年に米ボルチモアで、41年に豪シドニーで、それぞれ都市ガス会社が設立され、世界に広まっていた。
日本はといえば、欧米から遅れること71年(明治4年)、大阪造幣局が石炭の製造過程で発生するコークスガスを燃料に、実用的なガス灯を設置したのがそもそもの始まりだ。その前年、神奈川・横浜では、実業家の高島嘉右衛門氏が日本初のガス会社「横浜瓦斯」を設立。中国上海でガス灯整備を手掛けたフランス人のアンリ・フレグランを招きガス灯の開発を進めた。翌72年10月31日、鉄道の開業と時を同じくして横浜馬車道でガス灯数十本の運用が始まった。日本初の都市ガス事業の誕生だ。
そして74年11月に神戸で、12月には東京でそれぞれ都市ガス事業が始まった。東京初のガス灯は銀座通りに設置された86本。それまで暗闇に包まれていた夜の街を一面に明るくするガス灯は文明開化の象徴となり、都市ガスの利便性が多くの庶民に知れ渡ることになった。なお、当時のガス灯1本当たりの料金は1カ月3円55銭5厘。現在価値に換算すると3万円強という高水準だった。
一方、世界では照明の革命が起きる。米国人のトーマス・エジソンが白熱電球を実用化したのだ。83年に日本初の電力会社「東京電燈」が設立され、87年から一般配電事業が始まった。当時の東京府はガス灯から電灯への切り替えを検討したが、性能上の課題がありガス灯の存続が決まったという。ガスと電気の競合も、照明分野から始まったわけだ。
活躍の場は熱利用へ 大正時代に瓦斯事業法
その後、97年から1913年(大正2年)にかけて大阪瓦斯、神戸瓦斯、名古屋瓦斯、西部瓦斯が次々と設立され、15年には全国各地で都市ガス91事業者が誕生した。他方11年に電気事業法が制定され、タングステン灯などによる照明の電化が進展。ガスは照明用から厨房や給湯などの熱源へと活躍の場を移す。調理器やストーブ、風呂釜など多彩なガス機器が登場。また工業の動力としてガスエンジンが輸入され、14年には2700台に達した。
こうしてガス産業の礎が築かれていく中、14年~18年の第一次世界大戦を背景に物価が高騰。ガス料金は自治体との契約から1.5倍程度までしか値上げができなかったため、多くの都市ガス事業者が赤字に転落し撤退も相次いだという。どことなく現在の新電力事情を彷彿とさせるが、それはさておき、関東大震災直前の23年の帝国議会で瓦斯事業法が成立、25年に施行された。都市ガス事業は電気事業と並ぶ公益事業に位置付けられ、基幹インフラとして地域独占が認められたのだ。
昭和時代を迎え、都市ガスは順調に普及拡大を図っていく。1935年(昭和10年)には全国の需要家数が200万件へと拡大した。そんなさなかの39年、またも世界は戦争に突入する。第二次世界大戦だ。日本では前年の電力国家管理法成立を受け、日本発送電が発足。民間電力会社は地域の配電9社に再編され、電力事業は国家管理体制に組み込まれた。その波はガスにも押し寄せる。同年、ガス需給調整命令が発令され、節ガスのための統制色が強まった。
戦後復興は値上げから 天然ガス時代の幕開け
41年に太平洋戦争が始まると、日本中が軍需化の波に飲み込まれ、44年には東京ガスも軍需会社に指定。電力を参考にガス事業者も全国8ブロックに再編する方策が検討されたが、45年の敗戦で実現することはなかった。戦争を通じて都市部の多くが焦土と化したことで、全需要家数は100万件を割り込む水準にまで激減した。
そして、そこから現在の都市ガス事業へとつながる目覚ましい発展、成長が始まる。戦争終了とともに全国で順次、都市ガス供給が再開され、導管などインフラの復旧作業が急ピッチで進んだ。設備投資増大への対応から、事業者は相次いでガス料金の値上げに乗り出す。47年に日本瓦斯協会が発足、49年には需給調整が撤廃され、ここでようやく24時間の安定供給体制が確立された。
その後の高度成長の波に乗って、都市ガスの需要は急拡大した。当時の原料は石炭由来から石油系の改質ガスにシフトし、熱量や成分の違いによってグループ化されている特徴があった。昭和20年代後半からは、LPガスをシリンダーに充填し配送する供給方式が登場。また建設ラッシュを迎えた団地にボンベ小屋を設置して、そこから導管供給する方式も始まり、都市ガスとの無秩序な競合が激化していった。この問題を解消すべく、70年のガス事業法改正で制度化されたのが、供給地点ごとに事業を認可する簡易ガスである。
一方高度成長の影では、大気汚染をはじめとした環境問題が深刻化していた。何とか青い空を取り戻せないものか―。その解決策を導き出したのが、東京ガスと東京電力だ。69年、アラスカから日本初のLNGを輸入。これを受け、東ガスは石油系ガスからクリーンエネルギーの天然ガスへと原料を切り替え、高圧導管など供給インフラの整備に着手。その後、大阪や東邦などが相次いでLNGの導入に踏み切り、本格的な天然ガス時代が幕を開けた。
20年事業の高カロリー化 高度利用と自由化の時代
次なる課題は、全国の都市ガス事業者へのLNG拡大と、高カロリー化に向けたガス種の統合だった。85年に天然ガス導入促進センターが設立され、国の利子補給制度が開始。91年(平成2年)からは官民連携の下で、2010年まで約20年をかけて全事業者の熱量変更を行う一大事業「IGF21計画」がスタートした。
そしてこの間、都市ガス業界では電力業界とのし烈な競争を背景に、産業用から家庭用まで幅広い分野で利用技術の開発が加速した。GHPや吸収式冷温水器に代表される「ガス空調」、エンジンやタービンをベースに熱と電気を併給する「コージェネレーション」、それを燃料電池などを使って超小型化した「家庭用コージェネ」、潜熱回収方式によって給湯器の大幅な省エネを図った「エコジョーズ」、優れたデザイン性と同時にセンサー技術を駆使して調理機能を高性能化した「ガラストップコンロ」、ガス調理器を使いながら涼しい厨房を実現した「涼厨」など、枚挙にいとまがない。
その一方で、95年のガス事業法改正による大口需要部門の自由化を皮切りに、自由競争の導入を柱とした制度改革がスタート。旧通産省(現経済産業省)主導の下で、産業用から業務用へと自由化範囲は段階的に拡大され、料金制度についてもヤードスティック(比較)査定や選択約款の導入によって低廉で多様な料金メニューが登場した。「天然ガスの高度利用と自由化」が、平成時代を象徴するキーワードだ。
◇ ◇ ◇
2011年の東日本大震災を経て、平成から令和に至る動きは誌面の都合上割愛するが、LNGを巡る50年間については本誌19年11月号の特集で詳報している。また都市ガス200年に向けた今後の展開については、本特集をご覧いただきたい。