【特集1】電力需要急増シナリオへの期待と不安 エネルギー政策の現実路線回帰なるか


シナリオは、電力需要の減少から増加へと局面が大きく変わることを知らしめた。
同時に火力や原子力といった安定電源が大きく不足するということも。政策路線の転換は待ったなしだ。

「電力業界に長らくいて、需要が伸びるという局面を経験したことがない。それだけに、事業環境が劇的に変化することを示唆したシナリオには明るい未来を感じずにはいられない」
大手電力会社の関係者の一人は、電力広域的運営推進機関が7月に公表した「将来の電力需給シナリオ」について、こう受け止めを語る。

とはいえ、シナリオは単に明るい兆しを予見させるようなものではない。省エネの進展と再生可能エネルギーの大量導入により、足元では火力電源の退出が続く。「今の事業環境のままでは、需要増に対応する供給力を十分に手当てできない。そうなれば国として経済成長のチャンスをみすみす逃すことになるという大問題を突き付けられたことは、業界にとって大きなインパクトだ」と、この関係者は表情を引き締める。

DXが需要をけん引 kW、kW時不足が顕著に

需給シナリオとは、2040年と50年の断面における需給バランスを試算したものだ。需要と供給力の想定モデルを複数組み合わせた計20通りのケースでkWバランスを評価し、安定供給に必要な予備率との差分を確認。その上で、仮にその差分を全て火力で補完した場合のkW時バランスを作成した。

需要面では、人口減少などを背景に民生部門は引き続き減少傾向が続くものの、全体では40年に9000億~1・1兆kW時、50年に9500億~1・25兆kW時と、いずれも19年度実績の8800億kW時を上回ることを想定している。

これをけん引するのが、データセンター(DC)や半導体工場の新設、そして自動車の電動化などのDX(デジタルトランスフォーメーション)・GX(グリーントランスフォーメーション)関連産業の進展であり、最も大きく伸長するモデルケースでは、DX・GX関連産業が総需要を約3割押し上げることが想定されている。

その結果、kWバランスはどうなるのかというと、全シナリオで、再エネの導入拡大が進んだとしても、経年火力が全てリプレースされない限り、供給力不足に陥ることに(図)。しかも、最も需給が厳しくなる夏季夜間には最大で8900万kW―、つまり大型火力約90基分もの供給力不足が発生しかねないというから衝撃的だ。

とりわけ、需要が大きく伸長する40年の1・1兆kW時、50年の1・15兆kW時以上のモデルケースでは、原子力が最大限活用され、経年火力が全てリプレースされたとしても供給力が不足する。つまり、電源を維持・リプレースするだけではなく、新設をしなければならないことを意味する。

発電事業関係者が警戒感をあらわにするのは、火力の設備容量kWの拡充が求められるにもかかわらず、設備利用率が33~43%という低水準にとどまることについてだ。現状でさえ、稼働率の低下で発電コストの回収が困難化している。その上、シナリオでは他の政策目標と整合を取る形で50年に脱炭素化対策が実施されていることを前提としている。CCS(CO2の分離・回収)や、水素・アンモニア燃焼といった新技術を採用するコストを回収する手段を講じない限り、電力需要の拡大とそれに対応する安定的な電源の確保は虚構に終わる。
シナリオの取りまとめを担当した広域機関の小林亮治企画部・マネージャーは、「事業者の投資判断がより難しくなる可能性を示唆しており、シナリオの結果を踏まえた政策措置の検討が行われることを期待する」と、電源投資を巡る検討材料を提起した意義を強調する。

そもそも、シナリオ策定の端緒は22年8月のGX実行会議にある。岸田文雄首相(当時)が「安定供給の再構築について検討を加速化」するよう指示したことを受け、翌年4月に資源エネルギー庁に「将来の電力需給に関する在り方勉強会」が発足。同年11月には広域機関にタスクアウトされ、「将来の電力需給シナリオに関する検討会」で策定作業に着手した。

これまでにも、電気事業者の届け出に基づく10年間の供給計画はあったが、10年を超えた長期の見通しを示すのは初めてのこと。需給モデルの作成を電力中央研究所、地球環境産業技術研究機構(RITE)、デロイトトーマツコンサルティングの3社が担当し、計10回にわたる検討の末、今年6月の取りまとめに至った。

将来見通しには不確実性が伴うため、その内容はどうしても幅広いレンジにならざるを得ない。JERAの平尾啓太経営環境部長は、「これまでDCや半導体需要が伸びることは確認されていたが、50年に向けた具体的な規模感が示されたことはなかった。需給シナリオには幅があるとは言っても、これから需要が伸びて供給力不足になる可能性が出てきたという認識を醸成するきっかけになるだろう」と、今後、政策議論を進める上での有力な材料の一つになるとと見る。

AI・デジタル化の進展で足元の事業環境は変わりつつある

【特集1】業界関係者はシナリオをどう読んだか 発・送・販各部門からの注文


「将来の電力需給シナリオ」が示した将来見通しを、電力業界はどう見ているのか。
発電、送配電、小売り各部門の関係者らへの取材から浮き彫りとなった課題とは。

火力の厳しい環境鮮明に 既設の延命化がポイント

「再生可能エネルギーが適正な規模感で最大限導入される想定にもかかわらず、供給力不足の可能性が示されたことは非常に重い」

国内最大の火力発電事業者であるJERAの東谷知幸・経営環境部上席推進役はこう、受け止めを語る。全国で卸発電事業を展開するJパワーの沖隆至・経営企画部ESG・経営調査室長も、「想定される不足量はかなりインパクトのある規模」との見解。発電事業者にとっては、改めて火力電源の重要性を示す内容になったと言える。

特に、20通りのうち需要が大きく伸長するケースでは、原子力・火力がともにリプレースしてもなお、供給力が不足する。稼働率が低い中で、発電所の新設を進めなければならないという世界が見えてきたことは衝撃的だ。kWを維持・確保しつつ、非効率な石炭火力を中心にkW時は抑制するとなると、採算性が大きく損なわれかねない。

30%台という低い設備利用率を余儀なくされるという想定は、50年カーボンニュートラル(CN)の実現という社会要請、そして再エネの最大限受け入れを実現するために、そのしわ寄せが火力に及ぶことは避けられないことを如実に表している。沖氏は、「火力電源の脱炭素化を進めていかなくてはならない中で、どう採算確保していくのか、今後電力業界全体で向き合わなくてはならない課題だ」と強調する。

需要増を支えるには新設だけではなく、稼働率低下による採算性の悪化で休廃止が相次ぐ既存火力の活用も欠かせないはずだ。東谷氏は「GTCC(ガスタービン・コンバインドサイクル)など、高効率なガスタービンを採用した既設火力の延命化も重要なポイントではないか」と指摘する。

とはいえ、世界的なLNG火力の引き合いの強まりを背景に、ガスタービンをはじめとするサプライチェーンはひっ迫している状況だ。火力をリプレースする環境は一層厳しくなっているという現実と、どうしても向き合っていかなければならない。

また、今回のシナリオでは、リプレース火力の脱炭素化手段について、あくまでも統一されたモデルケースに沿って算出されたに過ぎず、NDC(国別目標)など国が掲げた環境政策との整合性が示されていない。

JERAの平尾啓太経営環境部長は、「今回は複数シナリオについて、主に安定供給の面から検証がなされていたが、NDCとの整合性や社会受容性のある発電コストといった3E(安定供給、経済効率性、環境適合性)の視点からの『世界観』も明確にする必要がある」と、注文を付ける。今後、シナリオは状況変化を織り込んだ見直しがなされることになっており、議論を積み上げていく中で精査が進むことが期待される。

DX需要の対応は必至(写真は印西変電所)

【特集1】リアリティなき将来予測 具体的な投資判断に二の足 国が責任を持って制度設計を


これまで減少傾向にあった電力需要は、AIやDCの拡大で一転、増加が見込まれる。
複雑に絡み合う需給、制度、事業環境―。これらをどう整理すべきか、識者3人が議論した。

〈出席者〉 A需要家 B新電力関係者 Cコンサル

―電力広域的運営推進機関が公表した将来の電力需給シナリオをどう受け止めているか。


A このシナリオには違和感がある。各シナリオは本来、軸となる全体戦略をきちんと示した上で、それに基づいて種々の想定を枝分かれさせて描くものだろう。ところが今回は、全体戦略がなく、ただパターン分けだけをしていてシナリオとは言えないのではないか。小売事業者も発電事業者も、これだけでは経営判断しようがないよ。

B 将来的な供給力不足が大々的に示されたことで、電源投資を後押しするムードは醸成できるかもしれないね。ただ、広域機関はこのシナリオがエネルギー基本計画とは連動していないと説明していて、ほかの政策との整合性という面で曖昧さがある。「火力・原子力への投資を進める」というムードづくりにとどめるのではなく、ファイナンスや地元合意といった電源開発を進める上での課題をどうクリアしていくかという議論につなげていかなければならないと思うよ。

C それでも、これまでの議論の方向性を修正するきっかけになり得ることには期待したい。この5年間、「2050年カーボンニュートラル(CN)」の実現を掲げ、水素、ペロブスカイト、CCS(CO2回収・貯留)など実効性に乏しい偏った議論ばかりが繰り返されてきた。大幅な供給力不足が警告されたことで、政府も多少は軌道修正しようとするかもしれない。 

A 広域機関が、シナリオの前提となる需要予測をシンクタンクに丸投げしたことも気になる。外部からはどういうモデルや条件付けを想定したのかまで分からない上に、シンクタンクが出した需要予想では説得力がないので、投資に踏み込む根拠としては不十分。より求められているのは、国が主導してデータセンター(DC)や半導体といったDX分野の成長戦略を打ち出し、その下での電力需要増の絵姿をはっきりと示すことではないのか。その前提があって初めて、各種パターン分けが意味を持つことになる。実際、米国や中国を見れば、国が成長方針を示し国策として電力需要増への対応に取り組んでいる。そうした中で日本は、本当にグローバルで勝負ができるのだろうかと不安に思う。

C ただ、日本の場合、国が産業戦略を決めても、どのみちリアリティのないものになる。第7次エネルギー基本計画はともかく、これまでに打ち出してきた第6次エネ基や「Society 5.0」などは「画餅に帰する」の典型だったし、いまだにGX(グリーントランスフォーメーション)推進を掲げながら移行債の投資効果を明確にしていないことを鑑みても、そうしたリーダーシップを求めるのは酷かもしれない。

DX時代の進展による需要増はいかほどか

【特集1まとめ】2050電力大不足の虚実 需給シナリオの問題点と対処法


2050年に日本の電力供給力が最大8900万kW不足する―。
電力広域的運営推進機関が7月に公表した需給シナリオが波紋を広げている。
AI・デジタル化の進展などに伴う電力需要の増大が背景にあるわけだが、
もしこの予測が実現すれば、事態は想像以上に深刻になるのは間違いない。
電力制約によって将来の経済成長が抑え込まれ、国力を損なうことになるからだ。
その一方で、業界内外には大消費時代到来への懐疑的な見方も少なくない。
シナリオを巡る多様な関係者の本音を取材し、その問題点と対処法を探った。

【アウトライン】電力需要急増シナリオへの期待と不安 エネルギー政策の現実路線回帰なるか

【レポート】業界関係者はシナリオをどう読んだか 発・送・販各部門からの注文

【レポート】脱炭素対応でLNG火力新設の動き 鉄鋼業界で電力原単位が増大へ

【覆面座談会】リアリティなき将来予測 具体的な投資判断に二の足 国が責任を持って制度設計を

【特集1】脱炭素対応でLNG火力新設の動き 鉄鋼業界で電力原単位が増大へ


鉄鋼業界では副生ガスによる自家発電の減少が見込まれる中、一部でLNG火力新設の検討が進む。
多排出産業代表格の電力需要や系統依存の見通しについて、鉄鋼連盟の小野透氏が解説する。

【レポート:小野 透/日本鉄鋼連盟特別顧問】

わが国鉄鋼産業は、国内需要(建設・土木・自動車等耐久消費財)の減少と、中国の余剰生産能力を背景とした輸出圧力にさらされている。2010年ごろまでは、国内需要減少分を直接・間接の輸出拡大に振り向けることで国内生産を維持してきたが、以降は輸出比率がさらに拡大するとともに、国内生産量が減少に転じた。人口減少や国内インフラ充足の状況を考えれば、今後も国内需要減少に伴う鉄鋼生産量の減少傾向が継続する蓋然性は否定できない(図1参照)。


また、鉄鋼は日本国内で発電に次ぐ温室効果ガス排出セクターであることから、50年カーボンニュートラル(CN)に向けて「CO2を排出しない」生産プロセスへの転換が強く求められている。ポイントは最大のCO2排出源である高炉(還元プロセス)の「低炭素化+CCS(CO2回収・貯留)」と「脱炭素化(水素還元)」、ならびに還元鉄やスクラップを利用した「大型電炉による高級鋼製造技術」の開発導入である。

図1 わが国の鉄鋼需給の推移

【記者通信/8月26日】福島浜通りの未来を考えるツアー 「土」テーマに復興をPR


津波と福島第一原発事故で甚大な被害を受けた福島県浜通り。震災から14年、地域には新たな息吹が芽生えている。復興の歩みの中で生まれた「HAMADOORI CIRCLE PROJECT」は、海産物「常磐もの」やクラフト酒、土地に根ざした農産物、震災の記憶を映すアートなどを体験型プログラムとして発信してきた。8月8日には「土」をテーマに浜通りの未来を考えるツアー「Co-Creation Tour vol.2」を開催。同行取材した訪問先の中から、①除染の歩みを示す中間貯蔵事業情報センター、②その保管と管理を担う中間貯蔵施設、③町の土を生かし果樹栽培を復活させようとするキウイ農園「キウイの国 ReFruits」――という、土と関わりの深い3施設を取り上げる。

中間貯蔵事業情報センターでは、県内で進められてきた除染の全体像、進捗状況などが、パネルや映像を通じてわかりやすく展示されている。震災後の2012年7月に本格的な除染を開始し、18年3月には帰還困難区域を除き、除染を完了した。発生した除染土は約1400万㎥にも達し、仮置き場で一時的に保管されていたが、その処分方法が大きな課題となっていた。こうした状況を受け、環境省は13年に大熊町・双葉町および県に中間貯蔵施設の設置を要請し、15年から除染土の搬入を開始。1日最大約3000台の輸送車両を投入し、ピーク時で1133カ所あった仮置き場のうち9割以上で搬出を終えるなど、除染土の集約は着実に進んでいる。

除染の全体像や進捗状況が、パネルや映像を通じてわかりやすく展示されている。

次に訪れた中間貯蔵施設は、福島第一原発を囲む形で双葉町と大熊町に整備されたもので、敷地面積は約1600ha、東京ドーム約340個分に相当する広大さだ。施設は、除去土壌を収める「土壌貯蔵施設」「廃棄物貯蔵施設」に加え、搬入された土壌を選別する「受入・分別施設」、焼却や溶融で体積を減らす「減容化施設」の4種類で構成されている。保管された土壌の約4分の3は資材として再利用が見込まれており、45年3月までに県外で最終処分を終えることが法律で義務付けられている。

中間貯蔵施設の様子。中央の広大な敷地が「土壌貯蔵施設」だ

【特集1】エネルギー輸入途絶を防ぐには 台湾有事阻止へ問われる覚悟


米国によるイラン攻撃、台湾有事のリスク、北の核開発など安全保障環境が激変している。
シーレーンの安全をどう確保するか。海自出身で元自衛隊トップの河野克俊氏に聞いた。

【インタビュー:河野克俊/元統合幕僚】

─米国によるイラン核施設への攻撃をどう見ますか。

河野 日本の安全保障にとってはプラスに働くでしょう。世界の安全保障に関与しないという見方があるトランプ政権が、「やる時はやる」という姿勢を示したからです。アメリカとイスラエルに同盟関係はありませんが、アメリカはイスラエルの自衛権が侵害されているとして、集団的自衛権を根拠にイランを攻撃しました。


 東アジアに目を移せば、アメリカと台湾は同盟関係を結んでいません。アメリカは台湾有事の際に軍事介入するかどうかを明言しない「あいまい戦略」をとっていて、軍事介入する場合の根拠が不明確でした。ただ今回のイラン攻撃を受けて、中国が「台湾有事の際にアメリカが集団的自衛権を行使する可能性がある」と認識したなら、抑止力が高まったと言えます。

─今回の攻撃はアメリカの自衛権の範囲を逸脱しているのではないか、国連安全保障理事会の決議がない武力行使は国際法違反だといった声があります。


河野 重要なのは「アメリカが集団的自衛権を行使してイランを攻撃した」という事実です。それが合法か違法かの議論は、学界では重要なのかもしれませんが、現実社会においてはあまり意味がありません。国際法上、武力行使が許されるのは、自衛権の行使か、安保理決議がある場合のみです。しかし、ロシアによるウクライナ侵攻や台湾有事は、安保理の常任理事国が当事者で、国連が機能しないことは自明の理です。「国際法違反だ」と言ったところで、事態が変わるわけではありません。

【特集1まとめ】戦争とエネルギー 揺らぐ秩序と迫る危機


かつて昭和時代の日本が石油供給途絶を契機に太平洋戦争に突入したように、
エネルギー・資源問題は国家安全保障と密接な関係にある。
戦後日本はさまざまな模索をしながら国の生命線を握るエネルギーを獲得してきた。
ところがここ数年、エネルギーを巡る国際秩序の崩壊が現実化しつつあり
「エネルギー・資源を持たざる日本」に新たな課題を突き付けようとしている。
国際・エネルギー情勢に詳しい専門家の意見を踏まえながら
ロシア・ウクライナ、そしてイスラエル・イラン両戦争とエネルギー問題を読み解き、
日本の安全保障を脅かす危機が差し迫っている実情を浮き彫りにする。

【アウトライン&座談会】有事リスク回避へ打ち手はあるか 風雲急告げるエネルギー防衛

【レポート】これからのエネ安保に必要な視点は 今振り返る戦後有事の教訓

【インタビュー】エネルギー輸入途絶を防ぐには 台湾有事阻止へ問われる覚悟

【レポート】「12日間戦争」幕引きも残る火種 衝突激化のリスク内包したままに

【コラム】米国はなぜイラン核施設を攻撃したのか トランプ大統領の深謀遠慮を読み解く

【特集1】これからのエネ安保に必要な視点は 今振り返る戦後有事の教訓


太平洋戦争で日本はエネ安保の弱点をさらし、戦争を機とした石油危機でも痛手を負った。
世界各地に戦火が広がる今、改めて過去を振り返り取るべき道を探った。

今年は太平洋戦争の終結から80年の節目だ。当時、米国が日本への石油輸出を禁止したことで、特に軍事面のジェット燃料の調達が大打撃を受けた。石油調達をかけたこの戦争を経て、日本人はエネルギー戦略の誤りが国家の存亡に直結すると身をもって学んだ。

長期では需給調整が機能 地政学リスクの影響薄く

その後、日本のエネルギー安全保障に影を落とした出来事が、第4次中東戦争から始まった第一次石油危機(1973年10月~74年8月)だ。アラブ石油輸出国機構(OAPEC)がイスラエル寄りの国々への原油輸出を禁じた上、原油公示価格の大幅引き上げを宣言し、消費国経済は大混乱となった。日本エネルギー経済研究所の十市勉・客員研究員は「世界の石油需給ひっ迫時にOAPECが石油を『政治的武器』として使った。ただ、長い目で見ると石油では市場機能による需給調整が働き、産油国の国家運営に支障が出ない価格水準に収まっている」と解説する。

78年10月~82年4月の第二次石油危機では、イランが原油輸出を全面停止し、イラン革命を経て輸出が再開された。その間油価は上昇し、イラン・イラク戦争で一層高騰したものの、他の産油国が増産し価格は下落へ向かう。また、90~91年の湾岸戦争、2003年のイラク戦争勃発時は価格が上昇せず。この時期は需給が緩んでいたため、価格が反応しなかった。

経済産業研究所の藤和彦コンサルティングフェローは「石油は需要の価格弾力性が低いとされるが、不景気だと価格弾力性が上がる。油価は世界の景気に左右される面が大きく、地政学リスクがあまり影響しなくなってきた」と説明。その意味で、これまで中国がけん引してきた石油の需要増が反転し始めており、「年末に1バレル50ドルを割ってもおかしくない」とみる。

さらに価格以外の面で、エネルギーと戦争の関わり方に変化が生じたのが22年2月に始まったロシア・ウクライナ戦争だ。第一次石油危機とは逆に、消費国側が制裁としてエネルギー輸入停止に踏み切った。ただ、石油の輸出先は中国やインドなどにシフトし世界全体で大きな需給ひっ迫は起きず、むしろ天然ガス危機を誘発したことは記憶に新しい。加えて特筆すべきは、国際法違反である民間エネルギーインフラへの攻撃が平然と行われたこと。ロシアとウクライナ双方が相手国のエネルギー施設への攻撃を繰り返している。

そして直近に起きたイラン・イスラエル戦争では、米国によるイラン核施設への攻撃が注目された。イランは核兵器開発を継続する可能性があり、予断を許さない状況が続く。

中東有事のたびに指摘されるホルムズ海峡封鎖リスクについては、専門家の間では起こらないとの見方が強い。十市氏は「イランの石油輸出に打撃となり、既に米国の経済制裁で傷んだ状態をさらに悪化させる。また、現在中東原油の最大輸入国である中国は、サウジアラビアとイランの国交正常化を仲介しており、中国が望まないことをイランは実行しないだろう」と分析。藤氏も「可能性はゼロ。近辺に米国の第5艦隊の基地がありすぐ機雷除去できる。歴史をみても本当の危機は想定外から始まる」と断ずる。

注釈:2021年米ドル表示、実質価格は米CPIでインフレ調整
出所:BPエネルギー統計などより十市氏作成

【特集1】「12日間戦争」幕引きも残る火種 衝突激化のリスク内包したままに


今回のイスラエル・イランの軍事衝突が12日間で終了したポイントはどこにあるのか。
中東諸国の反応や展望を含め、日本エネルギー経済研究所の近藤重人氏が解説する。

【レポート:近藤重人/日本エネルギー経済研究所中東研究センター主任研究員】

6月13日のイスラエルによるイラン攻撃によって始まった「12日間戦争」は、中東からのエネルギーの安定供給に全く影響を与えなかった。原油価格は一時的に高まったものの、24日のトランプ米大統領の突然の停戦発表によって攻撃前の水準に戻った。ではなぜ今回の戦争が中東地域からのエネルギーの安定供給の障害とならなかったのか。その理由を3点挙げるととともに、今後の展望についても考察したい。

攻撃が安定供給に影響せず 両者とも冷静に判断

今回の攻撃において、エネルギー安全保障上の観点から決定的に重要だったのは、イスラエルがイランの原油輸出に関係するインフラを一切攻撃しなかったという点である。仮にイスラエルがイランの経済力の壊滅的な破壊を目指すのであれば、同国の経済的支柱である石油インフラ、特に同国の原油の9割が輸出されているハールグ(カーグ)島の輸出ターミナルを破壊することが最も手っ取り早かったが、ここは慎重に攻撃対象から外された。

では、なぜイスラエルはイランの原油輸出に関係するインフラを攻撃対象から外したのか。それは、攻撃に対する米国の支持を獲得するためだったのだろう。仮に今回イランの原油輸出に関係するインフラを攻撃していたとしたら、原油価格は高騰し、国内のガソリン価格の高騰を嫌うトランプ大統領や米世論の反発を招いていただろう。イスラエルとしては米国を今回の戦争に参加させることが重要であり、いたずらに同国の反発を招くような行動は慎まなければならなかった。こうした配慮がなければ、恐らく6月22日の米国によるイランの核施設への攻撃も実現していなかった。

もう一つのポイントは、イランが理性的に対応し、過度の報復措置を取らなかった点である。イランはもちろん攻撃を仕掛けたイスラエルに対して多数のミサイルを発射して最大限に報復し、また核施設を攻撃した米国に対しては、米軍が駐留するカタールの基地を攻撃することによって報復した。しかし、イランは基本的に攻撃を仕掛けた相手にのみ報復をしており、過度に報復の対象をその他の国々に広げるようなことはしていない。カタールの基地への攻撃は、事前に米国に通告した上でのものであった。

イランはホルムズ海峡に機雷をまくなどして同海峡を封鎖し、対岸の湾岸アラブ諸国の原油や天然ガスの輸出を止めることも可能だが、それは同海峡しか原油輸出の出口がない同国を最も苦しませることになる。仮に政権の存続が絶望的となり、世界経済も道連れにしようとすれば、そのような行動も考えられないわけではなかったが、イランが政権の存続を目指し続ける限り、そのような自暴自棄な行動を見せる可能性は低いだろう。

中東主要国の原油生産量(2025年6月、万バレル/日)
出所:IEA, Oil Market Report-July 2025.

【特集1】有事リスク回避へ打ち手はあるか 風雲急告げるエネルギー防衛


戦後、安全保障を確保するために日本が重視してきた国際間の協調体制。
昨今の主要国間の対立により、その一角が崩れようとしている。

ミサイル攻撃を受けたウクライナの火力発電所
提供:ロイター/アフロ

6月13日、「核の脅威を取り除く」という名目の下、イスラエルがイランに先制攻撃を加えた。イランの報復によって全面的な戦闘状態へと拡大。そこに米国が参戦、イランの核施設3カ所を空爆した。12日間という短期間で停戦に至りエネルギー市場への影響も限定的だったとはいえ、イスラエルが攻撃を再開する可能性はくすぶっており、中東の不安定な情勢は続く。

一方で、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻で勃発した両国間の戦争は、停戦の兆しが今なお、見えてこない。侵攻直後には、ロシアから欧州向けの天然ガス供給が不安定化し、世界的な需給ひっ迫と価格高騰を招いた。今後も、米国をはじめとする西側諸国の対露制裁次第では、世界の石油・ガス需給や価格に大きな影響を与える可能性がある。

そして、この二つの戦争に共通しているのが、エネルギー関連施設への武力攻撃だ。ウクライナではサポリージャ原発がロシア側に占拠され、ロシアの天然ガスをヨーロッパに供給するパイプライン「ノルドストリーム(NS)1」「NS2」が破壊された。こちらは、ウクライナによる爆破と見られる。イスラエルは、イランのウラン濃縮施設に加え、ガス・石油貯蔵施設や首都近郊の発電所を攻撃対象とした。イラン議会はホルムズ海峡封鎖を承認するなどし、やはりエネルギーを武器に対抗する姿勢を見せた。

こうしたエネルギーを巡る国際秩序の激変に、日本政府はあまりに無策であるように見える。だが、ロシア、中国、北朝鮮といった国家に囲まわれたわが国にとっては、エネルギー資源争奪戦や核開発問題と無関係ではないどころか、新たな安全保障上の脅威として対応せざるを得ない時期が到来しつつある。

そのような危機意識の下、本誌は、東京、米ボストン、仏パリ在住の専門家らをオンラインでつなぎ座談会を実施した。参加したのは、会川晴之・毎日新聞客員編集委員、大場紀章・ポスト石油戦略研究所代表、小山正篤・国際石油アナリスト、白川裕・国際エネルギー機関(IEA)アナリストの4人。日本は今そこにある新たなリスクをどう捉え向き合うべきか、率直に語り合った。

イスラエルはテヘラン郊外の石油貯蔵所も攻撃した
提供:ロイター/アフロ

【特集1】米国はなぜイラン核施設を攻撃したのか トランプ大統領の深謀遠慮を読み解く


米国のイラン核施設攻撃でイスラエル・イランの12日間戦争は一時停戦となった。
電光石火の攻撃の裏に垣間見えるトランプ大統領の深謀遠慮を読み解く。

コラム:要地正義(ジャーナリスト)

6月22日の深夜「真夜中の鉄槌」と名付けられた米軍の作戦は、イラン国内にある3カ所の核濃縮施設の完全な破壊に成功した。専門家は将来的にイランが核兵器を保有し、世界の脅威になることを懸念した「予防攻撃」の側面があると解説する。イランは核保有をちらつかせ、長年米国を刺激していたことは否めない。

しかしなぜこのタイミングで攻撃なのか。どうも腑に落ちない点が多い。奇想天外、破天荒なトランプ流といえばどことなく納得してしまうが、 ある外交関係者が言う。「米国と中東だけに着目するから解が得られないのでは。トランプ大統領はイランを攻撃することで、親密なロシアをけん制している」

今回の米軍の攻撃は圧倒的なパワーを見せつけた。作戦から24時間もたたぬうちにターゲットを破壊、その攻撃には「バンカーバスター」と呼ばれる地中を貫通する特殊兵器を使った。作戦では最新型の「GBU―57」という爆弾が投下され、地下60mまで到達。厚さ10mのコンクリート壁を破壊する凄まじい威力の爆弾だ。核開発は察知されないために地下でされることが多く、イランも査察の目をそらすため地下で開発に着手していたとされている。

この圧倒的な軍事力を前に、イランは屈服するしかなかった。そしてイランと軍事的なつながりが強いロシアも米軍のパワーを目の当たりにして身構えたに違いない。トランプ大統領の視線の先には、軍事力を背景に長引くウクライナ戦争の収束を狙ったものではないかという一つの仮説が成り立つ。あくまでイランはスケープゴードに過ぎないというわけだ。

ロシアだけでなく、中国や北朝鮮に対しても波及する可能性がある。こうした中で、米国と仲良くするのは有益だと考える国も一つや二つではないだろう。相乗効果が大きく、すでに日本を含む同盟国に対して、防衛費をGDP比3.5%にしろと要求してきているとも聞く。米国支配を強めるトランプ流の手法は実は相当緻密な戦略の上に成り立っているかもしれない。

狙うは新世界秩序の構築か 「長期的にはプラス要因」

米国の力の誇示はエネルギー問題や金融市場の安定に寄与するという見方もある。日本のメガバンク関係者は「今回の軍事作戦は長期的に見てプラス要因が強い」と見通す。

原油とガスを握る中東情勢が安定すれば、世界のエネルギー価格や金融市場が乱高下するリスクが低くなる。インフレも収まってくる。中長期的には、先進国経済の好転が見込めるかもしれないという見通しが市場関係者の間ではささやかれている。 イラン核施設への攻撃は、米国がリーダーシップを発揮する新世界秩序づくりの一端という気がしてならない。

【特集1】国民の感覚をまひさせたエネ代補助 理由なき継続で政策矛盾が顕在化


3年以上継続した補助金によって、国民のエネルギー価格に関する感覚はまひしている。
価格補助を継続する理由は見当たらず、政策の矛盾が浮き彫りになるばかりだ。

【インタビュー:熊野 英生/第一生命経済研究所主席エコノミスト】

多くの人が知らない事実であるが、日本の消費者物価上昇率は主要7カ国(G7)の中で最も伸び率が高い。これは単月だけのことではなく、昨年11月から今年4月まで6カ月間も継続する状況である(図参照)。

G7諸国と中国の消費者物価・前年比の推移
出所:総務省


そう述べると勘の良い人は、「あっ、コメ高騰のせいだ」と直感する。確かにそれも一因である。答えは、エネルギー要因の下落が、主要国では物価押し下げに効いているのだが、日本だけはそれが明確に表れていないからだ。日本では、ガソリンなど4油種への補助金と電気ガス料金支援がエネルギー価格の上昇を抑え込んでいる。そのため、原油市況が上がったときに消費者物価が上がりにくい。その代わり、原油市況が下がったとしても、これまでエネルギー価格を抑えてきた分、消費者は価格下落の恩恵を受けにくくなる。日本だけは値下がりしていないという要因によって、他の主要国の物価上昇率と比べて日本はプラス1ポイントほど押し上げられる形だ。コメ高騰がプラス0・6ポイント程度の押し上げなので、併せるとプラス1・6ポイントほど日本の物価上昇要因となってしまう。

止められない補助 恩恵を感じられず

エネルギー代補助金は、止めるに止められない補助となっている。理由は、補助を止めた途端に値上がりして、国民から反発が起こるからだ。「値上がり」と言っても、補助があって下がっていた分が元に戻るのだから仕方がない。補助が当たり前になって、ありがたみが薄くなる代わりに、その当たり前がなくなると、それが痛みに思えてくる。そこは本来、政治が説明を尽くすべきだが、まともな説明をすることも嫌がられてしまう。こうした補助は既得権ではないし、エネルギー価格は基本的にマーケットが決めるものだ。

すでにおかしなことが起きていると思えるのは、原油市況を円ベースで見たものが、2022年2月のウクライナ侵攻の時点を割り込むような場面が起きているからだ。ガソリン支援は、同年1月に激変緩和措置として始まった。ウクライナ侵攻が始まって、原油市況が急騰したときには意味があったと思う。しかし、そうした危機的局面はすでに去っている。こうした局面変化に、この「激変緩和措置」は対応できていない。つまり、あらかじめ出口戦略を決めておかなかったので、止められない状態に陥った。

今の円安局面も一面として、日銀が13年以降、量的質的金融緩和の出口戦略をあいまいにしていたために起きている。植田和男総裁に交代して、超緩和からの脱却に取り組んではいるものの、ゆっくりとしか金利水準を引き上げられないために、過度な円安が起こり、それは物価上昇という弊害として表面化している。

エネルギー代補助金は、脱炭素化に反する。近年の農水産物などの生鮮食品価格高騰が、異常気候を一因にしていることは疑いないことだ。補助金を続けることは、いずれ人類の危機を助長する。電気代を引き下げるには、原発再稼働という出口が存在する。批判は根強いと思うが、エネルギー価格の抑制とCO2排出削減を両立させる道をもっと前進させるべきだ。