【コラム/2月21日】物価上昇超え賃上げを再考する~楽しい日本になるために
飯倉 穣/エコノミスト
1、遅ればせながら~デフレ脱却インフレ認識
2025年の国際経済は、対中加墨トランプ関税の話題から始まった。実行は、経済縮小と当事国の物価上昇危惧である。日米首脳会談もあった。引き続き日本経済への注文も気になる。国内経済は、21世紀に入り24年間経済政策を支配し続けた所謂「デフレ」認識で、風向きが変わった。遅ればせの日銀の追加利上げがあった(25年1月24日)。その後報道があった。「日銀の植田和男総裁は4日の衆院予算委員会で・・昨年も話した通り、現在はデフレではなくインフレの状態にあるという認識に変わりはないと述べた」(日経com同2月4日)。「今の物価上昇について、赤澤経済再生担当大臣は「経済学的に言えば、インフレの状態というのはそのとおりで、植田総裁の認識と特にそごはない」と述べました」(NHK同5日)。
四半世紀経て公式見解(?)もデフレから漸く脱したようである。その要因が気に懸かる。輸入物価かコストプッシュかそれとも他か。日銀は「既往の輸入物価上昇を起点とする価格転嫁の影響は減衰してきているものの、賃金上昇等を受けたサービス価格の緩やかな上昇“へ”(経済・物価情勢の展望 2025年1月)」と述べている。
この認識を前提とすれば、公正取引委員会の強権や下請法改正の趣旨にある物価を上回る賃上げや国を挙げての価格転嫁推進は妥当だろうか。過去のデフレ認識の経緯を見ながら、物価上昇超え賃上げの意味を再び考える。
2、デフレ宣言(2001年)の政治的継続
平成バブル崩壊後の90年代経済調整を経て、2000年ITバブル崩壊があり、企業収益低下と株価下落があった。マイナス成長転換となる。内閣府は「デフレ」定義を物価下落(2年以上)に伴う景気後退とした。そして「持続的な物価下落をデフレと定義すると、現在日本経済は緩やかなデフレにある」と述べた(月例経済報告01年3月16日)。その後07年まで米国サブプライムバブル・輸出好調等で経済は回復した。06年内閣府は「物価指標の動向をみると、90年代末から日本経済において顕在化した物価が持続的に下落するという意味でのデフレ状況にはない。今後の海外経済の動向によっては、デフレ状況に後戻りする可能性が残っていることから、デフレを脱却したとまでは言えず」と述べた(経済財政担当大臣報告06年12月)。同様の表現が07年も続く。経済変動看過の実に曖昧な表現だった。日銀は、経済・物価情勢が着実に改善と見て金融引締めに転換した(06年7月、2007年2月金利引上げ)。これも出遅れだった。
リーマンショックがあった(08年9月)。GDPマイナスに慌てふためき財政金融出動の経済調整に陥る。経済対策は、中身の吟味もしづらい巨額な事業規模となった。4回の経済対策の規模は、合計138.2兆円(金融以外32.5兆円:国費26.6兆円程度、金融105.7兆円)だった。財政出動規模の妥当性が問われた。やり過ぎの感があった。その中身を説明不足と民主党が批判した。
因みに各経済対策を挙げれば、「安心実現のための緊急総合対策:事業規模11.5兆円うち金融9.1兆円 」(08年8月29日)。「生活対策:事業規模26.9兆円うち金融21.8兆円」( 同10月30日)。「生活防衛のための緊急対策:事業規模43兆円うち金融33兆円」(同12月19日)。「経済危機対策:事業規模56.8兆円うち金融41.8兆円」(09年4月10日)である。
3、デフレ宣言再び(2009年)
民主党政権登場で経済実体無視の政策運営となった。経済の流れ読まずである。紆余曲折があった。菅直人経財相のデフレ宣言があった(月例経済報告09年11月20日)。必要性疑問符の事業仕分けをしつつ、確実な景気回復・デフレ克服を目指すと言い訳した。その前にデフレ脱却の宣言は見当たらずだが、「政府デフレ認定3年5か月振り」と報道があった。経済の戻りの中で、東日本大震災があった。経済低下は△1~2%程度だったが、政権による対応混乱と混迷助長があった。災害対応と財政金融政策の不慣れな対応に加え、不要な原子力発電停止で経済は混乱した。それでも経済変動論理の通り経済は回復に向かった。デフレどころでなかった。民主党政権の政治・経済運営不安が強く印象に残る。
4、デフレ脱却標榜(2013年)
安倍晋三政権となる。そしてアベノミクス(大胆な金融緩和、機動的な財政出動、民間投資を喚起する成長戦略)である。日銀に「デフレ脱却と持続的な経済成長の実現のための政府・日本銀行の政策連携について」という「共同声明」を強要した(13年1月22日)。デフレ・円高解消と叫びながら、デフレ認識を事後10年以上継続した。その間賃上げ・消費増・投資増の好循環という根拠無き政策スタイルが罷り通った。金融緩和・財政出動頼りの意味不明な政策が続いた。何もせずとも経済基調は上向きの時期だった。経済の動きは、通常の景気変動等で多少の上下があったものの、水平飛行状態だった。
リーマンショック等の経済的ショック時は、やや恐慌的で物価下落は当然であるが、留意したいことがある。この四半世紀の“デフレ的”物価停滞状態の理解である。略ゼロに近い低成長経済(成長要因不足)なら、物価横ばいは当然である。その状態で日本特有の過当競争や不要な競争促進政策となれば、趨勢的不況(停滞)という現象は当然である。残念ながら、その政策の過誤が現在も継続している。
5、コロナ回復、エネ資源等輸入物価インフレ
20年1月新型コロナウイルス感染症に直面する。21年(第2四半期)以降コロナ回復過程で、国際資源エネ・食料品価格の上昇で、輸入物価が上昇し(前年比20%程度増加:円・契約通貨ベースとも)、企業物価上昇となる(同4.6%増)。このとき消費者物価への波及は、価格転嫁の遅れがあった(同△0.2%)。ウクライナ戦争(22年2月)が始まると、国際エネ価格の急騰があり、22年輸入物価は急騰し(同円ベース39%増、契約通貨ベース21%増)、企業物価も高騰する(同9.8%増)。消費者物価も、価格転嫁等で22年同2.5%増となる。明らかに輸入物価牽引インフレ現象だった。だがデフレ脱却宣言も金融政策変更もなしだった。物価上昇の原因を考えず、何故か政府主導の賃上げが喧伝された。
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