【論考】米イラン「イスラマバード覚書」 ペルシャ湾は「イランの海」に⁉ ※期間限定無料公開
開放的な国際石油供給体制の終焉、OPEC存在意義の喪失
この含意は極めて大きい。おそらくそれは、冷戦終結後に確立した、市場本位の開かれた国際石油供給体制の終焉を意味する。
1970年代の2次に及ぶ石油危機の中で、産油国は石油供給の主導権を国際石油資本から奪い、国際原油価格も産油国が一方的に定め、石油輸出国機構(OPEC)がその専権的な市場支配の中心となった。しかし85年末にサウジアラビアが価格方式をスポット市場連動に転換して産油国による支配は終わり、90~91年にイラクによるクウェート侵略を米国主導の多国間連合が実力で退けた後に、市場本位の開かれた石油供給が体制として確立した。米国の提供する安全保障の傘、サウジアラビアによる原油生産余力の機動的活用、西側消費国の協調的緊急時対応――この3者の協働による供給逼迫時における国際市場の健全性の保持、がその主柱だった。
しかし今年2月28日、米国はイスラエルと共に中東地域秩序の破壊者となって現れ、ホルムズ海峡封鎖によってサウジアラビアを含む世界の原油生産余力のほぼ全量が稼働不能となり、それに対する西側消費国の緊急時対応も一貫性・戦略性を欠き、ここに国際石油供給秩序はその守り手を失った。「イスラマバード覚書」が事実上認めたホルムズ海峡の覇権を梃子として、今後イランはその支配力を中東の原油輸出、生産量さらには国際原油価格へと延ばしていくだろう。イランによる専権的な国際市場支配の企てが常態化し、「産油国の盟主」サウジアラビアの指導力は大きく後退しよう。
この約40年間、サウジアラビアの主導の下に、OPECは実質的に「国際石油需給の最終調整者」の役割を果たしてきた。その原油生産割り当ても、世界石油需給量の不均衡を是正する視点で行われるのが通例だった。すなわち市場に対する受動的姿勢を基本としており、それは1970年代から80年代半ばにかけて、一方的に定めた原油価格水準を維持するために生産量を調整した、反市場的な姿勢とは根本的に異なっていた。
今後イランはそのホルムズ海峡における覇権を背景に、OPEC(石油輸出国機構)を強権的に主導し得る。それは、特にペルシャ湾岸の中核的加盟国(すなわちサウジアラビア、クウェート、イラク)の生産割り当てを制限し、自国の生産・輸出量確保を最優先とする、イラン本位のものとなろう。OPECは、実質的にその時々のイランの利益に従属する集団となり、開放的供給秩序の中での生産調整者、という従来の存在意義を失うだろう。
事実、ホルムズ海峡封鎖後、産油国集団としてのOPECの機能は麻痺している。3月以降、ホルムズ海峡封鎖による異常な減産を強いられる中で、サウジアラビア主導のOPECプラス「有志国」はその原油生産目標量を機械的に漸増し続け、湾岸中核産油国(サウジアラビア、UAE、クウェート、イラク)の3~5月・実生産量は目標量を計・日量約900万バレル下回った。空文と化した目標量を掲げるだけの姿勢は、敗北的と言っても過言ではなく、OPECはイランによる海峡封鎖や湾岸諸国の石油・エネルギー施設に対する空爆を名指しで非難すらできない。サウジアラビアやUAEによる迂回ルートでの輸出確保の努力はそれぞれに為されたが、「有志国」ないしOPECとして、開放的石油供給体制の維持・再建を目指す強い集団的意思は示されず、この意味でイランの実力行使に屈している。
UAEは5月1日にOPEC(およびOPECプラス)から脱退した。その動機に関しては、同国の比較的低い石油収入依存度、生産量割り当てへの不満、サウジアラビアとの確執(イランへの軍事的反撃、またイエメン、スーダンでの地域紛争をめぐる方針対立)など、さまざまに説明されている。しかし最も根本的には、OPECがその本来の存在意義を喪失した現在、そこにとどまる理由がない、ということに尽きよう。


