非常事態で表に出ない 東電社長への違和感
「3月22日に国内初の電力需給ひっ迫警報が発令された前後、小早川(智明・東京電力ホールディングス社長)さんはなぜ表に出てこなかったのか。会見すら開かれなかったことには、個人的な違和感を持っている」
こう話すのは、元東京電力幹部のA氏だ。22日は、3月16日に福島県沖で発生した最大震度6強の地震の影響で、東北電力原町や相馬共同火力新地、東京電力広野などの大型火力が軒並み停止。そこに悪天候による寒波が重なって東北、東京両電力管内で電力需給がひっ迫した。
とりわけ東京は厳しく、22日午後には「使用率107%」という異例の非常事態に。揚水が底をつく午後8時以降の停電は避けられないとの見方が広まる中、萩生田光一経産相が午後3時に節電強化を求める緊急会見を開き、東電もウェブサイト上で「節電のお願い」を断続的に行った。JERAが停止中のLNG火力を急きょ稼働させたことも奏功し、停電を回避することはできたのだが……。
小早川社長は表に出てこなかった
「停電寸前の局面での強力な節電要請だったことを考えれば、小早川さんは直接需要家に語り掛けるべきだったのでは。仮に22日は対応に追われてそれどころではなかったとしても、後日に会見を開くなどして『皆さまの協力のおかげで何とか乗り切ることができました』といった謝意表明はあってしかるべきだったと思う」(A氏)
関係者の中には「東電は需給ひっ迫警報の責任者ではないため、会見を行う必要はなかった」と見る向きもあるが、発電や送配電、小売りも含めた東京電力グループの総責任者は小早川氏。経営者として相応の対応が求められるのはある意味、当然のことだろう。振り返れば、2019年9月の台風15号による千葉大停電の際も同じような指摘が聞こえていたような……。
火力政策に一抹の不安 専門家不在の審議会
3月22日の電力需給ひっ迫では、この間の自由化・脱炭素化政策で放置してきた課題が一気に噴出した。経産省は今回のひっ迫を検証するとともに、今年度も夏、そして冬の需給見通しが厳しくなるとして、対応策の検討に乗り出した。中でも火力の過度な退出を防ぎ、必要な規模の設備を温存して、いざひっ迫時に活用できるためには何が必要か、詰めていくことが重要になる。だが、火力政策の見直しに向けて一抹の不安を感じる一幕があった。
3月25日の電力・ガス基本政策小委員会は、今後の火力政策が議題の一つだった。その事務局資料の中に、休止火力の再稼働には「1年以上のリードタイムが必要」との一文があった。これに委員のM氏が「1年以上かかるのであれば、いざというときに役に立たないのではないか」との旨、指摘したのだが……。
ある電力関係者は、「再開までに要する時間は何年止めているかなど状況によって変わるもの。実際、昨年停止したばかりだった姉崎火力は1年もかからず稼働できた。さらに、数週間で再開できるような保管の仕方も可能だ」と話す。
しかし同日の会合ではM氏の指摘に対し、事務局はもとより、オブザーバー参加の電力関係者からも説明がなく終わってしまった。会合に、火力の専門家が参加していなかったためだろう。審議会の一場面にすぎないかもしれないが、されど神は細部に宿る。
原子力委員会の復権 エネ庁が後押しか
原子力関係者の間で注目されているのが、原子力委員会U委員長の意欲的な活動だ。まだ具体化していないが、原子力委の権限を強化し原子力復活の「司令塔」にしようと考えているらしい。エネ庁もその動きを支援するようだ。
20年に委員長に就任したU教授は真面目な人格者と周囲の評判は良い。もともとメーカーから大学に転じ、電力や原子力産業にも理解がある。「今の日本には原子力政策を長期にじっくり考え、実現する政府機関がない。このままでは日本の原子力全体が衰退する」と嘆いているという。
委員会では有識者を続けて呼び、各国の事例を調べ、政策の研究を進めているという。原子力委は1956年の設立当時、学者などを集めて原子力政策の理論武装と司令塔になることを期待された。その後、権限を縮小されたが、確かに日本の原子力政策の柱になり得る組織だ。
U委員長の意向に反応したのがエネ庁だ。原子力に関係するM部長、E課長は経産省内で原子力復権を唱え、自由化見直し論者として知られる。経産省はかつて原子力推進の政策を担ったものの、福島原発事故の責任を問われ、事故の後に規制部門を分離させられ、権限と社会的信用を失った。エネ庁の代わりに、原子力委を原子力規制委員会や関係者に物申せる機関にしようとの思惑が垣間見える。
しかし、U委員長の意欲に周囲は乗り気でないという。原子力委の常勤委員のS氏は元外交官で産業振興に関心がなく、事務局も文科省などの寄せ集め。「U氏の善意と熱意が空回りし、エネ庁に利用されなければいいが」(原子力学界関係者)と、心配する声も出ている。
処分場文献調査に動き 伊豆諸島も候補浮上
北海道の寿都町、神恵内村に続き、他の自治体でも、使用済み核燃料の最終処分場選定のための文献調査を目指す動きが、水面下で活発化しているようだ。
伊豆諸島で文献調査もあり得るか
複数の関係筋によると、三重県A地域、島根県K町およびB地域、福岡県C地域に加え、東京・伊豆諸島でも文献調査の可能性を探る動きが出ているという。「各大手電力管内から最低1自治体に名乗りを上げてもらいたいところだ」。電力業界の関係者はこう話す。
最終処分場の選定作業は、①資料を中心にした2年程度の文献調査、②ボーリング調査などによる4年程度の概要調査、③地下施設での調査・試験を通じた14年間程度の精密調査―の3段階で進められる。調査開始から施設建設地の決定まで足がけ20年近くに及ぶ長期戦だ。調査に応じた自治体には、文献で最大20億円、概要で70億円の交付金が国から支給される。
20年8月の文献調査開始から間もなく2年がたつ寿都町では、近く調査の評価に取り掛かる予定。報告書を公表した後に、概要調査に移るかどうかを判断する住民投票を行う方針だ。
また寿都町から3カ月遅れで神恵内村の調査が丸2年を迎える。去る2月に行われた村長選では、現職で調査を受け入れた高橋昌幸村長が、脱原発派の新人に圧勝し6選を果たした。関係者によれば、北海道電力泊原発の近隣にある同村では、原発交付金の恩恵を受けてきた経緯から処分場調査に前向きな住民が少なくないという。
さまざまな事情を抱えながらも、最終処分場の選定作業は着実に歩を進めつつある。
後継者選びが難航 三村知事6選出馬か
7月に行われる参議院選挙で、自民党の青森県連は齊藤直飛人・県会議員を候補者として擁立することを決めた。齊藤氏は元大相撲力士で最高位は関脇。日本オリンピック委員会の委員を務めたこともある異色の経歴の持ち主だ。
しかし、対立候補の田名部匡代氏は青森政界の「名門」の出身で、国政選挙で合わせて4回の当選を重ねている。田名部氏に勝つことは、「まず難しい」(事情通)というのが下馬評。そのため県政界関係者の関心は、来年6月の知事選に移っている。多選に対する厳しい批判から当初、現職の三村申吾知事の6選出馬はないと考えられていた。しかし、「出馬の可能性がある」(同)という。
三村氏の後継として、以前からM市のM市長、A市のO市長、元知事の次男・K衆院議員などの名前が取り沙汰されていた。「M市長は県政よりも国政進出を狙っている。O市長は、もし三村氏が『出る』といったら逆らえない。K議員は元知事の意向次第だが、代議士の職を優先するはずだ」(同)。ふさわしい候補者が見当たらないことが、三村氏出馬を予想する理由だ。
青森県自民党の有力者、E衆院議員と三村氏が「犬猿の仲」(同)であることも、候補者選びを困難にしている。三村氏は知事選出馬について沈黙を守っているが、その心中は。