【論点】電力先物取引の必要性/土方 薫 東北電力エナジートレーディング社長
昨年の電力市場価格高騰を機に、小売り事業者のリスクヘッジの在り方が問われている。
先物、先渡市場活用が求められるが、「敷居が高い」と感じる事業者も多い。
イソップ物語のアリとキリギリスの話は、誰でも知っている有名な逸話だ。実はこの話が、今の日本の電力取引市場の現状をとても良く反映している。電力市場に置き換えて書き直すと、恐らくこのようなことが起きている。
『ある夏のこと、キリギリスはバイオリンを弾き、のんびりと暮らしていました。その一方で、アリは来る冬のために、電力をせっせと調達していました。キリギリスは「電力をわざわざ今買わなくても、市場にたくさんあるじゃないか」と話しかけると、アリは「今はたくさんあるけど、何かあったらすぐになくなってしまうよ」と答えました。しかしキリギリスは「まだまだ安いし、このまま過ごせばもうかるのに」とアリをからかっていました、秋になり燃料価格が上昇しはじめていても、キリギリスは遊んで暮らしていました。
そして、冬がやってきました。キリギリスは電力を調達しようとするものの、周りには何もありません。調達不足が続いて困り果てたキリギリスは、アリが電力をたくさん調達していたことを思い出し、分けてもらおうとアリの家を訪ねました。キリギリスは、夏の間に働いていたアリをからかってしまったことを思い出し、電力を分けてもらえないのではと思っていましたが、アリは「お分けしましょう。ですけど〝市場価格〟ですよ」と言いました。
キリギリスは不足のままのわけにはいかず、高いお金を払って電力を分けてもらいました。これに懲りたキリギリスは、次の年の夏からは、真面目に電力調達するようになったそうです』
将来の取引価格を確定 事業の不確実性に備え
もう何を言いたいか、お分かりだろう。今の電力市場に必要なのは、将来の不確実性に対する「備え」だ。実際のところ、将来の電力価格がどうなるか知るすべはなく、なかなか「備え」ることはできない。人はどうしても、現在の延長線上に将来を描いてしまう。
しかし、「今」が永遠に続いたことは歴史上なく必ず大きな変化がやってくる。これが個人的な資産運用などであれば、損害を被るのは本人なので問題ないが、電力となると話は違う。現代社会にとって、電力は一時も供給が滞ってはならない大切な資産だからだ。
これまでの日本の電力市場と言えば、日本卸電力取引所(JEPX)というスポット市場が中心だった。しかしここでは、その時々の市場価格でしか電力を調達することができず、将来の不確実性に対しての「備え」にならない。そこで先物市場、あるいは先渡市場が必要になる。
先物(先渡)取引をすることで、将来の価格を今の時点で決めることができる。つまり将来に何が起こっても、契約した時期になれば契約した価格で電力を取引でき、将来の価格変動に対する損失を排除できる。両者の違いは、先渡しは電力の現物を受払いする取引、一方、現物を伴わず引き渡し時点のスポット価格と取引した先物価格の差をやりとりするのが先物取引だ。
例えば、8月渡しの先渡ベース取引は、8月1~31日の毎日24時間にわたって受払いする電力の現物を取引する。先物取引は、8月1~31日のJEPXスポット価格と先物価格の差分を決済する。その時、スポット価格が先物価格よりも高ければ、電力先物の買い手は売り手から差額を受領し、その利益をスポット調達した際にかかるコスト増の補填に充てることで、実質、先物価格で電力を調達したことになる。肝心なのは、将来の価格変動に対するリスクヘッジという点で、どちらも同等の経済効果を得られるということだ。
先物忌避は過渡期現象 いずれ活用は不可避に
ところで、こういった有効なツールがあるにもかかわらず、なかなか普及が進んでいないという話をよく耳にする。その理由は何か。まず考えられるのは、電力事業が長い間、規制下にあったために、ヘッジに対するマインドが醸成されていないことがある。旧一般電気事業者にとっては、総括原価に加え、燃料費調整制度などもあり、将来の価格変動リスクがカバーされていたことも影響している。
二つ目は、先物価格と実際の販売価格に乖離があり、ヘッジ取引をした途端に赤字が確定してしまうことだ。今赤字を確定してしまうより、この先ひょっとしたら市場価格が安くなる可能性だってある―という考え方もあるだろう。
私は、いずれも一時的な現象だと考えている。電力の市場化が拡大し、総括原価の世界だけでは事業が成立しないことは既に自明のことだ。販売価格と市場価格の乖離も、やがて時間が解決する。
歴史をひもとけば、1985年のプラザ合意により、日本経済は急激な円高に見舞われ、多くの輸出企業が苦しんだ。その水準で為替予約(為替の先物取引)をすれば赤字は確定、事業撤退にもつながる状況だった。しかしその後も、為替レートは戻ることなく現在に至る。その間、輸出企業は並々ならぬ企業努力で、現実の為替レートに追従できる企業体力を作り出した。これが現実のビジネスの世界なのだ。
最後に、冒頭のイソップ物語には、ほかの結末があるといわれている。その一つが、キリギリスが食料を分けてくれとアリのすみかを訪れた時に、「夏遊んでいたのだからあげられない」と言って追い返されるもの。キリギリスはその場で凍死してしまう。二つ目が、キリギリスがアリに「もう歌うべき歌がない、君たちは僕の亡きがらを食べればいいよ」と自虐的になるもの。
どちらの結末をも迎えることがないよう、電力事業者はリスクマネジメントにしっかりと取り組むべきだろう。
ひじかた・かおる Enron、住友商事などを経て2014年東北電力入社。17年に東北電力エナジートレーディング社長に就任。現在、東北電力上席執行役員。