飯倉 穣/エコノミスト
1,近時の賃金引上げ要求に疑問符
エネ価格上昇による物価上昇の下で、23年は「物価上昇率を超える賃上げの実現」で始まった(首相年頭会見23年1月)。政策面でも「賃上げと経済成長の好循環」の合言葉が踊る。その流れは、勢いを増しているようである。報道は伝える。
「今年上回る賃上げ要請 首相、中小企業減税で支援 来春闘控え政労使会議」(共同通信23年11月15日)、「連合と経済同友会幹部が会談 持続的な賃上げ取り組みで一致」(NHK11月28日)、「連合、春闘「5%以上」決定」(朝日12月2日)等。
連合の賃上げ要求5%に絡み、経済界の持続的賃上げ容認、構造的賃上げによる賃金と物価の好循環を目指す政府の賃上げ期待・誘導等の動きが目立つ。
消費者物価が上がれば、賃金も上げるべきという主張、賃上げが消費と投資の力強い循環を生み、経済を新たなステージに移行させるという経済成長期待論がある。敗戦後経済史の中で、この国は、物価と賃金と成長に関する二つの際立つ経験をしている。そのいずれも適切な見方で賢明に対応し、経済健全化を実現した。今回はどうだろうか。経済成長、賃金水準、物価の見方と、輸入価格上昇に伴う物価と賃金の適切な姿を考える。
2,経済成長なら企業物価安定、消費者物価一定割合上昇
成長と物価の問題は高度成長期に一大論争を巻き起こした。1960~70年の推移は、名目経済成長率年16.4%、実質同10.2%、卸売物価年平均1.3%、消費者物価(東京区部)年平均5.8%だった(名目賃金年平均名目12%、実質6%)。60年代前半経済成長が始まると物価高が新聞を賑わした。高度成長への批判だった。そして物価上昇に見合った賃金引上げを労働組合が強く主張した。
成長(生産性)と物価の関係、とりわけ卸売物価(企業物価)と消費者物価の関係が議論された。マル系の学者、マスコミ等は、高度成長・高物価批判に徹していた。当時下村治博士が、合理的な見方を提示した。
「日本の消費者物価問題には非常に大きな特徴がある。国民一人あたり国民総生産が10年間に3倍近く増加しながら、卸売物価がその間ほとんど横ばいという驚くべき安定である。消費者物価も合理的な水準で推移した。これは高速度の経済成長の姿を背景としている。経済成長の過程で、物の生産部門において生産性の向上があり、それがその部門の雇用の増加と所得の増加をもたらすと、それはやがて経済全体に波及する。物を生産しないサービス部門も、同じような所得上昇が実現される結果になる。これが経済成長である。
ここで消費者物価問題が登場する。サービス部門のサービスは、所得水準が高くなるとき、当然その部門の提供するサービス価格の上昇が避けられなくなる。例えば植木職人の所得上昇は手間賃の上昇、理容師の所得増加は、理髪料金の上昇がなければ、十分に実現されない。サービス部門と生産部門との間に労働の代替性が存在すれば、国民全体としての労働の値打ちの向上の実現過程で消費者物価は、一定程度上昇する」(下村治「日本経済は成長する(63年10月25日)」から引用・要約)
高度成長期後半でも、庶民味方風の物価高騰批判が継続した。当時の佐藤政権は、安定成長を掲げ、下村の見方を遠ざけていた。高度成長は継続した(いざなぎ景気)。現実の事象に勝てず、政権はようやく物価批判に対する答えで下村論を認める。その報道がある。「ずれた首相の物価感覚「高度成長の下では5%程度の物価上昇は我慢できる水準」(佐藤栄作首相発言)」(朝日69年8月20日)。ずれていたのは報道内容だった。政治・報道は、屡々現実を歪曲し勝手考えで錯綜する。おかしなことである。高度成長は、生産性向上で、働く人の所得水準を引き上げ、日本を豊かにした。