このところ政治の側から発する「原発ゼロ」「エネルギー改革」の声が小さいように感じる。政治家や政治活動家の人達が、別の社会問題に関心を向けているようだ。2011年の東京電力福島第一原子力発電所事故から、民意や政治家の行動に、エネルギー政策は翻弄され続けた。異論はあるかもしれないが、「このまま選挙でエネルギー問題については盛り上がらずに、専門家や事業者が冷静に問題を議論する状況ができればよい」と筆者は期待している。
◆「原発ゼロ」は政治論点にならないのか?
今年は衆議院選挙のある年だ。しかし各政党は、原発やエネルギー問題を、8月時点では選挙のための主要な争点にしていない。
17年に設立された立憲民主党は。同年の選挙で「原発ゼロ」を主張した。翌年に「原発ゼロ基本法案」を共産党などと共同提出した。その内容は「全ての原発を速やかに停止し、廃炉にする」とするものだった。
この法案は成立しなかったが、同党はその後、積極的に再提出・成立を目指していない。背景に、20年9月に同党は旧国民民主党と合流し、新しい立憲民主党として再出発して、連合の全面的支援を受けるようになったことがあるだろう。連合傘下の電気、機械などの有力産業組合は、立憲民主党の「原発ゼロ政策」に批判的だ。
立憲は21年3月末、基本政策に「速やかに廃炉」を盛り込んだが、それを具体化する動きはしていない。
日本共産党やれいわ新選組も、熱心に主張してきた「原発ゼロ」だけではなく、「コロナ対策」や「積極財政」など、別の話を取り上げている。
さらに選挙では、「原発ゼロ」だけを強く訴える候補は、それだけでは当選していない。反原発を訴え続けた旧民主党やその後継政党も、それによって議席を伸ばしたわけでもない。各党とも、反原発、再エネへの熱意の低下は明らかだ。
◆重要な問題の先送りを続ける自民党
一方、自民党は、エネルギーを巡る政策の是非を今年の選挙も訴えなさそうだ。菅義偉首相は20年10月の首相就任演説で、50年までに日本での温室効果ガスの排出を実質ゼロにする「カーボンニュートラル宣言」をして、エネルギーから社会を変えると目標を掲げた。
8月初旬に、菅首相に近い自民党議員と話をする機会があった。以下の内容の発言をしていた。
▷「カーボンニュートラル宣言は、菅首相が自ら設定した目標で、事前調整を自民党内でしなかった。かなりの熱の入れようだった」
▷「菅首相は本気で日本のエネルギーと社会を変えるきっかけを、この宣言で作りたいと考えている」
▷「カーボンニュートラルの動きが本格化すれば、原子力の再評価につながる。菅首相は原子力を側面から支援する意味も、この宣言に込めている」
▷「菅首相も自民党と原子力と再エネなど、使える方法を全て活用して、エネルギー政策を変える意向だ。それが解決した次の段階で、原子力の今問題になっている再稼働の遅れや原子力発電所の新増設にも取り組みたい」
この発言に筆者は質問した。「そうした自民党や菅首相の意向が、政府の政策に反映されていない。検討中のエネルギー基本計画など、政府の掲げる計画では、実現可能性の疑われる数値目標ばかりが掲げられている」。その議員は「党内にも、政府内にも、いろいろな意見があり選挙もある。しかし菅首相も、エネルギー政策をまじめに考える議員も意見は変わらない」と、言い訳をした。
コロナ騒動に社会の関心が向いてしまったためか、菅首相の「カーボンニュートラル宣言」を巡る世論の好意的な評価は今ひとつ。自民党内はカーボンニュートラル政策の実行と、原子力を活用すべきとの意見が強いようだ。しかし選挙や連立与党の公明党への配慮から、それがまとまった力になっていない。政治的に、菅政権の支持率が低下する中では、票を減らしかねないエネルギー問題に真剣に取り組む可能性は少ないだろう。また問題の先送りをしそうだ。
そうした中で、エネルギー問題に深い見識を持っているとは思えない小泉進次郎環境大臣、なぜか原子力と電力業界に敵意を持っているとしか思えない行動を続ける河野太郎規制改革担当相を、菅首相は重用している。彼らは発信力と国民的人気があるためだろうか。ただし、この2人によって混乱が増幅しているように思える。
福島原発事故の混乱が落ち着いた12年ごろから、選挙ごとに、原発容認の人も、反対の人も、またエネルギー政策に関心を持つ人も、選挙の後に「政策が変わる」と期待した。ところが、多くの問題は先送りされた。エネルギーシステムが多くの問題を抱えたまま、電力自由化が実現し、時間が経過していった。同じことが、また21年の衆議院選挙でも、その後にも繰り返されそうだ。だらだらと、問題解決が先延ばしされそうだ。
◆エネルギー政策は政争の具でいいのか!
そもそも、エネルギー政策や産業システムについて、民意や政治が過度に干渉して、制度作りを主導していいものなのか。
エネルギー政策で追及されるべきは「3E(経済性、環境、経済安全保障)」+S(安全性)」とされる。エネルギーシステムを設計できのるは専門家であり、運用するのは民間企業であり、それを利用するのは消費者だ。電力・ガス事業は、福島事故の後で規制緩和と自由化が進み、事業の実施は事業者が原則自由に行えることになっている。政治や民意の思いつきで、脱原発などの一部の人の意向が自由に行なってはいけないし、そもそも行えない。
日本のエネルギー政策は、専門家と事業者が行政と協力しながら進めた面があった。その取り組みの下で、11年に福島原発事故が起きた。その大失敗の反省から、見直しが図られたことは当然であろう。日本のような高度な産業化社会では、専門家が産業界と結びついて癒着し、経済的利益で社会的に重要な判断がゆがめられる危険は常にある。
ところが、福島事故の反動で、政治や民意が、エネルギー産業を振り回すようになった。民主党政権では審議会で「御用学者」を追い出したら、政治色の強い「活動家もどきの学者」が入ってきた。さらに感情的に行動する一部の政治家が介入し、政争の道具にしたために混乱を広げた。自民党の連立政権でも、それを大きく是正しなかった。
政治と民意の介入で、「原発は悪」「再エネは善」「大手電力会社は悪」などの主張がエネルギー政策で語られた。客観的であるべきエネルギーの議論に、政治主張や偏重した価値判断が入り込み、それに政策が引きずられてしまったように思う。
要はバランスの問題だ。専門家や現場の経済活動を適切に支援しながら、民意を汲み取って政策が形になれば良い。しかし今はバランスが壊れている。
筆者は21年夏のエネルギーを巡るこの状態、つまり政治のエネルギー・原子力問題への関心の薄れ、その背景にある世論の関心の薄れに期待している。この調子で、政治家はエネルギーにしばらく関わらないでほしいし、政治活動家もエネルギーのことは忘れてほしい。
「民主主義を蔑(ないがし)ろにする」というお叱りを、読者から受けそうな考えかもしれない。ただし、私が願うのは一時的にそうであってほしいというものだ。長期的には誰もが合意できるエネルギーシステムを作るために、政治と世論の関与は必要であろう。しかし一時的に弱まっている専門家や事業者の発言力を強め、冷静にエネルギーの問題を洗い出して、是正するための時間が必要であると思う。
選挙のたびに、エネルギー問題が政争の道具、メディアのおもちゃになるのは、エネルギーに関係し未来を憂う者として、もううんざりである。