【3分で読める小説】意識発電


参加するだけでお金をもらえる怪しげなセミナーがあるらしい。

そんな話を聞いたのは、WEB雑誌の編集部でのことだった。

奇妙なのは、その点だけではない。セミナーに潜入したはずのライターたちが、ことごとく消息を絶っているのだという。

そのセミナーにもぐりこみ、真相を暴いてきてくれないか。

編集部からのそんな依頼に、正直なところ、おれはほとんど興味を持つことができなかった。が、提示された条件がよかったために、打算的に引き受けることにしたのだった。

情報をたどってたどりついた会場は、都内の大きなビルの中にあった。

その広い会場に足を踏み入れると、すでに大勢の人が着席していた。多くが若者で、なんだか一様にやる気のなさそうな顔をしている。

まあ、金に釣られて来るやつらなんて、こんなもんか……。

そんなことを考えながら、おれは空いているところに着席した。

セミナーは、午前と午後に分かれていた。

しばらくすると司会者が開始を告げて、半日がかりのセミナーがはじまった。

午前の部で壇上に上がった人物は、まだ二十代と思しきラフな格好をした男だった。

男は開口一番、こう言った。

「Change the world.」

それと同時に、スクリーンに文字も投影される。

おれは思わず笑ってしまいそうになった。

いきなり、なんて陳腐な言葉なんだ……。

しかし、男は恥ずかしげもなく、会場全体に問いかけた。

「きみたちは、ルールに支配される側か? それとも、ルールを生みだす側か? どちらを選択するかは、もちろん自由だ。が、おれは誰かに支配されるような生き方だけはしたくない。イノベーションで既存のルールをぶち壊す。そして、新たなルールで世界を変える。それがおれの生き方だ」

なんだか既視感のある言葉だったが、男の口調は熱っぽい。

次にスクリーンに現れたのは、ひとりの人物の写真だった。その下には聞いたことのあるスタートアップ企業の名前と、CEOという肩書が書かれていた。

「彼とは、ふだんからよく飲みながら未来について語り合ったりしていてね。最後はいつも、どっちが先に世界を獲るかって話になる。まあ、お互いが譲らないわけなんだが、高め合える仲間がいる幸せを感じるよ」

男はその後も、煽るような熱い口調で人脈の話や、イメージ先行のふわっとした話を繰り広げた。

なんだかなぁ……。

最初のうちこそ、そう思いながら聞いていた。

しかし、男の熱に当てられるうちに、おれは自分の奥底に熱いものが宿りはじめていることに気がついた。根拠のない自信に満ち、大言壮語を吐きつづける男のことが、なんだかうらやましくなってきたのだ。

自分はいつから、この男のような熱量を失ってしまったのだろうか……。

かつては、周囲に心配されるほどの尖ったスタンスで仕事をしていた。中身が伴っていようがいまいが、突き動かされるままに働いていた。

が、今ではすっかり、打算や諦めが中心だ。

おれは自問自答する。

今の自分をかつての自分が見たら、どう思うだろう。なじられ、罵られ、あるいはぶん殴られるかもしれない。

世界を変える、か。

もしかすると、少しくらいはそんな気持ちを取り戻してもいいのかもしれない。

いや、違うな。

中途半端は一番ダメだ。

おれが、筆の力で世界を変えていかないと!

午前の部が終わって昼休みになると、熱い気持ちに突き動かされて、おれはスタッフの一人に「聞きたいことがある」と言って詰め寄った。

「はい、なんでしょう」

おれはいまや、セミナーの秘密を暴いてやるぞという使命感に駆られていた。

この怪しい仕組みの謎も、ライターたちが消息を絶った理由も、絶対に突き止めてやる!

おれは端的に質問した。

「どうして、このセミナーは参加費を払うどころか、お金をもらえるんですか?」

「なるほど、そのことですか。お教えしましょう」

スタッフは、あっさりと口にした。

「こちらへどうぞ」

促され、おれはスタッフのあとにつづいて廊下に出た。

廊下は熱気であふれていた。

先ほどまではやる気がなさそうだった若者たちは、いまや世界を変えるにはどうしたらいいかと情熱的に議論をしていたり、座り込んで食い入るようにパソコンを見つめ、猛烈にキーボードを叩いたりしていた。

そんな間を通って案内されたのは、会場の隣に位置した一室だった。

中に入って、おれは首を傾げた。

巨大な水車のようなものがあったからだ。

「これを回して、我々は電気を作っているんですよ」

スタッフは言う。

「水力発電と、ほとんど同じ仕組みですね。ただ、使うのは水ではなくて、意識ですが」

「意識……?」

「ええ、この水車ならぬ『意識車』を使えば、意識の流れをとらえて発電することができるんですよ。個人個人の意識というのは、普通はまとまりなくバラバラに外に流れだしているものなんですが、我々はそれらをコントロールしてひとつの場所に貯めて、一気に放出することで大きな流れを得ているんです。その場所というのが隣のセミナー会場で、我々は『意識ダム』と呼んでいます」

おれは尋ねる。

「その、意識を貯めるというのは……」

「集まった方々の意識が、総じて高まっている状態のことです。午前中のセミナーで、あなたも意識が高まったでしょう? あとは午後の部で、みなさんの高まった意識を低きに流して放出すれば、意識車がくるくる回って電気を生みだせるという具合です。だからなんです、セミナー参加者のみなさんに謝礼を出させていただいているのは。我々はそうして発電した電気を売って利益を得ていますので、一部をみなさんに還元しているだけなんです。ちなみに、意識発電は元手がかかりませんし、ここに来るようなたぐいの人たちを感化するのも簡単なので、効率はとてもいいですよ」

途中から、おれは義憤に駆られていた。

人の意識をコントロールする?

なんて傲慢なやつらなんだ!

それに、と、おれは思う。

感化するのが簡単だ? ふざけるな!

しばらくのあいだ、沈黙が流れた。

やがて、おれは口を開いた。

「……仕組みはよくわかりました。午後の部も、ぜひ楽しませていただきますよ」

嫌味をこめてそう言うと、おれはセミナー会場へと踵を返した。

心の中では、こう決意していた。

何が意識発電だ。

この悪行を、最後まで見届けてやる。

そして、必ず記事にして世間にすべてを暴露してやる!

午後のセミナーがはじまった。

登壇したのは、Tシャツに短パン、サンダル姿の男だった。

よし、一言たりとも聞き逃さないぞ──。

そう思っていると、男は開口一番、こんなことを口にした。

「みなさん、なにギラギラしてんっすかぁー」

だるそうな口調で、男はつづけた。

「なんか世界を変えてやるって感じのオーラが出てますけど、そういうの、さぶいっすよ。それに、世界なんてそう簡単に変わるわけないじゃないっすかぁー」

おれは猛烈な反発心を覚えていた。

なんだ、このふざけたやつは。なんでこんなやつが登壇してるんだ?

周囲の人たちも同じ気持ちを抱いたようで、わざとらしいため息や舌打ちが聞こえてくる。

男は構わず口にする。

「仕事の本質は、いかに働かずして金をもらうか。これに尽きますよねー。バレないように、どんだけ手を抜けるかってことっすね。がんばったところで結局は何も変わらないし、どうせ意味なんてないんすから、がんばるだけ損っすよ、損」

男は、なおも語りつづけた。

いわく、今が楽しければそれでいい。明日のことなんてわからない。サボれるうちに、サボれるだけサボっておくべき……。

おれのイライラはますます募り──はしなかった。

男の話を聞くうちに、それも一理あるかもしれないなと思うようになってきたのだ。

男の言う通り、世界なんてたやすく変わるものではないし、そんな大それたことが自分なんかにできるはずがない。

それなのに、世界を変えてやろうだなんて、いったい何を考えていたんだろう……。

一度考えはじめると、おれはいろんなことがどうでもよくなってくる。

この仕組みを暴露する? そんなことに、なぜ熱くなっていたのか。というか、そもそもおれは、この仕事に対して最初から思い入れなどなかったはずだ。

なんだか、全部がめんどくさくなってきた。

っていうか、働きたくねー。

おれはテーブルにひじをつき、ぼんやり思う。

もう、仕事も辞めちゃおっかな。実家に帰って、親のすねをかじって生きてこうかな。

うん、それがいい。

そうしよう──。

おれは思う。

きっと、いなくなったライターたちも同じ真理にたどりついたのだろうなぁ、と。

まあ、そんなどうでもいいことよりも。

いまはただただ、ビールが飲みたい。

そのとき、隣室のほうから、うっすらと重低音が聞こえてきた。 それは何かが勢いよく回っているような音だった。

ショートショート作家 田丸雅智氏

田丸雅智(たまる・まさとも)
1987年、愛媛県生まれ。東京大学工学部、同大学院工学系研究科卒。2011年、『物語のルミナリエ』に「桜」が掲載され作家デビュー。12年、樹立社ショートショートコンテストで「海酒」が最優秀賞受賞。「海酒」は、ピース・又吉直樹氏主演により短編映画化され、カンヌ国際映画祭などで上映された。坊っちゃん文学賞などにおいて審査員長を務め、また、全国各地でショートショートの書き方講座を開催するなど、現代ショートショートの旗手として幅広く活動している。書き方講座の内容は、2020年度から使用される小学4年生の国語教科書(教育出版)に採用。17年には400字作品の投稿サイト「ショートショートガーデン」を立ち上げ、さらなる普及に努めている。著書に『海色の壜』『おとぎカンパニー』など多数。メディア出演に情熱大陸、SWITCHインタビュー達人達など多数。
田丸雅智 公式サイト:http://masatomotamaru.com/

【3分で読める小説】ネガ発電


人の感情はエネルギーを内在している。

感情エネルギーである。

それを集めて、うまく利用できないものか。

そんな考えのもと秘密裏に進められていた研究が、ついに結実するときがきた。

ネガティブ感情発電、通称、ネガ発電というものだ。

言うまでもなく、そもそも感情にはさまざまな種類が存在している。希望にあふれたもの、喜びに満ちたもの、思わず泣いてしまうもの。

そんな中でも、とりわけ高エネルギーであったのが、ネガティブな感情の持つそれだった。

恨み、妬み、憎しみ。

怒り、嫌悪、不満。

研究の結果、同じネガ感情の中でも、そういった悪意のあるものほど高いエネルギーを保有していることが明らかになった。そして、そんなネガな感情を活用して発電する技術、それがネガ発電というわけだった。

しかし、資源となりうる肝心の悪意は、果たして効率的に手に入るだろうか──。

当初、研究者たちは懸念した。

が、それはまったくの杞憂であった。

悪意は現代において、そこかしこに蔓延しているものだったからだ。

特に有り余るほどに悪意に満ちていた場所は、SNSの世界だった。

──またどこぞのご身分の高い方が、ご発言なさったらしいけどさー

──たまたまタイムラインに流れてきた例のアニメの件、ツッコミどころが満載なんだが

──こいつら低能すぎるだろwww

苦言、警鐘、議論、批判。

言葉が媒介となり、SNSの世界には膨大なエネルギーが流れこんでいた。

それらの中には悪意が先行していない、低エネルギーのまっとうなものも当然あった。が、いずれにしても反応が連鎖していくうちに悪いほうへと転がっていき、最終的には悪意を増幅させる結果となっていた。

このエネルギーの宝庫に目をつけた研究者たちは、さらに研究を進めていき、ついにSNSからエネルギーを取りだす方法を確立した。

それをもとに国主導で建設されたのが、ネガ発電所である。

その建設計画が持ち上がった当初、予定地近隣の住民たちは猛反対した。

自分たちは騙されないぞ。ネガ感情という表現で濁していても、つまるところは悪意の塊のことである。もし、その悪意そのものが漏れ出したらどうするのか。

それに対して、国はこう説明した。

リスクはほとんどゼロに近い。漏れ出すことなどあり得ない。安心・安全の技術をつぎこむ所存だ。

それでもなお住民は反対したが、最後は国が給付金を出すという条件で押し通し、ネガ発電所はついに建設されるに至った。

その発電所では、事前の目論見通り電気がどんどん生みだされた。

いや、実際は目論見以上の成果をあげた。

SNSには当初の試算よりも加速度的に悪意ある言葉が増えており、得られるエネルギーもうなぎのぼりになっていたのだ。

そこから生まれた電力は、国に多大なる活力を与えてくれた。

有り余る電力はふんだんに使われ、日本中はギラギラと輝いて不夜城と化した。

国は大いに気をよくした。

資源採集の手間がかからず、発電コストが格段に安い。もとより人間の感情を利用しているので、温室効果ガスの排出の心配もない。資源は放っておいてもどんどん増えていく一方なので、埋蔵量を気にする必要もない。

悪意とは、なんと素晴らしい資源だろうか。

国は早々にネガ発電所を増やすことを決め、全国各地で建設ラッシュがはじまった。

発電所がいくら建設されようとも、悪意という資源の増加はとどまるところを知らなかった。

有名人への誹謗中傷。病気の対策法についてのデマ。マウントの取り合い。

その中には、ネガ発電そのものに対する見解もあった。

──発電所の近くで採れた野菜を食べたら、性格が悪くなるって研究結果が出たらしいよー

無論、そんなデータなどはありやしないが、投稿はどんどん拡散されていき、周囲の論調もエスカレートする。

そんなものは、ひどいデマだ。

そう指摘した投稿には、こんなコメントが返ってくる。

──おまえ、どうせネガ地区の住民だろ?

──給付金で食ってるやつらが何言ってもなwww

噂では、国の関係者が人を雇い、悪意を増やすためにSNSでわざと煽っているのではないかともささやかれた。が、真相のほどは定かではない。

そうこうするあいだにも、いつしか日本はエネルギー大国となるに至っていた。

海外からの視察団も殺到し、世界中にネガ発電所が建てられはじめる。

ところがあるとき、東京近郊の発電所で予期せぬことが起こってしまう。

膨れあがった悪意が施設の処理限界を超え、大爆発を起こしたのだ。

建屋から真っ黒なものがもうもうと立ちのぼる中、国のトップはこう説明した。

今まさに、大量のネガ感情が漏出しており、東京全体を急速に汚染している。都民はすぐに避難してくれ──。

人々は戦慄すると同時に憤慨した。

リスクがゼロだと言ったのは誰だったか。あれは全部ウソだったのか。

国も国で反論する。

誰もゼロだとは言ってない。ほとんどゼロということは、例外があることを意味している。

突然のことで多くの都民が逃げ遅れ、漏出した悪意に“被悪”した。

どんな健康被害が出るのだろうか……。

国全体が戦々恐々とする中で、やがてもたらされた報告は意外なものだった。

健康への悪影響は一切ない。むしろ、“被悪者”たちの健康状態は極めて良好であると言わざるを得ない──。

その要因は、被悪者たちに起きた変化にあった。彼らは日常的に悪意を周囲に振りまくようになっており、それがストレス発散につながっているようだったのだ。当然ながら、彼らの周囲では罵詈雑言の浴びせ合いになるような事態が頻発していた。が、彼らは互いに相手の言葉など聞いておらず、自身の悪意を存分に周囲に垂れ流していた。

そんな彼らの嬉々とした表情は、世に多大なるショックを与えた。

が、うらやましいと思う者たちも少なくなかった。

自分たちは人目を気にして、こそこそとSNSをはけ口にしている。にもかかわらず、あいつらは堂々と好き勝手なことを言いつづけ、とがめられても気にもしてない。

ずるい。こんなのは不平等だ。

ネガ発電所の爆破テロが行われたのは、ほどなくしてだ。

テロリストたちは、こんな声明を発表した。

悪意は人に幸福をもたらす。国はその事実をひた隠しにし、一部の限られた人間だけが悪意の恩恵を享受している。そんなことは許されない。悪意は世界に解放されなければならない。

それを機に、ネガ発電所は次々にテロの標的となった。

悪意はどんどん漏れ出して、汚染は各地で進行していく。

人々は、テロリストたちをあらゆる言葉で罵った。しかし、そういった人々の大半はすでに被悪しており、批難の声をあげながらも恍惚の表情を浮かべている。

同様のテロは世界中で巻き起こり、ネットに加えて現実世界も悪意であふれかえるようになる。そして、悪意はさらなる悪意を呼び、地上は禍々しい黒いもやで覆われはじめる。

が、その満ちあふれるエネルギーを利用しない手など、あろうはずもない。

国は、新たなネガ発電所の建設をどんどん行い、電力はどんどん生みだされた。

こうして人類は、有史以来の無尽蔵のエネルギーを手中に収めることと相成った。

世界中で過剰なほどに生み出される電力は、昼夜の別なく目がくらむほどの景色をもたらした。街という街は光り輝き、サングラスをせねば直視できないほどであった。

そんな中、地上を遥か上空からとらえた衛星写真が撮影されて、世に出回ることとなる。

それはさぞ、煌びやかなものなのだろう──。

そう考えるのは早計だ。

写っていたのは、そんなものとは程遠い光景だった。

写真を見た人々は、おもしろおかしくあげつらう。

──撮影者が悪いんじゃね?

──この人工衛星の開発者、出自がマスコミっぽいですよ。

──ふざけたCG、お疲れさまっすwww

真偽のほどは、人々にとってはどうでもいい。

自己が満たされれば、それでいいのだ。

その一枚の写真からは、電力のもたらす明かりは微塵も感じられなかった。

そこに写っていたのは、何かに染まったどす黒い天体だった。

(了)

ショートショート作家 田丸雅智氏

田丸雅智(たまる・まさとも)
1987年、愛媛県生まれ。東京大学工学部、同大学院工学系研究科卒。2011年、『物語のルミナリエ』に「桜」が掲載され作家デビュー。12年、樹立社ショートショートコンテストで「海酒」が最優秀賞受賞。「海酒」は、ピース・又吉直樹氏主演により短編映画化され、カンヌ国際映画祭などで上映された。坊っちゃん文学賞などにおいて審査員長を務め、また、全国各地でショートショートの書き方講座を開催するなど、現代ショートショートの旗手として幅広く活動している。書き方講座の内容は、2020年度から使用される小学4年生の国語教科書(教育出版)に採用。17年には400字作品の投稿サイト「ショートショートガーデン」を立ち上げ、さらなる普及に努めている。著書に『海色の壜』『おとぎカンパニー』など多数。メディア出演に情熱大陸、SWITCHインタビュー達人達など多数。
田丸雅智 公式サイト:http://masatomotamaru.com/

コスト低減と安定供給の両立へ 「スマート保安」を積極展開


【東北電力ネットワーク】

東北電力ネットワークは、AI・IoTなどを活用した設備保守の高度化・効率化を進めている。
激変する事業環境の中、コスト低減と安定供給の両立を実現し、競争力強化を目指す。

東北電力ネットワークの供給エリアである東北6県と新潟県は、国土面積の約2割を占めており、架空送電線路の長さ、送電鉄塔の基数とも、国内の一般送配電事業者の中では最大の設備規模。安定供給を果たしていくためには、この広いエリアに点在する設備について、巡視や点検を通じて劣化状態を把握し、計画的に適切な補修を実施するとともに、必要に応じて設備の更新を進めることが重要となる。


送電鉄塔は、経年による腐食や劣化のレベルに応じて塗装や部材の取り換えを行うなど計画的な補修工事を行う必要があるが、従来、腐食・劣化の度合いの判定については、個人差が生じやすいという課題があった。


また、送電鉄塔の腐食箇所やその程度については、鉄塔1基ごとに管理しており、補修工事の計画策定に多くの時間と労力を要していた。

AIで腐食劣化度診断 経済産業大臣賞受賞

そこで、AIを活用した「腐食劣化度診断システム」を、株式会社SRA東北と共同で開発。2019年11月に電力業界として初めて運用を開始した。


本システムでは、スマートフォンやドローンなどで撮影した画像を基に、AIが送電鉄塔の腐食や劣化の度合いを瞬時に判定。これにより、判定に係る個人差を解消することが可能となった。加えて、画像の撮影時にGPSにより鉄塔の位置情報を自動的に取得し、判定結果とともにデータベースへ送信することで、各鉄塔の腐食・劣化の度合いを一元的に管理することが可能となり、補修工事計画を短時間で策定できるようになった。

撮影した画像を基に、AIが腐食劣化度を瞬時に診断
AIを用いた鉄塔腐食劣化度診断のイメージ

システムの導入から1年。「腐食・劣化状況をスピーディかつ的確に把握できるようになりました」と、同社電力システム部送電グループの冨岡敬史さんは、導入の手応えを語る。本システムは、国土交通省および関係6省庁がインフラのメンテナンスにおける優れた取り組みを表彰する「第4回インフラメンテナンス大賞」の「経済産業大臣賞」を受賞。同社は今後、送電鉄塔と似た構造物を持つほかの産業への展開の可能性も探っていく。

さらなる効率化へ 多様なパートナーと連携

このほかにも、同社電力システム部では、多様なパートナーとタッグを組み、新技術を活用したさまざまな検証を並行して展開している。


例えば、送電鉄塔に設置している航空障害灯の点灯状況に係る目視確認の効率化を目的に、省電力で長距離通信が可能な「LPWA」と呼ばれる通信技術を活用し、山間部の送電鉄塔に取付けた現地センサーの動作情報を収集、遠隔監視するIoTシステムの実証試験を、宮城県内で実施している。実証に当たっては、通信大手など複数の企業と連携し、早期の実現を目指すとともに、さらなる活用拡大も模索する。


さらに、レーザーなどの光を対象物に照射し、対象物の座標や輝度を読み取る技術「LiDAR」を活用して、変電所構内の設備の外観異常を遠隔地にいながら自動的に検知する技術の検証を、日本電気株式会社と共同で実施している。「この技術の特長は、異常値に関するデータの学習や蓄積がなくても検知が可能な点です。変電設備の状態把握の高度化と巡視業務の効率化を同時に達成する技術として、将来、人の目に代わる技術となる可能性があります」と、同社電力システム部変電グループの竜野良亮さんは、その効果に期待を寄せる。

LiDARを活用した異常検知のイメージ

同社はこのように、AI・IoTなどの新技術を積極的に取り入れ、設備保守の高度化・効率化を図る「スマート保安」の展開を通じて、引き続き、お客さまや地域社会に安心・安全・快適な暮らしをおくり届けるという使命を果たしていく考えだ。

電力システム部送電グループの冨岡さん(左)と同部変電グループの竜野さん(右)

でんきの科学館リニューアルオープン 「電気の旅」コーナーを刷新


【中部電力】

中部電力のPR施設「でんきの科学館」(名古屋市中区栄、五ヶ山淳館長)が2020年10月31日、リニューアルオープンした。同館3階の「電気の旅」コーナーを刷新。燃料調達から発電所、送電・配電網を経由して消費者のもとに電気が届くまでの流れや、安定供給を支える電力マンの仕事を「旅」に見立て、楽しく学べるようにしている。


でんきの科学館は16年度から順次リニューアルし、今回で完了した。改装した「電気の旅」コーナーは、①ジオラマ②壁面グラフィック・電力設備の展示③きみも電力マンになろう④地上100メートル電気の旅~鉄塔の上から見てみた!~――の各ゾーンで構成されている。

電気の流れを分かりやすく 電力マンの仕事も紹介

ジオラマゾーンは、燃料の調達から電気が家庭やビル、工場に届くまでの流れを全長約16mのジオラマで表現。ジオラマ前にはAR(拡張現実)モニターが設置され、モニターをのぞくと電気の旅を支える電力設備の役割や仕組み、設備の保守・点検や災害対応など電力マンの仕事について詳しく紹介している。

全長約16mのジオラマで電気が届くまでの道のりをたどれる

壁面グラフィックゾーンは、電力の一連のバリューチェーンを写真や碍子、電線などの実物の電力設備や模型を使って電力マンが解説する。高所作業車のバケットもあり、疑似乗車体験を通じて作業する電力マンの目線で電柱の設備を見ることができ、設備の大きさ、重さ、高さなどのスケール感をよりリアルに体感できる。


きみも電力マンになろうゾーンは、電力設備の保守・点検作業や訓練の様子を紹介。壁面には、作業に使用する道具の展示や電柱に登る訓練の様子のだまし絵を描いた。それを背景にすると柱に昇っているような写真を撮影でき、このトリックアートは来館者から人気を博している。

ほかにも、地上100m程度から撮影した映像を床に投影し、送電鉄塔の上で作業する電力マンの視点を体験できるコーナーがある。


地下鉄東山線、鶴舞線「伏見」駅の4番出口から東へ徒歩2分という交通アクセスも良い好立地にあり、リニューアルオープン以降、多くの家族連れでにぎわっている。

【3分で読める小説】渋谷の潮流


いま、女子高生に大人気の店がある。

そんな話を耳にしたのは、街特集のために渋谷の取材をしていたときのことだ。

教えてくれたのは、渋谷に詳しい郷土史家の老人だった。

つれていってもらったその店の前には長い行列ができていて、一目で人気のほどがうかがえた。提供されているのは、外国発祥の新種のスイーツだという。話によると、すでに似たようなものを出す店も次々と周囲に現れはじめているらしい。

私はその盛況ぶりを取材したあと、老人に言った。

「この感じですと、ブームは長くつづくかもしれませんね」

それは雑談程度に、何とはなしに放った言葉だった。

しかし、返ってきたのは想定外の返事だった。

「いえ、それだと困るんですよ」

私は思わず口にしていた。

「困る?」

「潮の流れが停滞してしまいますからね」

意味がわからず、私はすっかり困惑した。

そんな私の様子を察してか、老人は笑った。

「なるほど、ご存知でないならお教えしましょう。せっかく渋谷を取材するなら、知っておいて損はないでしょうから」

こうして私は、後日、とある場所を訪れることになった。

その場所とは、渋谷の区役所だった。

老人はさすが顔が知れ渡っているようで、中に入るといろいろな部署の人から挨拶をされていた。すでに私のことは話を通してくれているということで、私も頭を下げつつ職員の行き来する廊下を歩いた。

案内されたのは地下室で、足を踏み入れたとたんに重低音が響いてきた。

そこに広がっていた空間には、巨大な扇風機のような機械がいくつも設置されていた。

光景に圧倒されつつ、フェンスの外から眺めていると老人が言った。

「これはタービンです」

「タービン?」

「ほら、回っているのがわかるでしょう? 発電に使うものなんですよ」

言われてみれば、目の前のそれはいつか何かで見たタービンというやつと同じであるもののようだった。

しかし、だ。

そんなものが、どうしてこんなところにあるのだろうか……。

私は大いに疑問を抱えた。

そして、遅れて当たり前のことに気がついた。

発電用だと言われたものの、この地下空間には風などは一切吹いていない。そして、ほかにタービンを動かしそうなものも、まったく存在していなかった。

どうやって、このタービンは回っているのか……。

「潮汐発電、というのをご存知ですか?」

おもむろに老人が口にした。

知らない用語に、私はおずおずと首を振る。

「潮の満ち引きを利用して発電する方法のことです。いくつか種類はあるんですが、そのひとつが、タービンを海の中に設置して、満ち引きで生じる潮流の力でそれを回すというものでして。ここに設置されているものも、同じ原理で動いているんですよ」

「同じ……?」

「ええ、このタービンを回しているのも潮流の力なんです。ただし、普通のものではありません。これが利用するのは、ブームによって生じる潮流です」

困惑する私に向かって、老人はつづける。

「世の中には流行り廃りというものがありますが、それによって、私たちの周辺には日々、目には見えないブームの潮というのが生まれていましてね。それを羽根でとらえられるようにしたのが、このタービンなんですよ。特にこの渋谷エリアは、昔から流行の発信地として激しい潮が流れる場所として知られてきました。ルーズソックスに、ガングロ。ベルギーワッフルに、フレーバーポップコーン。そのブームの潮の満ち引きがこのタービンで電気に変わって、渋谷の街に灯りをともし、街の貴重な動力源になってきたんです」

にわかには信じがたい話だった。

渋谷の街に、そんな秘密があっただなんて……。

が、重低音をあげて高速で回るタービンを見ながら、私は思う。

昼夜の別なくうごめく群衆。声という声がごちゃ混ぜになって響く喧騒。

あるいは、この妖しげなエネルギーに満ちた渋谷という街ならば、そんなことが起こったとしても不思議ではないかもしれない──。

「では、次の場所にご案内しましょう」

唐突に老人が言った。

「今度は、ブームの潮を生みだしている張本人たちのいるところにおつれしますよ」

ピンと来て、私は言った。

「もしかして、ブームには仕掛け人がいるんですか……?」

「まさしくです」

彼は微笑む。

「偶然性に頼っていては、潮は安定しませんからね。ついてきてください」

私は興味津々であとにつづいた。

たどり着いたのは、ある一室だった。

中を覗くと、若い女性たちが忙しそうに動き回っていた。

「流行創出課のみなさんです。彼女たちがブームをつくりだしているんです」

私は尋ねる。

「具体的には何をされているんですか?」

「あらゆることにアンテナを張って、新しいブームの兆しを探すのが仕事です。大きなものから小さなものまで、毎日何十、いや何百もの次のブームの候補があげられて、どれを選ぶかを議論しながら慎重に、かつ大胆に決めていきます。そうして、見極めたここぞというタイミングでその選んだものに火をつけて、一気に燃えあがらせる。新たなブームの誕生というわけです」

「なるほど……」

私は目の前の人たちを眺めながら呟いた。

流行創出課の女性たちは、慌ただしくも楽しそうに働いていた。

かっこいいなぁ……。

彼女たちは渋谷の電力を担う人たちにふさわしく、私にとっては電気のように光って見えた。

「さて」

不意に老人が口にした。

「ブームの潮を生みだすのに必要な、もうひとつの部署をご紹介しておきましょう」

「えっ?」

予期せぬ言葉に、私は尋ねた。

「えっと、ブームはこの部署から生まれてるんですよね?」

「ええ、その通りです」

「でしたら、ほかに何が……」

「まあまあ、どうぞこちらへ」

「はあ……」

よくわからないまま、私は促されて流行創出課をあとにした。

つれられたのは、すぐ隣の一室だった。

「ここです」

老人に言われ、私は中を覗きこんだ。

その部署には、先ほどの流行創出課と同じくらいの人数がいた。が、打って変わって、部屋は静まりかえっていた。

正直なところ、私は瞬時にこう思った。

なんだか冴えないおじさんばかりだなぁ……。

部屋の中を見渡すも、どの人も同じような印象だった。

私が何も言えないでいると、老人が先に口にした。

「ほら、言ったでしょう? 発電には満ち引きが必要だと。彼らがいてこそ、この発電が成り立っているんですよ」

「この冴えない人たちが……?」

思わず言うと、彼は答えた。

「流行創出課がブームを生みだす、つまりは満ち引きで言う『満ち』を担当する部署だとすると、『引き』を担当するのがこの部署なんです。この方たちがいないと、潮汐発電は成り立ちません。彼らは、すみやかにブームを沈静化させるプロ集団というわけなんです」

老人は言った。

「ここは『時代遅れ課』でしてね」

(了)

ショートショート作家 田丸雅智氏

田丸雅智(たまる・まさとも)
1987年、愛媛県生まれ。東京大学工学部、同大学院工学系研究科卒。2011年、『物語のルミナリエ』に「桜」が掲載され作家デビュー。12年、樹立社ショートショートコンテストで「海酒」が最優秀賞受賞。「海酒」は、ピース・又吉直樹氏主演により短編映画化され、カンヌ国際映画祭などで上映された。坊っちゃん文学賞などにおいて審査員長を務め、また、全国各地でショートショートの書き方講座を開催するなど、現代ショートショートの旗手として幅広く活動している。書き方講座の内容は、2020年度から使用される小学4年生の国語教科書(教育出版)に採用。17年には400字作品の投稿サイト「ショートショートガーデン」を立ち上げ、さらなる普及に努めている。著書に『海色の壜』『おとぎカンパニー』など多数。メディア出演に情熱大陸、SWITCHインタビュー達人達など多数。
田丸雅智 公式サイト:http://masatomotamaru.com/

【3分で読める小説】取調室の資源


どことなく緊張感が漂う廊下を進んでいって、私はある部屋へと案内された。

「こちらです」

椅子に座ると、目の前のカーテンが開かれる。そこは窓になっていて、対面している二人の男性が目に入る。

小さな声で、職員が言う。

「扉側にいるのが捜査官で、反対側にいるのが、ある事件の容疑者です」

その窓──マジックミラー越しに見えているのは取調室だ。捜査官は何かを話しているようだったが、こちらに声は聞こえてこない。容疑者の男はうつむいて、口を閉ざしているようだった。

──まずは実際に、現場を見ていただけないか。

職員からは、そんなふうに頼まれていた。

が、ここに至っても、私はまだ事前に聞いた話を信じることができなかった。

猜疑心を抱いたまま、目の前の光景をひたすら眺める時間がつづく。

それに変化があったのは、座っていることに疲れを感じはじめた頃だった。ずっと下を向いていた容疑者の男が、顔をあげて何かを話しはじめたのだ。

その次の瞬間だった。

男が突然、うっ、と、えずくような仕草を見せた。

気分が悪くなったのか──。

そう思った直後のこと、驚くべきことが起こった。男の口から黒い何かがあふれだし、机にべちゃっと落ちたのだ。

が、目を見開いたのは私だけで、容疑者の男は構わず話をつづけた。その合間にも黒いものはごぼりごぼりと出つづけて、床はどんどん埋もれていく。あっという間に、数十センチほどの高さになる。

呆然と眺めていると、そのうち男の口から噴出するそれの量が減りはじめた。そして、何も出なくなったころには取り調べも終わったようで、二人は部屋を出ていった。

言葉を失ったままの私に、職員が言った。

「これがお伝えしていた泥なんです」

「こんなことが……」

職員からは、事前にこう聞かされていた。

罪を告白することを、泥を吐く、などと言う。その表現はたとえなどではなく、実際に現場で日々起こっていることなのだ、と。

容疑者が罪を認めて話しだすと、口から泥が出はじめる。そして、告白を終えるころには、取調室は泥でいっぱいになってしまうというのである。

実際に目の当たりにするまでは、何の冗談だろうと思っていた。が、その冗談のようなことが、いま眼前で起こってしまったのだった。

職員は言った。

「この泥には、本当に困っていまして……」

泥を指しつつ、彼はつづける。

「掃除をするのも大変ですが、何より困るのが廃棄なんです。何しろ罪に染まった汚泥なので、ふつうの泥のようにそのまま捨てて悪意が伝染したりしたら大変です。なので、いまは何重もの浄化処理を行ったうえで廃棄をしているんですが、かなりの費用がかかっていまして……それに、残念ながら罪を犯す者たちも後を絶たず、全国の取調室で日々吐かれる泥は膨大な量にのぼります。どうにかできないものかと、我々はずっと悩んでいたんです」

私は、なるほど、とうなずいた。

「それで私に連絡を……」

「ええ、先生のお力で、何とかならないものでしょうか」

私はしばし考える。

私の研究──それは下水の汚泥を資源に変えるというものだ。

そのプロセスでは、メタン発酵菌を使う。汚泥に含まれる有機物を菌によって発酵させて、メタンを生成させるというわけだ。

そうして生まれたメタンは、ガスとしてそのまま使ったり、燃焼させて発電に利用したりする。バイオガスとも呼ばれるその種のガスは、原料の枯渇の心配がないために再生可能な資源に位置づけられる。

「分かりました」

私は答えた。

「まずは、この泥の成分を調べてからでないと何とも言えませんが、それでもよろしいですか?」

心の中には、なんとかしたい、という気持ちが芽生えていた。

むろん、そもそも泥の原因となっている、罪を犯す人自体を減らす努力は必要だ。しかし、それと同時に、すでに出ている泥のことで困っている人がいる以上、自分も力の限り協力したい──。

私の言葉に、職員は顔を明るくさせた。

「ありがとうございます!」

私は職員から泥のサンプルを譲り受け、研究室へと持ち帰った。

職員を研究室に招いたのは、しばらくたってからのことだった。

「それで、どうでしたでしょうか?」

前のめりの職員を落ち着かせると、私は言った。

「結論から申しますと、非常にいい結果が得られました」

私はデータを提示する。

「人体から出てきたものだからでしょうか、あの泥の成分は有機物で構成されていて、メタン発酵に理想的なバランスだと分かりました。こんな具合です」

私は近くの実験器具を指し示す。

中には黒い泥が入っていて、ぼこぼこと泡が立っている。

「メタンが生成している証です。火をつけてみましょうか」

私はガスバーナーの元栓を開け、貯めたメタンガスを放出させた。マッチの火を近づけると、炎がボッと立ち上がる。

「この通り、ふつうのガスと何ら遜色はありません」

「あの厄介者から、本当に資源が得られるだなんて!」

感動している様子の職員に、私は話す。

「発酵が終わったあとの残渣はセメントなどにして処理したり、排水も浄化したりする必要はあります。が、メタンが得られて活用できるようになる分、従来の処理方法よりは環境にずいぶん優しくなるのではと考えています」

「いやあ。本当にありがたいですよ……」

職員はしみじみ、口にした。

ただ、と、私はこう付け加えた。

「このメタンによる火には、変わった特性もあるようでして。それをお伝えしておかねばなりません」

「えっ?」

「普通のメタンとは違う特性があるようなんです。お見せしましょう」

私はそばに用意していた線香を手に取った。それを炎に近づけると、先端にポッと火がともる。線香を持つ手を大きく振る。息も強く吹きかける。

しかし、火は依然として変わらず揺らめいたままだった。

「この通り、ちょっとやそっとではこの火は消えないんです。火事になったら厄介なので、取り扱いには注意しなければならないかもしれません」

職員は、目を丸くする。

「でも、どうしてこんな特性が……」

「原理の解明はこれからですし、非科学的な話ですが」

私は答える。

「もしかするとメタンや泥の由来に理由があるのかもしれません。ほら、もとをたどれば、この火は罪から生まれたものでしょう?」

複雑な気持ちになりながらも、私は言う。

「残念ながらというべきか──罪というのは、なかなか消えづらいもののようです」

(了)

ショートショート作家 田丸雅智氏

田丸雅智(たまる・まさとも)
1987年、愛媛県生まれ。東京大学工学部、同大学院工学系研究科卒。2011年、『物語のルミナリエ』に「桜」が掲載され作家デビュー。12年、樹立社ショートショートコンテストで「海酒」が最優秀賞受賞。「海酒」は、ピース・又吉直樹氏主演により短編映画化され、カンヌ国際映画祭などで上映された。坊っちゃん文学賞などにおいて審査員長を務め、また、全国各地でショートショートの書き方講座を開催するなど、現代ショートショートの旗手として幅広く活動している。書き方講座の内容は、2020年度から使用される小学4年生の国語教科書(教育出版)に採用。17年には400字作品の投稿サイト「ショートショートガーデン」を立ち上げ、さらなる普及に努めている。著書に『海色の壜』『おとぎカンパニー』など多数。メディア出演に情熱大陸、SWITCHインタビュー達人達など多数。
田丸雅智 公式サイト:http://masatomotamaru.com/

【3分で読める小説】農家の魚


おもしろいものを作っている農家があるらしい。

そんな噂を聞きつけて、おれは取材をするべく、ある港町を訪れた。

仕入れた住所をもとに一軒の家のチャイムを鳴らすと、中から男性が現れた。事情を話すと、ああ、とその人は頷いた。

「それは私のことですね。長年、まさにそんな研究をしていまして」

「じゃあ、噂は本当なんですね?」

「ええ、よかったら、実物を見ていかれますか? ちょうどこれから、山に入るところだったので」

その言葉に甘え、おれは男性のあとについて行くことにした。

傾斜のきつい坂をのぼっていくと、やがて男性は立ち止まった。

振り向くと、光のきらめきが飛びこんでくる。

穏やかな波が、こきざみに揺れている。その上を、小さな船が突き進む。

海だ──。

「このあたり一帯が、うちの山でして」

視線を戻すと、斜面に植わった木々の緑が映りこんだ。そのあいまからは、鮮やかなオレンジ色──ミカンが顔をのぞかせている。

男性はミカン農家で、その研究もミカンに関するものだという。

「こちらです」

木々の中へと分け入って、しばらく歩くと男性が言った。

「これが、その木です」

目にしたとたん、おれの胸は高鳴った。

噂にたがわぬものが、そこにはあったからだった。

目の前の木の緑からのぞいていたのは、オレンジ色のものではなかった。形はミカンそのものなのだが、色がまったく違っていた。

その丸いものの下半分は銀色だった。そして、真ん中あたりに黄色がかった帯があり、そこから上は青く光り輝いていた。

まるで、魚のブリのような色合いだった。

「ここにみのっているのが、その……」

「ええ、私の開発したブリミカンです」

おれは事前に聞いていた話を思いだす。

世間には、魚にミカンやユズなどを混ぜたエサを食べさせて育てる養殖方法がある。そうすることで、魚の生臭さを軽減させて、さらには柑橘の香りを持たせられるのだ。それらはフルーツ魚などと呼ばれているが、そのひとつに、ミカンを食べさせて育てたブリ──ミカンブリというのがいる。

しかし、いま男性が口にしたのは、その「ミカンブリ」ではなく「ブリミカン」という言葉だった。彼はその名の通り、ミカンブリとは反対の、ブリのようなミカンであるブリミカンを開発したというのである。

「ですが、こんなものをどうやって……」

思わずこぼすと、男性は言った。

「詳しいことは企業秘密ですが、遺伝子改良というやつです。大雑把に言ってしまうと、ミカンにブリの遺伝子を埋めこんだというわけですね」

「たしかに皮の色はブリみたいですけど……中はどうなっているんですか?」

「お見せしましょう」

男性は、ブリミカンに近づいてひとつをつかむと、ぐいっとひねって木からもいだ。

その瞬間、男性の手の中で、ブリミカンがぶるぶると震えはじめた。

「おっとっと、もぎたては活きがいいんですよ」

おれはそれを受け取った。まるで生きている魚のように、ぶるぶると小刻みに震えている。

しばらくすると、その震えは収まっていき、やがてまったく動かなくなった。

「さ、皮をむいてみてください」

そのメタリックに光る皮をむいてみると、中からは赤みを帯びた果実が出てきた。それを半分に割ってみる。血合いのように赤かった外側に対して、中のほうは白っぽかった。

「本物のブリの刺身みたいですね……」

脂だろうか、表面はてらてらと虹色に輝いている。

男性は言う。

「そうなんです。ここまでブリの身を再現するのに苦労しました。よかったら、ぜひ召し上がってみてください」

男性は醤油を取りだし、おれのむいたブリミカンの一房にかけてくれた。

口に運んで、おれは叫んだ。

「うまいっ!」

それは、素人判断では本物のブリとなんら遜色のない味だった。脂がよく乗っていて、舌の上でとろけるようだ。加えて、ミカンの香りが爽やかさを添えている。

おれは、もう一房、二房と食べながら、男性に尋ねた。

「どうして、こんなミカンを開発しようと思われたんですか?」

「この町には漁師さんがたくさんいるんですが、彼らが嘆く魚離れというやつに一矢報いてやろうと思ったんです。魚はさばくのが面倒だという人も、このブリミカンなら皮をむくだけで刺身が食べられますからね」

それから、と、男性はつづける。

「海洋資源の枯渇問題にも一石を投じられないかと思いまして。種類にもよりますが、魚の漁獲高は年々減ってきていますから。そこに、養殖とは違うアプローチをしてみようと考えたわけです。その手はじめにブリを選んだのは、DHAなどの栄養が豊富で世間に受け入れられやすいだろうと思ったからです。それに、ブリは出世魚なので、縁起をかつぎたい人にも受けがいいのではという期待もありました」

魚離れを食い止めて、資源を守ることにもつながりうる。なんて素晴らしい取り組みだろうと、おれはすっかり興奮した。

「いやあ、早く量産化していただきたいですよ!」

おれの頭に、コタツに置かれたメタリックカラーの画が浮かぶ。

と、男性は、いえ、と言って苦笑した。

「そうしたいのは山々なんですが、まだまだ課題がありまして……」

「そうなんですか?」

「ブリミカンはいちど木からもいでしまうと、すぐに傷んでいってしまうので、鮮度を保ったまま輸送する手段を考えなければならないんです。それから、もうひとつ、じつはこちらのほうが大きな課題なんですが……」

男性は表情をくもらせる。

「せっかく実がみのっても、今のままだと、すぐに横取りされてしまうんですよ」

 おれは目の前の木を見て、なるほど、と事情を察した。

「鳥ですか……」

ブリミカンの木には、全体を覆うようにネットがかけられていた。それは、防鳥ネットに違いなかった。

鳥に実をついばまれる──そんな被害が、ミカン農家にはあるのだという。ふつうのミカンでもそうなのに、これは極上のブリのようなミカンなのだ。鳥が好むのも無理はないなと思わされた。

しかし、男性は頷きつつも、こう言った。

「それもあるんですが、このブリミカンを好むのは鳥だけではないんです。本来は柑橘が苦手なはずの生き物も寄ってきまして……」

そのとき、近くの茂みがガサッという音を立てた。

おれはそちらに視線をやって、思わず固まる。

「港町ですから、もともと多くて……このネットも爪で破って、ミカンをくわえて逃げていくんです。何かいい対策がないものかと悩んでいて……」

草陰では、無数の目が光っていた。

次の瞬間、それらがいっせいに「ニャァ」と鳴いた。

(了)

ショートショート作家 田丸雅智氏

田丸雅智(たまる・まさとも)
1987年、愛媛県生まれ。東京大学工学部、同大学院工学系研究科卒。2011年、『物語のルミナリエ』に「桜」が掲載され作家デビュー。12年、樹立社ショートショートコンテストで「海酒」が最優秀賞受賞。「海酒」は、ピース・又吉直樹氏主演により短編映画化され、カンヌ国際映画祭などで上映された。坊っちゃん文学賞などにおいて審査員長を務め、また、全国各地でショートショートの書き方講座を開催するなど、現代ショートショートの旗手として幅広く活動している。書き方講座の内容は、2020年度から使用される小学4年生の国語教科書(教育出版)に採用。17年には400字作品の投稿サイト「ショートショートガーデン」を立ち上げ、さらなる普及に努めている。著書に『海色の壜』『おとぎカンパニー』など多数。メディア出演に情熱大陸、SWITCHインタビュー達人達など多数。
田丸雅智 公式サイト:http://masatomotamaru.com/

【3分で読める小説】シェイク


小さな頃から、おれは親によく言われたものだ。

貧乏ゆすりはやめなさい、と。

その言葉の通り、おれは椅子に座っていたりすると、両膝を上下に小刻みに揺さぶる癖があった。

貧乏ゆすりというその呼び方が嫌でたまらず、何度も直そうと試みた。しかし、気がつくとやってしまっていて、注意されてからハッと気がつくのが常だった。

高校生のころ、テスト中に友達から指摘されたこともあった。おれの貧乏ゆすりがうるさくて、テストに集中できなかった、と。

大学生のころ、恋人から頼まれたこともあった。なんだか怖いからやめてほしい、と。

そのたびに、おれはコンプレックスにさいなまれたが、どうしても癖は直らず、うまく付き合っていかざるを得なかった。

大きな転機となったのは、就職活動をしていたときだ。

ある会社の面接中、緊張がピークに達したとき、おれは無意識のうちに貧乏ゆすりを始めてしまった。

それに気がついたのは、面接官からこんな一言を言われたからだ。

「きみの足は、ずいぶん力を持て余しているようだね」

その瞬間、おれは恥ずかしさと情けなさがこみあげてきた。

ああ、こんな大事な場面でも、またやってしまった──。

面接が終わってからも、印象は最悪だっただろう、絶対に落ちたに違いない、と落ちこんだ。

しかし、その会社からしばらくたって届いたのは、内定を告げる通知だった。

さらに驚いたのは、入社してみてからのことだ。

配属された発電課という部署に初めて足を踏み入れたとき、奇妙な光景が飛びこんできたのだ。

その部署の人たちは、それぞれが自分の座席に着席していた。が、しばらく観察していると、その全員が貧乏ゆすりをしているらしいと気がついた。

そのとき、声をかけられた。振り向くと、面接のときのあの面接官がそこにいた。

「久しぶりだね。私が発電課の部長でね」

部長は名乗ると、おれの肩をポンと叩いた。

「きみは粗削りだが、抜きんでたシェイクの素質がある。磨けばきっと、ダイヤになれる」

おれは尋ねた。

「あの、シェイクというのは……」

「うん? ああ、説明が必要だったね。シェイクというのは、俗にいう貧乏ゆすりのことだ。うちの会社ではそう呼んでいて、それができる人材をシェイカーと言っている」

「シェイカー……」

まったく意味がわからずに、おれはポカンとしてしまった。

部長は笑いながら、つづけて言った。

「まだ理解できていないようだね。では聞くが、うちの会社の事業は何だい?」

「振動発電の技術開発をする会社です」

「その通り。で、目の前の光景と照らし合わせて、何かつながらないかな?」

「……あっ!」

おれは叫んだ。

「もしかして、ここにいるみなさんは……振動発電をしてるんですか!?」

「ご名答」

振動発電とは、物体が振動するときのエネルギーから電気を生みだす発電法だ。うちの会社は、小さな振動から大きなエネルギーを取りだすための研究を行っていて、いまや数多ある振動発電の会社の中でも実際に高効率の発電素子の開発に成功している一社だった。

「発電課のメンバーは、実証実験も兼ねて、うちの製品で発電をするのがミッションなんだ。オフィスの電気は、すべて彼らがまかなってくれている。生来の貧乏ゆすりの天才である、彼らがね」

部長は言った。

「きみのデスクは一番端だ。活躍を期待しているよ」

おれは不思議な気持ちで、自分の席に腰掛けた。

その日から、シェイカーとして勤務する日々が始まった。

シェイカーの仕事は、ひたすら席に座って貧乏ゆすり──つまりはシェイクをしつづけるということだった。

足元には発電素子が組み込まれたマットが敷き詰められていて、振動を感知するとすぐに電気エネルギーへと変えてくれる。電気は蓄電池にいったん貯められ、会社の内外で活用されることになる。余剰電力は国に買い取ってもらったりもしているらしい。

先輩たちに交じり、おれは出社してから退社するまで、ひたすら自席でシェイクに励んだ。積極的に残業もした。

「若いからって、あんまりがんばりすぎるなよ。時には膝を休めることも大事だぞ」

「大丈夫です! まだまだ行けます!」

努力の甲斐もあり、おれはめきめきと頭角を現していった。もともと床を踏む力は他の人よりも強いらしく、一秒間に振動できる回数も社内でトップクラスになり、やがて月間発電量の記録を打ち立てた。

「私の目に狂いはなかった!」

自らも現役シェイカーの部長も激賞してくれ、おれは有頂天になっていた。

しかし、そんな日々も、長くはつづかなかった。

入社して半年ほどがたったときだ。いつも通り朝からシェイクに勤しんでいると、右膝にピリッと痛みが走った。

おかしいな、とは一瞬思った。

が、そんなことは初めてで、おれは気にせず足を上下に動かしつづけた。

だが、その日を境に膝の痛みはひどくなり、やがてまったく動かせなくなってしまった。その段階で、おれはようやく社内のドクターに相談した。すると、膝の靭帯を損傷していることが判明し、すぐに手術の日取りが決められた。

幸い手術は成功したが、つらいリハビリの日々が始まった。医者からは、元の仕事に復帰できるかは五分五分だと言われていた。

それでもおれは、あきらめずにリハビリをつづけた。かすかに残るかつての感覚を頼りにして、必死で膝を上げ下げした。エースシェイカーに返り咲ける日を夢想して──。

ところが、運命とは皮肉なもので、そのリハビリのさなかに、おれは新たに左膝も故障した。無意識で右膝をかばうばかりに、左膝に過度な負担がかかっていたのだ。

再びメスが入れられて、半年後にはなんとか現場に復帰した。が、もはや全盛期の貧乏ゆすりを繰りだすことはできない身体になっていた。

おれは現役を引退することを申し出た。同時に、会社を去る意思も部長に伝えた。

シェイクができない人間に、会社にいる価値などない。

自分でそう判断したからだ。

しかし、そんなおれを引き留めたのは部長だった。

「きみの芸術的なシェイクが見られなくなったのは残念だ。が、きみにしかできないことは、まだまだたくさんあるんじゃないか?」

おれはいま、次世代のシェイカーを育てるためのコーチとして、選りすぐりの学生を集めた選抜チームで指導をしている。

「おまえら、甘いぞ! もっと力強く! もっと小刻みに!」

「はいっ!」

学生たちはトップシェイカーになるために、貧乏ゆすりに磨きをかける。

トレーニングだけではなく、おれは自らの体験にもとづいて、膝のケアに関する講習会を開いたり、一人ひとりの素質に応じた理想的なフォームづくりを手伝ったりしている。

若い原石を見つけるために、全国各地も飛び回る。

そんなある日、おれはたまたま訪れた小学校で衝撃的な場面と出くわす。授業中、ひとりの生徒が、床を踏み抜かんばかりの猛スピードで貧乏ゆすりをしていたのだ。

おれは目を見開いて、その子をつかまえ名刺を差しだす。

自然と出たのは、こんな言葉だ。

きみの足は、ずいぶん力を持て余しているようだね──。

(了)

ショートショート作家 田丸雅智氏

田丸雅智(たまる・まさとも)
1987年、愛媛県生まれ。東京大学工学部、同大学院工学系研究科卒。2011年、『物語のルミナリエ』に「桜」が掲載され作家デビュー。12年、樹立社ショートショートコンテストで「海酒」が最優秀賞受賞。「海酒」は、ピース・又吉直樹氏主演により短編映画化され、カンヌ国際映画祭などで上映された。坊っちゃん文学賞などにおいて審査員長を務め、また、全国各地でショートショートの書き方講座を開催するなど、現代ショートショートの旗手として幅広く活動している。書き方講座の内容は、2020年度から使用される小学4年生の国語教科書(教育出版)に採用。17年には400字作品の投稿サイト「ショートショートガーデン」を立ち上げ、さらなる普及に努めている。著書に『海色の壜』『おとぎカンパニー』など多数。メディア出演に情熱大陸、SWITCHインタビュー達人達など多数。
田丸雅智 公式サイト:http://masatomotamaru.com/

2050年の日本の在り方 生活・地域とエネルギーの関わり


【羅針盤】小川崇臣/三菱総合研究所 環境・エネルギー事業本部脱炭素ソリューショングループ主任研究員

未来の「生活」の変化はエネルギーの需給構造にも影響を与える。また、未来の「地域」が持つ機能ごとに最適なエネルギー供給を実現することが必要である。

第2回目となる今回は、2050年の日本では人々の「生活」や「地域」の在り方がどう変わるのか、その変化がエネルギー需要にどう影響するのかといった、より具体的な内容に焦点を当てて紹介したい。

仕事・クルマ・住宅・防災 将来のエネルギーとの関わり

50年における「生活」として、ここでは①仕事、②クルマ、③住宅、④防災の四つの視点から、その将来像とエネルギーとの関わりについて考えてみたい。

①仕事:50年に生きる人々はどのような仕事に就き、どのような働き方をしているだろうか。少子高齢化はさらに進展し、高齢者の就労機会が拡大しているだろう。また、コロナ禍によるテレワークの急速な普及のように、デジタル技術により多様なワークスタイルが実現していると考えられる。

こうした変化はエネルギー需要にも影響を与える。例えば、分散居住や分散労働が加速することで、通勤やオフィスでのエネルギー消費量は減少するものの、住宅での消費量は増加することが想定され、さらに需要のピークを迎える時間帯(電力負荷カーブ)が変化することが予測される。

②クルマ:気候変動対策としての脱炭素化の社会的な要請を受け、50年のクルマの多くは電気自動車(EV)に置き換わる。一部、長距離・大型の貨物車などは燃料電池自動車(FCV)が普及していると考えられる。また、MaaSと呼ばれるサービスが普及し、カーシェアリングなどの所有形態の変化、移動需要や物流需要に応じたモビリティとのマッチングサービスなどが実現し、運輸部門のエネルギー消費効率の大幅な向上が予想される。

③住宅:50年には多くの住宅がスマート化され、建物の省エネ性能の向上とともに、太陽光発電と蓄電池(EV含む)によるエネルギーの自給自足が実現しているだろう。

また、発電した電力を自ら消費するだけではなく、余った電力を他者に供給するような「プロシューマー」が多く存在していることが予想される現在は、余った電力は小売り電気事業者に売電しているが、将来的にはP2P取引によって、例えば、お隣さんと直接電力を取引するというようなことも可能になると期待される。

④防災:11年の東日本大震災以降、さまざまな分野で「レジリエンス」がキーワードになった。また、近年の大型台風による大規模な停電への対応という点でも、レジリエントなエネルギーシステムを構築することの重要性はますます高まっている。そのため、50年には、分散したエネルギー源やエネルギー貯蔵設備を備え、平常時・非常時ともに系統電力のみに頼ることのない地域が多く形成されていることが予想される。

将来の各地域の特性 エネルギーの利用方法

三菱総研が19年10月に発表した「未来社会構想2050」では、将来の日本の地域は、中核となる中心都市、固有の強みを有する一芸地域、自立したロハス地域に分かれ、圏域ごとにまとまっていく姿が提示されている。ここでは、その考え方にならい、それぞれについて、具体的な将来像とエネルギーとの関係を考えてみたい。

①中心都市:都市部は、多様な嗜好に合わせた財・サービスの生産・消費が行われる場所であり、それだけでは価値の小さいエネルギーを「創る」のではなく「使う」ことで、高付加価値な商品・サービスを生み出す存在であり続けるだろう。このような都市においては、エネルギーの自給自立は困難であり、引き続き都市外部からエネルギー供給を受けることが経済合理性が高いと考える。ただし、50年の都市は外部から供給されたエネルギーを好きな時に好きなだけ消費するということではなく、蓄電池の活用などにより需給をコントロールする機能を備えていくことが求められる。

②一芸地域:固有の強みを持つ一芸地域として、拙著『三菱総研が描く 2050年エネルギービジョン』では農業地域、工業地域、エネルギー供給地域について言及している。ここでは個別の詳細は割愛するが、どの地域でも電化技術やエネルギー利用の高度化技術などを活用し、「一芸」とする強みをより効率的に生み出すとともに、その生産のために消費するエネルギーを脱炭素化していく流れは必至であると考えられる。

それは、農業機械の電化と再生可能エネルギーの活用、工業におけるエネルギー利用の高度化と再エネ由来水素なども含めた脱炭素化などに代表される。さらに、これらの地域に脱炭素なエネルギーを供給する機能を持ち、それによって収益を上げるエネルギー供給地域の誕生が期待される。

③過疎地域:現在の日本のエネルギーインフラは、ユニバーサルサービスとして広く国民全体で費用を負担して維持されている。しかし、実際には稼働率の高低などによって得られる便益に対してかかるコストに大きな違いがある。今後ますます拡大が予想される過疎地域では、その電力インフラを維持するためのいくつかのシナリオが想定される。例えば、電力の託送料金を一律または過疎地域住民向けに引き上げることで、負担・維持するシナリオが挙げられる。このシナリオでは、引き続き送配電事業者がインフラを維持する役割を負うことになるが、別のシナリオとして送配電事業者が過疎地域の送配電網を維持管理の対象外としてしまうことも考えられる。

このシナリオが実現した場合、過疎地域に住む人々は、移住か住民主導での電力供給網維持といった選択を迫られることになる。どのようなシナリオを目指すべきか、今後議論していく必要がある。

三菱総研が描く2050年エネルギービジョン

おがわ・たかおみ 早稲田大学大学院創造理工学研究科修士課程修了、三菱総合研究所に入社。2009年から現職。19年から政策・経済研究センターを兼務。

第1回】2050年のエネルギーシステム 資源の適切なマネジメントを

2050年のエネルギーシステム 資源の適切なマネジメントを


【羅針盤】井上裕史/三菱総合研究所 環境・エネルギー事業本部 脱炭素ソリューショングループリーダー

需要側から見た理想のエネルギーは、四つのキーワードで表現することができる。分散化されたエネルギー需給の資源を適切にマネジメントすることが重要である。

三菱総研では独自の視点で2050年のエネルギービジョンを検討し、『三菱総研が描く 50年エネルギービジョン』として書籍を刊行した。

今回を含め3回に分けてこの書籍の内容を紹介する。第1回では、日本のエネルギーが今、直面する課題を正しく認識しつつ、三菱総研が考える50年のエネルギーシステムを紹介したい。

日本のエネルギーが直面 多様化・複雑化する課題

日本のエネルギーが今、直面している課題は多様化・複雑化している。ここでは五つの観点で、50年に向けて向き合うべき課題を確認したい。

①脱炭素化=19年6月に閣議決定された「パリ協定に基づく成長戦略としての長期戦略」では、最終到達点として「脱炭素社会」を掲げている。脱炭素社会とは、温室効果ガスの排出に関し、排出量から吸収量や貯留量を差し引いた正味では排出がゼロ以下である状態が持続されている社会と考えられる。こうした社会を実現すると、ほとんどの分野で化石燃料の利用はできないと見るべきだろう。

②少子高齢化=わが国は今後、過去に例のない、極めて急激なスピードでの少子高齢化に直面する。特に地方での急激な人口減少は、エネルギー需要構造に大きな変化を与えるだけでなく、エネルギーインフラの維持管理を難しくさせる可能性がある。

③インフラ危機=エネルギーインフラに限らず、多くの社会インフラは高度経済成長期に整備されたものが多く、近年老朽化が懸念されている。さらに、大規模災害に伴うインフラの大きな損傷が問題となっている。気候変動により自然災害の影響は拡大する恐れもあり、50年のエネルギーインフラには、こうした厳しさを増す大規模災害リスクに対するレジリエンスを備えなければならない。

④中東問題=わが国は石油をはじめとする化石燃料の多くを、政情の不安定な中東から輸入している。コロナ禍で原油先物価格がマイナスになるなど、エネルギー資源を巡る状況にも大きな変化が見られたが、エネルギー源を特定地域に依存することがリスクであることは間違いない。

長期的には、再生可能エネルギーを中心とする国産エネルギーを増やすこと、輸入資源の一地域への依存を回避することの必要性は変わらないだろう。

⑤デジタル技術=近年のデジタル技術の進展は著しく、エネルギー業界でもさらなる活用の余地は大きい。50年に向けては、エネルギー供給設備が個別分散化するとともに、エネルギーの供給者と消費者が柔軟に双方向化していくと考えられる。こうした中で、全体として効率的なエネルギー需給の仕組みを確保するためには、デジタルプラットフォームの存在が欠かせないだろう。

ここでは50年やその先に向けて、理想のエネルギーについて考えてみたい。エネルギー政策では、安全性の確保を大前提とし、供給安定性、環境適合性、経済性という3項目を確保することが求められ、これを3E+Sと称して基本的視点とされている。現状、単一のエネルギーで三つのEを同時に確保することは難しく、多様なエネルギー資源をバランスよく利用することが求められている。

こうした3E+Sの考え方は、従来供給側の視点として語られることが多いが、ここではエネルギーを利用する一般の需要家視点から、理想のエネルギーを規定してみたい。具体的には、需要家が理想とするエネルギーについて、四つのキーワードで表現したい。それは「ストレスフリー」「持続可能性」「選択可能」「説明性」である。

①ストレスフリー=通常、エネルギーを利用する需要家がストレスを感じることは多くないと思われるが、例えば、エネルギー価格の上昇、煩雑な利用手続き、利用量制約などはストレスに感じるだろう。需要家から見た理想のエネルギーというのは、このような利用に伴う負担感やストレスから解放されていることが望ましい。

②持続可能性=地球温暖化対策をはじめとする環境問題への対応は社会的な命題であって、需要家としては必須のキーワードであろう。原子力であれば、使用済み燃料の最終処分までクリアになってこそ持続可能であり、再エネでもライフサイクル全体で環境負荷を抑えることが求められる。

③選択可能=電力・ガスの小売り全面自由化によって、需要家には複数の選択肢が示されるになった。現状は選択可能なメニューは限定的であるが、将来は需要家の価値観に応じて多様なメニューが提示されるだろう。電力であれば発電の種類に加え、産地指定という考え方も選択肢に挙がるだろう。

④説明性=今後は、需要家が多様な価値観のもとで自らが消費するエネルギーを選択するようになるだろう。その際、自らが選んだエネルギーがどのような性質のものであるか、一定の根拠をもって説明できることが必要だろう。

エネルギーシステムの要点 供給・需要・運用で変革を

需要家目線を取り入れて検討した理想のエネルギー社会を念頭に、脱炭素化社会の実現や、その他課題に対応するエネルギー需給の姿を考えると、50年のエネルギーシステムの要点は次の3点に集約される。

①供給側では再エネが主力電源となっている。

②需要側では、エネルギーの電化が進展しつつ、多様な選択肢が用意されている。

③分散化されたリソースが適切にマネジメントされ、エネルギーシステムを支えている。

50年の理想のエネルギーシステム構築のためには、供給側と需要側、それをつなぐ運用面それぞれに変革が求められるだろう。

50年エネルギーシステムイメージ

いのうえ・ゆうし 東京工業大学大学院理工学研究科修士課程修了、三菱総合研究所に入社。経済産業省資源エネルギー庁出向を経て、2005年から現職。