【特集2】難工事を乗り越えた九北幹線 福岡の暮らしを支える導管網


【西部ガス】

北九州と福岡をつなぐ第二の幹線「九州北部幹線」がついに完成した。導管網のループ化を実現したことで、地域のレジリエンス力は大きく向上する。

西部ガスは2020年12月4日から、北九州と福岡を結ぶ「九州北部幹線(九北幹線)」の供用を開始している。

九北幹線は「ひびきLNG基地」(北九州市若松区)と、福岡市に隣接する「的野ステーション」(福岡県新宮町)を結ぶ、約60㎞の幹線。これまで同社は福岡市内と北九州市内の工場で都市ガスを製造し、双方向から需要家に向けて供給していたが、14年11月に両工場を北九州市内のひびきLNG基地に集約。同基地を中核とした広域供給体制が整った。

福岡地区への供給は既設高圧幹線(福北幹線)により行っており、万が一の災害に備えて複線化が必要になった。高圧幹線は耐震性が高く災害には強いが、想定外の災害や事故などにも備えてセキュリティー強化とさらなる安定供給を図り、今後のガス需要にも対応するために九北幹線が計画された。計画ルートは、福岡県北部の海側に幹線を通すもので、14年2月に着工した。総工費220億円の一大プロジェクトだ。

工事ではさまざまな困難に見舞われたが、最大の難所となったのが、「遠賀川」の横断だ。

困難だった河川横断工事 ループ化で供給力が向上

遠賀川は筑豊地域を源流に、玄界灘へと流れる福岡県を代表する河川の一つ。工事ルートは砂層と岩盤層が連なる互層構造の複雑な地形だったこともあり、実際の工事も細心の注意を払いながら行った。横断工事は建設会社の力を借りながらシールド工法で掘削。トンネル総延長は約1・5㎞、最深部で22mにも及ぶなど、設計に2年、実際の施工に2年を要し、足掛け4年を費やして横断した。

プロジェクトを担当した供給管理部の切通正裕マネジャーは遠賀川の横断について「複雑な地形だったことに加え、ここの工程が遅れてしまうとほかの工程も遅れてしまうという重要な工区。九北幹線には遠賀川のほかに3カ所の河川を越えた区間があるが、これほどまでに大規模なものは当社としても経験がない。まさに一大工事でした」と振り返る。 延べ7年弱にわたる工事を経て九北幹線を整備したことで、ひびきLNG基地と福岡地区までの幹線が複線化した。既設の福北幹線と併せて運用することで、片方の導管に障害が発生するような災害に見舞われた場合にも供給を継続することができ、安定供給体制がさらに高まった。福岡と北九州という大需要地をつなぐ九北幹線は、九州北部でエネルギーを供給し続けるという重大な任務を果たしていく。

【特集2】スマメ全件導入で進む変革への期待 電力データをスマートに生かす


スマートメーターが2024年度末までに全国8000万件に導入される。スマメから取得できるビッグデータにはどのような可能性があるのか。業界関係者が集まり、今後の展望を語り合った。

〈司会〉江田健二/ラウル代表取締役 エネルギー情報センター理事

〈出席者〉

一色正男/神奈川工科大学 創造工学部ホームエレクトロニクス開発学科教授

平井崇夫/グリッドデータバンク・ラボチーフディレクター

渡邊太郎/NTTデータ経営研究所 社会・環境戦略コンサルティング ユニットマネージャー

江田 エネルギー業界には、デジタル化の波が押し寄せています。皆さんが現在取り組んでいることを教えてください。

江田健二/ラウル代表取締役 エネルギー情報センター理事

平井 私が所属しているグリッドデータバンク・ラボは、東京電力パワーグリッド、関西電力送配電、中部電力、NTTデータの4社が出資する有限責任事業組合です。電力データ、特にスマートメーター(スマメ)のデータを活用してさまざまな社会課題解決、あるいは新しいビジネスやサービスの創造に向けた実証をしています。組合の趣旨に賛同する約150の自治体や企業が会員となり、電力データだけでなく、異業種データも組み合わせた実証も進めています。

 電力データの利活用に向けたルール整備などに関する会員ニーズについては、適宜、国の審議会などへ提言し、データ活用が促進されるような社会作りへ貢献できるよう取り組んでいます。

一色 2011年末に経済産業省の「スマートハウス・ビル標準・事業促進検討会」で仕事をしたときに、スマメのBルートをどう処理していくか、電力会社を含め皆さんと議論をしました。また、エコーネットライトという国際標準化機構(ISO)に準拠した通信規格をベースに、スマメが全需要家に導入されることを見据え、準備を進めてきました。メーターからデータをどう取り出し、利用するのかを研究テーマとしています。

 また、太陽光発電や蓄電池を組み合わせ、スマメを使った自家消費や逆潮された電力の出し入れといった、需要家内の電力の需給バランスの計測。これについても、電力の売買の議論を支えるために必要なシミュレーターを作り、効率的利用について研究しています。

渡邊 官公庁や自治体向けの環境コンサルティング業務を行っています。直近では愛知県岡崎市の「岡崎さくら電力」の設立や、栃木県宇都宮市の地域新電力設立の事務局支援をしています。再生可能エネルギー由来の水素を活用した実証事業にも取り組んでいます。

 実は前職で、電力会社に勤務し、検針業務で実際に現場に足を運んでいたことなどもあります。

素晴らしいインフラの整備 従来検針員の配置転換

江田 スマメデータの公開領域をどこに設定するかなど、課題はあるかと思いますが、私自身はスマメの導入には大きな意義があると思っています。皆さんはどのような意義を感じていますか。

平井崇夫/グリッドデータバンク・ラボチーフディレクター

平井 一般論ですがスマメを導入するメリットには三つの視点があると思います。一つは送配電事業者の業務効率化を図れる点、二つ目は小売り事業者が料金メニューを充実させられる点、そして三つ目がまさにグリッドデータバンク・ラボが手掛けている電力分野以外での社会課題の解決や、新しいサービスの創出に向けた電力データの活用といった点です。

 業務効率化に関しては、毎月実施していた現地検針や、引っ越し後の負荷開放処理など、現地出向作業の軽減を実現しており、また料金面についても、30分毎の料金メニューなどが、小売り事業者によって既に展開されています。

江田 電力やガス、水道を組み合わせた共同検針はどうですか。

平井 共同検針の実証事例はありますが、以前からハードやソフトを、各業界が別個に作っています。そのため、両者のシステムをどう統一するかが課題かと思います。国の検討会などでいろいろな事業者で知恵を出し合いながら、ベストな共同検針の在り方を検討しているのが今の段階です。

一色 HEMS利用の観点から言うと、スマメのデータは30分に1回送信されるので、ある程度需要家の動きが分かります。ただ、これだけでは足りないなと感じています。実は日本のスマメは非常に優秀で、技術的には1分値を拾うことができますし、そうした値を使うメリットとしては、電力需給のより効率的な運用が可能になるほか、「見守りサービス」なども展開できると期待しています。また、家の周りは「雨が降っている」などの別の状況も推定できます。この辺にデータ活用の新しい世界があります。いずれにせよ、10年にも満たない期間でこうしたインフラを全国にくまなく整備する日本の電力会社はすごいです。

 それから水道やガスのデータは、本当は取り出せた方が良い。例えば水データがあれば洗濯なのか、お風呂のお湯を沸かしているのかが分かる。さらにユーティリティーの無駄が分かってくる。今後、省エネやゼロエミの時代を目指していく中で、そうした取り組みは意義を持つと思います。

渡邊 電力会社に勤務した経験から話すと、検針やメーター関連設備作業など、その業務のためだけに片道1時間をかけて現地に向かうことがありました。そうした点を考えると、スマメによる遠隔検針には意義があると思っています。

 一方、これまで検針業務を担っていた人材をどう配置転換していくかは課題だと感じています。日常の検針業務は、お客さまと折衝するわけではないため、時間の融通が割と利く仕事です。そのため、例えば日中に家に居なければいけない方々にとっては大事な仕事ではないかと思います。ベストなシナリオとしては、スマメを核とした新規事業、新しいサービスについて、旧来の検針員の方々が担えることではないでしょうか。

【特集2】最新の知見が奏功した安全停止 「再出発」目指し対策積み重ね


女川原子力発電所は震源の至近にありながら冷温停止に至り、さらに避難所として地域住民を受け入れた。東北電力は同発電所の運転再開を「再出発」と位置付け、安全性向上へ対策を積み重ねている。

あの日、牡鹿半島の中ほどに立地する女川原子力発電所は、震源に最も近いサイトでありながら、1、2、3号機全てで無事冷温停止に至った。最新の知見を反映した津波対策や、2010年6月に終えていた耐震工事などが奏功。発煙や海水流入といったトラブルに遭いながらも、所員は家族の安否も分からないまま休まず作業を続けた。

さらに行き場に迷った地域住民を発電所に受け入れ、中には出産間近の妊婦もいたという。避難者は3月14日には360人超になり、所員と約3カ月間を過ごした。

貴重な経験を経た女川発電所ではいま、さらなる安全性向上の取り組みが進む。1号機は廃止するが、2、3号機は再稼働を目指し新規制基準への対応を進める。

地震対策では、基準地震動を580ガルから1000ガルに見直して耐震工事を実施。津波対策でも東日本大震災の知見を踏まえ、新たに海抜29mと国内最高レベルの防潮堤(総延長約800m)などを設置する。ほかにも電源対策や、特定重大事故等対処施設(特重)設置、訓練の充実化などに取り組み、安全対策工事は22年度の完了を目指す。

再稼働へのさまざまな意見がある中、昨年11月18日には宮城県、女川町、石巻市が、2号機の原子炉設置変更許可に関わる事前協議について了解した。東北電力は安全性の追求と信頼の再構築に向けて、「地域の皆さまに今後も安心感を持って発電所を受け入れていただくため、安全協定や法令などの遵守とともに『安全を最優先とする文化』が企業風土としてしっかり根付くよう、全社を挙げて最大限の努力を継続していきます」と強調。2号機の運転再開は単なる再稼働ではなく、立地からの半世紀にわたる地域との絆を強めての「再出発」と位置付ける。 「原子力発電所の『安全対策に終わりはない』という確固たる信念の下、引き続き女川原子力発電所の安全性向上へ不断の努力を積み重ねていきます」としている。


防潮堤設置など安全対策工事が進む女川原子力発電所

【特集2】垣根超えた「チーム原町」の結束 業界横断の連携で復旧と復興果たす


福島県内に多くの大型火力発電が立ち並ぶ中、原町火力は東北電力の主力電源だ。「早く電気を届けたい」――。そんな現場の思いを胸に大災害からの早期復旧を果たした。

福島県内には原町、相馬共同、広野、常磐共同など東北電力や東京電力(現JERA)の石炭火力を中心とする大型電源が数多く立ち並び、東日本の安定供給を支えていた。そうした中で起きた巨大津波は、それら全ての電源を一瞬にして喪失させた。

国内の石炭火力でも有数の規模を誇る、南相馬市に立地する原町火力(計200万kW)も例外ではなかった。「タービン翼や軸受け、電気集じん機など損傷はひどかった。主力電源を失った喪失感は言葉にならなかった」。当時を知る関係者は振り返る。周辺エリアは、福島第一原発から30㎞圏内に位置し屋内退避区域に指定されたこともあり、本格的な復旧作業もままならなかった。ただ「2011年夏に、『復旧計画』の目標が定まったことがターニングポイントだった」そうだ。

13年夏までの運転再開―。一つの目標を全社的に共有できたことで、早期復旧に向けて一気に動き出した。そして、当時、原町の現場で陣頭指揮を執っていたのが、現在の東北電力の樋口康二郎社長だ。「早期復旧こそが復興のシンボル」。そんな思いで電力業界、メーカー、ゼネコンなどが一体となって復旧作業に当たった。

幸い、原町から30㎞ほど北にある相馬共同火力とも連携を取ることができた。プラントが兄弟機であるため特殊工具などを貸し借りすることができたからだ。また、復旧作業期間に受け取れなかった石炭燃料をほかの電力会社が引き取ったケースも。困ったときは助け合う。そんな電力会社同士の連携もあった。ピーク時には現場の人員は1日2500人に上ることも。復旧というよりは、丸ごと一つの大型火力電源をゼロからつくり上げるような作業だった。 大同団結で挑んだ作業によって計画よりも半年も早く運転再開にこぎつけた。わずか2年で、200万kWをもとに戻した。東北電力では、この結束を「チーム原町」と呼んでいる。未来にも語り継がれるべきエピソードである。

【特集2】求められる情報災害への備え


福島に生まれ、この地と縁の深い開沼博准教授は、震災後の被災地の姿を見続けている。これまでの10年を振り返りながら、今後の「東北」について寄稿した。

【特別寄稿】開沼 博 /立命館大学准教授

この10年を振り返れば、後悔することは無数にある。とはいえ、10年前のあの当時には全く見通せなかった未来の姿が、いまそれなりに見えてきているのも事実であり、その点では達成感が全くないわけではない。

3・11直後は、とにかく目の前で起こっていることを書き残すことに注力していた。被災地を回っては、そこで知ったことを雑誌や書籍に手当たり次第に記述していた。その後3年、4年と時間が経つと、何が起こっているのか、状況がだいぶ見えてきた。統計資料を集め、現場でのフィールドワークを改めて行い、全体像を俯瞰的に捉える作業を行うようになった。拙著『はじめての福島学』(15年)、『福島第一原発廃炉図鑑』(16年)はその一つの成果物だった。その頃には既に3・11の多くの問題が明確になった。当初は「何が分からないかが分からない」状態だったところから「何が分からないかは分かる」状態に変化していった。これは大きな前進だった。

未来を探る活動が活発化 得られた重要な教訓

住民の多くも、単なる受動的な被災者ではなく、日常に戻っていた。自ら能動的に未来を探る活動に関与する動きが活発になってきた。そこからは、旧避難地域で開催され続けている最大規模の住民参加型イベント「福島第一廃炉国際フォーラム」のプロデュースをはじめ、住民との対話や事実共有の機会の創出に関わり、また大学教育の中での被災地訪問、地元高校での学びの機会の提供なども継続的に行ってきた。災害科学科ができた宮城県多賀城高等学校、休校になった避難地域内の高校の伝統を受け継ぎ新設された福島県立ふたば未来学園高等学校などには何度も訪問する機会をもらうようになり、行くたびに生徒の変化と教員の熱心さを感じた。

昨夏、青森から、東北と関東をわける勿来の関を超えるところまで、車で沿岸部を走った。いまも復興工事が続く部分もある一方、新たな街や道路、防潮堤などが整備され、よくここまできたなと思わされる。三陸道や常磐道の一部はこの10年に復興の文脈の中で開通した。道路に限らず、10年前にはなかった人の交流の基盤が整えられてきているのを感じる。

10年の「節目」がいかなる意味を持つかとの問いには、私は個々の「記憶・記録が一塊の歴史に変わっていくタイミングだ」と言ってきた。あの時の経験は、そこに関わった人、あるいは遠くからそれを眺めていた人にとっても衝撃的で、多くの教訓を残せたはずだ。しかし、その教訓が広く共有されているとは言えないのではないか。

例えば、福島県では地震・津波で亡くなった人が1600人ほどであるのに対して、避難の過程・長期化の中で亡くなった人=震災関連死は2300人を超える。つまり、「災害から身を守るためには避難が必要だ」という常識的感覚に反する現実が立ち現れている。

これは重要な教訓だ。例えば、数十年内に高確率で起こると言われている首都直下地震、南海トラフ地震の際には、3・11よりも大量の避難者が発生することが想定される。人が集住する地域の被害が大きければ、避難の完了までに大きな混乱が生じ、十分な住居の確保にも時間がかかって避難期間が長期化する可能性もある。その時に、単に「みんなで避難所に行きましょう」と備えるだけでは解決されないさまざまな問題が生じるだろう。

だが、人命に関わるこの単純で、最も重要な教訓がどれだけ広く共有されているのだろうか。実際に身の回りに震災関連死をした人がいるような個々人の経験を超えて、この事実を歴史に残すことを私たちは10年のうちにはできてこなかった。達成してきたことを振り返り、何を歴史に残していくべきか、いま改めて考える必要がある。

高まる利便性と高まるリスク 冷静な議論で対「情報災害」

これは当然、エネルギーの問題についても当てはまることだろう。電力自由化、FIT(固定価格買い取り制度)の導入による再生可能エネルギーの拡大、北海道胆振東部地震や一昨年の台風19号をはじめとする災害による大規模停電。激動の10年間の中での経験をどれだけ業界内、あるいは広くエネルギー消費者の中で共有すべき歴史として残すことができてきたのか。それぞれが顧みるべきことは少なからずあるだろう。

そんな東北の10年を振り返りながら、これからの10年を迎えるにあたり何が必要か。これもまた多様な答えがあり得るが「情報災害」への対応力は意識されるべきだ。現代の災害・社会的危機は、物理的な災害そのもののみならず、災害に付随する情報の混乱への対応も、私たちに負担を掛けてくる。後者は情報災害と呼べる。ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックは、自然が生み出すリスクとは別に、科学技術など人間自身が作り出したものが生み出すリスクが存在すること、そして、後者が人類を脅かすようになっていることを論じた。例えば、原発事故、薬害、金融危機などはその代表例だ。

ここで重要なのは、人類の生活が便利になるにしたがい、そのリスクも高まるということだ。コロナ禍はもちろん自然のリスクたる感染症であるが、これがグローバル化の進展による人の移動や情報化の中でのニセ科学・陰謀論などの流布と結びつくことでより制御しにくくなっていることは、まさにいま起こっていることだろう。

そもそも、東北は情報の受発信に弱い地域だった。それを最も象徴するのがインバウンドの実績だ。コロナ禍の前までだが、日本を訪れたインバウンド観光客のうち、東北地方に訪問・宿泊する人はどのくらいいたか。観光庁発表の東北6県の外国人延べ宿泊者数によれば、その割合は1・5%だ。日本地図の中で占める東北の面積と見比べればあまりにも小さな数値だ。もちろん努力をしてこなかったわけでも、魅力がないわけでもない。でも、その努力・魅力はほかの地域でも各々積み重ねてきたものでもあった。その情報の受発信の競争の中で東北は圧倒的に負けてきたという事実は重い。そして、当然、3・11による国際的なイメージの悪化がこの数字の伸び悩みの一因となっていることも改めて言うまでもない。 3・11により、風評被害の問題にとどまらない情報の混乱はいまも続き、本来なされるべき客観的かつ冷静な議論が進まず、いまに至っている側面がある。エネルギーを巡る国民的議論もそこに含まれる。いくら被災地で表面的に建物、インフラが整備されたとしても、情報災害の爪痕はまだまだ残っている。自然災害への対応力を高めるべくエネルギーの安定供給の体制はさまざまに整えられてきただろうが、情報災害への対応力を高める取り組みに見えるものは少ない。いまに至る3・11後の情報災害の爪痕を、情報受発信の力に劣る東北が跳ね返す拠点になれば、それは大きな成果なのではないだろうか。




かいぬま・ひろし 福島県生まれ。 東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。 現在、立命館大学准教授。著書に『日本の盲点』『福島第一原発廃炉図鑑』『はじめての福島学』『漂白される社会』ほか。

【特集2】7年越しの相馬プロジェクト 電気とガスの一大拠点に


石油資源開発と福島ガス発電が参画する相馬プロジェクト。LNG基地からは仙台広域圏へ天然ガスを供給。発電所は独自のトーリング方式で営業運転を始めている。

東日本大震災発生時、石油資源開発(JAPEX)が操業する新潟―仙台間(総延長約260㎞)のガスパイプラインが供給停止に追い込まれるような被害は受けなかった。だが、日本海側のガス田やLNG受入基地に加え、太平洋側にLNG基地を構えることで、天然ガスの供給安定性向上、特に仙台広域圏を中心とする太平洋側のパイプライン沿線の需要増などに対応できる強靭なインフラ構築が必要と考えたという。

基地を建設した相馬港は津波の影響を大きく受けた地点。ここに新たなエネルギー拠点を築き復興の起爆剤にしたいと期待する国や県の支援を受け、計画は始まった。

建設過程を振り返り、石井美孝電力事業本部長はこう話す。「LNGタンクは基地全体の工期短縮を図るため、LNGタンクでは従来工法に比べ、工期を10カ月短縮できるジャッキクライミングメソッド(JCM)工法を採用。発電設備では、実績がある形式に最新の要素技術を加えて高い発電効率を実現しました。いずれも経験のない当社なりの最短で確実な建設を意図したもので、結果として、いずれも当初の計画通りに完成し運用を開始できました」

新パイプラインが開通 仙台圏や沿線の地域活性へ

ガス供給面では、既存のパイプラインと接続する相馬・岩間間パイプライン(総延長約40㎞)が開通。仙台圏への安定供給を実現するとともに、沿線にある工場などへの供給が始まった。

発電所は運用会社の福島ガス発電(FGP)を15年に設立。JAPEXを含む5社が事業パートナーとして参画した。同社がユニークなのは、独自のトーリング方式というスキームを採用した点だ。出資各社が必要な電力量に応じたLNGをFGPに引き渡し、FGPはLNGに相当する電力に変換し引き渡す。複雑な運用と思われるが、「立ち上げ前にさまざまなルール設計をしっかり実施した結果、トラブルもなく運用できている」(石井本部長)。 発電所は営業運転開始から半年が経過する。注力しているのはコロナ禍においても安定的に稼働させること。これまで作業員から新型コロナウイルスの感染者は一人も出ていない。今後も細心の注意を払っていく構えだ。

【特集2】LNGインフラと連携 災害に強い街づくり


災害に強い街づくりが進む福島県新地町。近隣のLNGインフラと連携したスマートシティが実現している。

福島県の浜通り北端に位置する新地町は、津波で町面積の5分の1が浸水するなど大きな被害を受けた。復興事業は、住まいの再建事業から始められ、その後、津波で消失後に移設する新地駅周辺の市街地整備事業を軸とした「環境と暮らしの未来(希望)が見えるまち」づくりを目指してきた。その中核が、エネルギーの地産地消と災害に強い持続可能な街づくりを目指す「新地町スマートコミュニティ事業」だ。

新地町は、震災後に国の「環境未来都市」に選定され国立環境研究所と協定を結ぶなど、環境に配慮した新たな街づくりについて検討してきた。その過程で、相馬港からのガスパイプラインが近接する立地を生かしたエネルギー事業について、民間を含めた産官学連携で検討。それに基づき、高台移転したJR新地駅の再開とホテル・温浴施設などを含む駅周辺の街づくりに合わせて、経済産業省の「スマートコミュニティ事業」を活用し、地域のエネルギー拠点となる新地エネルギーセンターが整備された。

2019年春から地域に熱と電気を供給するエネルギー事業が開始し、20年夏には新地町文化交流センターがオープン。新地駅周辺の環境共生型の復興街づくりが実現している。

相馬基地のインフラ活用 災害に強いエネルギー設備

この事業は、石油資源開発(JAPEX)の相馬LNG基地のインフラを活用し、ガスコージェネレーションや太陽光発電を組み合わせて、電気と熱を対象施設に供給している。また、耐震性に優れるパイプラインやコージェネ、太陽光発電・蓄電池などの自立電源化で災害に強い地域づくりに貢献している。

事業の具体化に際しては、町と民間企業が連携し、18年に新地町と12の民間企業・団体が出資する形で現在エネルギー事業の運営母体でもある「新地スマートエナジー」を設立した。事業の計画から設計・出資に関わっている日本環境技研の安達健一・環境計画部長が言う。

「環境未来都市にふさわしい街づくりを推進する新地町、それからJAPEXなど民間の知見とノウハウ・実行力を加えた体制で進めてきました。この規模の地方都市では見られない、面的エネルギー利用の高効率で自立分散型のシステムによるスマートシティが実現しています」 今後も新たに進出予定である施設園芸農業と連携し、コージェネシステムの排気ガスのCO2回収・植物への育成利用など、エネルギーを軸とした復興街づくりを推進していく計画だ。

【特集2】石炭火力の概念を覆す技術 世界へ東北復興をアピール


高効率石炭火力「IGCC」が営業運転への最終段階だ。福島県内に2カ所新設する発電所から東京に電気を送り、その技術力の高さと東北復興をアピールする。

石炭をガス化して効率的な発電を行う最新鋭のIGCC(石炭ガス化複合発電、54万kW)。東日本大震災や原子力事故からの産業の復興を目的とした福島イノベーション・コースト構想の一つとして、福島県いわき市の勿来IGCCパワーと同広野町の広野IGCCパワーの2カ所で稼働に向けた試運転が進んでいる。

IGCCは、微粉炭を1800℃の高温で熱することで石炭ガスを生成し、そのガスを燃焼してガスタービンで発電する。さらに、その際にできた600℃の排熱を排熱回収ボイラーに送り蒸気を発生させ、蒸気タービンで発電する。二つのタービンを組み合わせたコンバインドサイクル発電によって48%という高い発電効率が実現する︒2基の発電所は石炭をガス化する際のガス化剤として空気を使用する空気吹きIGCCを採用。開発はパイロットプラント、実証プラント、商用機に至るまで、一貫して福島県内で進められてきた。

脱炭素で必要性高まる 再エネ導入促進に寄与

一方、昨年10月の菅義偉首相のカーボンニュートラル宣言以降、脱炭素に関する取り組みが注目されている。そうした中にあって、勿来IGCCパワーの遠藤聰之副所長はこう強調する。

「今後、再生可能エネルギーの導入を進めていくためにも、バルクでコンスタントに発電できる石炭火力は必要です。国内のエネルギー事情から見て、安定的かつ安価に燃料を調達できる石炭火力の存在は不可欠であり、従来型の石炭火力発電と比較してCO2を削減し、石炭を賢く使い続けることが可能なIGCCは温暖化対策に配慮した発電技術です」

二つの発電所が特徴的なのは、規模や設備、レイアウトなどを同一にすることで設計を共通化している点だ。これにより、「大幅なコスト削減を図っただけでなく、計画で先行する勿来の知見やデータを広野の建設に生かすなど、さまざまな面で効率化を実現しています」(遠藤副所長) 20年7月に定格出力での試運転を実現した勿来のIGCC発電所は現在、営業運転に向けて最終段階を迎えている。3月中旬時点で、東京五輪・パラリンピックは今夏の開催が有力。もし実現すれば、IGCCで作られた福島産の電気が首都圏各地の競技場へも送られる、日本の技術力をアピールする絶好の機会となりそうだ。

建設中の広野IGCCパワー

【特集2】発電所の燃料需要増に対応 東日本を支える供給拠点


国際バルク戦略港湾に指定された福島・小名浜港。広野・勿来両火力で進むIGCCへの燃料供給、さらには次世代エネルギーの拠点として整備が進む。

東日本大震災で福島県の小名浜港は、震度6強の地震と高さ5・4mの津波に襲われた。その結果、大型クレーンの倒壊や、地盤の沈下、コンテナの流出、漁船が陸地に乗り上げるなど、計137の港湾設備が被害を受けたという。こうした背景もあり、小名浜港では「災害に強い港づくり」に向けた取り組みを行っている。

福島県小名浜港湾建設事務所の箱﨑寿文次長は、「災害対応に向けた取り組みは震災以前から行ってきました。特に、石炭などの荷揚げを行う5号ふ頭では、揺れや液状化に強い耐震強化岸壁を採用したことで、震災時も港湾機能を維持することができました。現在整備を進めている東港地区のふ頭も耐震岸壁を採用するなど、ハード・ソフトの両面で災害対策を進めています」と説明する。

IGCCの需要増に対応 供用しながらの難工事

小名浜港では震災からの復旧という難題に加え、港の南北に位置する広野発電所と勿来発電所の稼働率が高まったことで、港湾で取り扱う石炭の量が増加。世界的に船舶が大型化したことで接岸できる岸壁が足りず、接岸を待つ貨物船舶が沖合に停泊する問題が慢性的に生じていた。

このため小名浜港は13年に大型船による大量輸入を行える特定貨物輸入拠点港湾に指定され、かねて進められていた港内の人工島・東港地区の整備が本格化、この工事に際しては多くの苦労があった。

東港地区が急ピッチで進む中、広野・勿来の両火力で次世代型石炭火力、石炭ガス化複合発電(IGCC)建設が決定。石炭需要の大幅増に対応するためにも、東港地区全体の整備が完了する前にヤードを供用させる必要があった。箱崎次長は「勿来IGCCの試運転に合わせて一部設備を供用するため、発電事業者とも調整をしながら工事を進めました。設備を前倒しして運用することを前提に工程を考えるなど、通常と比べて特殊な工事でした」と話す。

19年12月には供用設備が完成し、20年3月には石炭船の受け入れと野積場の使用、勿来発電所へのトラック輸送が始まった。現在は、広野IGCCに向けて内航船が着岸できるようヤードの整備を行っており、22年3月には東港地区の整備が完了する予定だ。こうした設備ができることで、石炭取扱量は約1000万t(19年実績)から、約1500万~1600万tまで増強できるという。

また国土交通省はアンモニアや水素を取り扱う「カーボンニュートラルポート」の検討港に小名浜港を指定している。港の今後について箱崎次長は「中長期的には石炭のみではなく、水素やアンモニアなどの新しい燃料にも取り組みたい」と語った。 これまでもこれからも、小名浜港が果たす役割は大きそうだ。

【特集2】独自にインフラ強化推進 LPガス式非発を開発・販売


災害の度に存在が注目される分散型エネルギー、LPガス。震災後、岩谷産業ではインフラ機能の強化を推進。独自基準に基づく「基幹センター」整備に取り組んだ。

現在、国が定める「LPガス中核充填基地」の原点になったといえるのが、岩谷産業によるLPガスの三次基地『LPG基幹センター』の設計思想だ。岩谷は震災を契機に、災害にも強い充填基地について、全国に先駆けて独自に整備。非常用発電設備(非発)の導入、衛星電話の設置、タンク類の耐震強化など独自基準で充填基地の強靭化を進めてきた。現在、同社が保有する全国のLPGセンターのうち53カ所を基幹センターとして整備を完了した。

この整備の端緒ともなった充填基地が被災の地、仙台市にある。当時、仙台支店でマルヰガス・石油部の職にあった伊藤友一さん(現・マルヰガス部担当部長)は当時をこう振り返る。「仙台センターには運良く重油式の非発が設置されていて、震災時でも稼働しました。これで安定的にLPガスを供給できると思いました。日頃から非発をしっかりと管理しておいて本当に良かった」

輸入基地からのLPガス調達に多少の時間はかかったものの、それでも震災2日後にはLPガスの供給を再開。充填基地にタクシーが列を成した光景は今でも覚えているそうだ。そんな仙台で得られた経験を基に、社内で生まれた発想が「基幹センター化」だった。

もう一つの教訓 燃料多様化の非発

教訓はもう一つある。それは「非発の多燃料化」だった。それまで「非発燃料=石油」が一般的だったが、災害に強いLPガスも燃料に加えよう―。そんなアイデアから生まれたのがLPガス式の非発だった。メーカーのデンヨー社と共同開発に着手し、2012年には販売を開始した。岩谷の「マルヰ会」などを含めた販売組織によって、19年度までに1000台以上を販売した。医療や介護施設を中心に導入提案しており、施設運用のBCP(事業継続計画)を支えるアイテムとして活躍中だ。

そんな岩谷では基幹センターのレジリエンス強化を推進中だ。19年秋に東日本を襲った台風被害では、河川の氾濫で水害を受けた基地もあった。「自治体公開のハザードマップを見比べながら浸水が想定されるセンターを割り出し、非発のかさ上げを進めました。加えて高性能のカメラを設置して遠隔監視する『次世代保安システム』を21年度より全センターに導入を計画しています」(同) さまざまな災害を教訓に、継続的なレジリエンス対策によってLPガスの安定供給を支えていく。

震災後開発したLPガス式の非常用発電設備の画像

【特集2】写真で振り返る 被災設備の復旧と復興


東北エリアの太平洋岸全域を襲った巨大津波。震災からの早期復旧と復興がエネルギー事業者に課せられた使命だった。原子力、火力、再エネなど被災地に点在するエネルギー施設・設備の模様を写真で振り返る。

【原子力】安全性を維持した東北電力の女川原子力発電所。大きな被害を受けたものの「正常停止」を果たし、「避難所」として機能した。




【上】女川原子力発電所は津波の被害を受けたが、原子炉を「止める」「冷やす」、そして放射性物質を「閉じ込める」機能は正常に機能した。
【左下】火災によって被害を受けた原子力発電所内の高圧電源盤。所内の機器に電気を送る設備だ。自衛消防隊を組織して消火した。
【右下】地域の人々を避難所として活用した原子力発電所内の体育館。

【火力】災害乗り越え早期復旧を果たす――。大型火力が立ち並ぶ電源銀座、福島県では、東北電力や東京電力は安定供給を果たすべく、災害からの早期復旧に注力した。


【上】広野火力は夏場の供給力確保に間に合わせるべく、驚異的なスピードで復旧を成し遂げた。この広野と常磐共同火力では、現在、次世代型石炭火力「IGCC」の本格運転が始まろうとしている。
【左下】広野火力の発電所内は津波で車が押し流された。
【右下】中央奥は常磐共同火力。一面が津波も被害を受けた。

再エネとエコキュートの親和性 LPガス事業者との摩擦超えて


【私の経営論(2)】比嘉直人/ネクステムズ社長

「不退転の覚悟で取り組みます」。事業の成り行きを見守り心配する方々に当時幾度も使った言葉。不安がる表現には良薬だった。

ベンチャー企業の小さな舟は5人のメンバーでこぎ出していた。制度としての担保がない事業に私の未来構想を信じ、協力してくれる仲間。仕事きっちりGさん、知識量豊富なうっかりT氏、緻密作業のインテリK氏、体力抜群パソコン苦手のN氏、こんなチーム力が試される抜群に頼もしい面々だ。

折しも国内では電力自由化が始まり、ERAB(エネルギー・リソース・アグリゲーション・ビジネス)に注目が集まり、VPP(仮想発電所)実証事業が次々と開始されていた。まさに社会変革の大きな荒波に思えた。

余剰再エネの有効利用 CM効果ゼロの悪夢

沖縄地域では電力需要の約7割が民生用電力需要であり、産業用は発達していない。需給一体で監視制御を望むのであれば住宅家電を対象機器とするほかない。しかしERABやVPPが目指す着地点とは別ものになると感じていた。一方、これだけ壮大な予算で大企業が連なる大きな事業。家電の監視制御や制度くらい誰か、明確な解を持っているのではと考えた。

そこで各省庁や大学、企業などを次々に訪問して宮古島の構想を話して、どのような着地点が得られるかを模索した。だが現実は甘くない。訪問先では各々が抱える課題を地域特性や技術水準、あるいは立場などで、必死に考えている姿がそこにあったが、われわれと同様な構想を抱く方にはやすやすとたどり着けなかった。

制度的な担保を欲しがる私に、信頼する大学の先生は「実証予算があるので一番良いと思うものを実現する方が早い。実現したものは否定できないから」。的確な助言を頂き「そうか、議論するより証明してみせよう」。決心した。

住宅家電負荷の中で遠隔から直接的な監視制御を行う対象機器の選定に入った。宮古島でも太陽光発電はFIT制度で導入が進んでいて、既に出力変動問題が顕在化していた。そのため、まずは余剰電力の吸収として、廉価なエコキュートのみを普及することが最も望ましいと考えた。

宮古島実証事業は沖縄県が市に委託した事業であるため取得した知財を県に帰属させることが契約要件になっていた。普及モデルを確立するためには持続的な機器調達が必須であり、特殊仕様の機器では耐えられない。そのためほかの事業者も容易に取り組めることが必要と考えた。そこで県や市に同意を得て、知財を押さえず事業成果の全容を公開することにした。

VPP事業者連絡会議(みゃーく会議)という会合も主催して積極的に成果を共有した。全てをさらけ出して裸同然であったため、当初、不完全な普及モデルは、応援する方々から矢のように鋭い指摘を浴びることになった。

VPP事業者連絡会議の様子

【特集3】座談会 エネルギー大転換時代の息吹 需要拡大で水素化の道開く


エネファーム、燃料電池自動車などから始まった水素利用。最近では火力発電利用、電力系統への需給調整、再エネ由来の水素製造などあらゆるドメインで本格利用・製造する動きが進む。各界のキーマンが展望を語り合った。

【司会】山根一眞/ノンフィクション作家

【出席者】

古谷博秀/産業技術総合研究所・福島再生可能エネルギー研究所 研究センター長

矢田部隆志/東京電力ホールディングス 技術戦略ユニット技術統括室・プロデューサー

山根史之/東芝エネルギーシステムズ 水素エネルギー事業統括部・事業開発部P2G事業開発グループ マネジャー

司会 私は1990年代から水素、水素と広言してきて、2005年の愛知万博では、プロデューサーを務めた愛知県館で水素時代を訴える出展をしているんです。あれから15年。やっと水素時代の形が見えてきたなと感じています。まず、皆さんがいま取り組んでいる水素について紹介してください。

山根一眞・ノンフィクション作家

古谷 福島県郡山市に福島再生可能エネルギー研究所というのがありまして、そこで研究センター長をしています。ご承知の通り、再エネは出力が変動しますので、有効に使うにはエネルギーのストレージ技術が鍵を握ります。蓄電技術については各社皆さんが開発を進めていますが、われわれはその先の利用形態となるストレージ技術としての水素、キャリアとしての水素、あるいはどうやって再エネから水素へと変換していくか。そんな研究を進めています。水素だけですとどうしてもかさばってしまいます。ですので有機系の触媒(MCH=メチルシクロヘキサン)を利用するなど、いろいろと工夫する必要があります。

 最近では、MCHを使ったエンジンであったり、純水素型のエンジンなどの開発や、世界であまり例がありませんが再エネ由来の水素から有効にアンモニアを製造するプラントなども作っています。

山根 当社ではNEDOの委託事業として、福島県浪江町で太陽光発電(2万kW)を使った水素製造を昨年から実証しています。再エネ由来の水素製造、パワー・ツー・ガスプラントとしては世界最大級の規模です。この実証設備を電力系統に接続。ある時は電力系統への電力需給の調整力(DR)を提供、ある時は水素の製造・供給と、水素のいろいろな活用方法を探っています。

 当社や東北電力さん、東北電力ネットワークさんに加え、再エネから電気を作る電解装置(1万kW規模)を手掛ける旭化成さん、作った水素を貯蔵し輸送する岩谷産業さんなど、日本の水素銘柄としてはトップクラスの陣営で実証を進めています。私はこの実証の取りまとめ役をしています。

司会 その実証は、単に電力設備を作るといった取り組みとは全く異なりますよね。全体をまとめる総合的なエンジニアリング技術が必要になり、苦労が多いでしょう。

山根 おっしゃる通りです。例えば旭化成さんは化学メーカーですが、当社東芝は電機メーカーです。設備を設計するに当たっての共通言語や設計思想が大きく異なるのです。

矢田部 その辺の苦労は分かりますね。東芝さんも電力会社も交流で送電する、つまり電流をいかに減らし、いかに電圧を高くして電気を送るビジネスです。電流を増やすとその分抵抗が増えますので。 一方、電力会社の感覚からすると想像できませんが、化学メーカーさんは、電圧は1ボルト、電流は1000アンペアと、大容量の電流で、電解膜一枚一枚の触媒がどう反応し、反応効率を高めるか。視点が全然違うのです。

司会 水素の時代が来るといわれていますが、なるほど、異分野の断絶があるわけですね。新しいビジネスを生み出すにはそうした異なる世界を結ぶ円滑なコミュニティーを早く作ることが大事ですね。さて、東電さんは、水素に対してはどう取り組んでいますか。

矢田部 東芝さんは浪江町ですが、当社は山梨県甲府市で実証しています。われわれは県内に1万kWのメガソーラーを保有しているので再エネの出力変動分を水素で吸収できるかどうか、地の利を生かして甲府で実証しています。実は、電力会社が水素を手がけるかどうか、昔から議論がありましたが、ここ5年くらいで様変わりしました。以前は化石燃料由来の水素が一般的でした。ところが、再エネ発電が進展し再エネ価格が下落している中、再エネ由来のCO2フリー水素の実用化の可能性が生まれてきました。再エネの電気からガス体エネルギーである水素を作る。われわれはこれを間接電化と呼んでいます。このような再エネ電気の広がりが水素の普及の可能性も広げると考えています。

【特集3】グリーン水素で豪州企業と連携 大規模サプライチェーンを構築へ


岩谷産業は、豪州企業との連携で「グリーン水素」の事業化に向けた検討を開始する。大規模サプライチェーン構築により、水素利活用の社会実装を目指していく構えだ。

岩谷産業が、再生可能エネルギーによる電力で製造する「グリーン水素」の大規模サプライチェーン構築に向けて動き出した。海外で製造したグリーン水素を液化製造プラントで液化し、大型の液化水素船で日本に輸入する事業を確立させる。

同社は今後、豪クイーンズランド州政府直営の電力会社スタンウェルとのグリーン水素製造・液化・輸入事業化に向けた検討を進めていく。グリーン水素の製造は、豪州の太陽光発電や風力発電所などを活用する計画だ。

スタンウェルは、電力の送配電事業を行っており、電力会社としては同州最大の規模を誇る。そのノウハウや既存リソースを生かすことで、将来の商用化を目指していく。

さらに、川崎重工業、豪鉄鉱石生産会社のフォーテスキュー・メタルズ・グループ(FMG)とも、グリーン水素サプライチェーンの事業化に向けた検討を開始する。川崎重工はこれまで、水素を「つくる(水素液化機)」「はこぶ(液化水素運搬船)」「ためる(液化水素貯蔵タンク)「つかう(水素ガスタービン発電設備)」という全てのフェーズにおける技術を所有している。一方、FMGは、世界規模のインフラや鉱業資産の拡充におけるバリューチェーン構築やプロジェクト開発の知見を持っている。加えて、FMGは2040年までにCO2などの温室効果ガス排出量の実質ゼロを目標としており、グリーン水素を含む新規事業への進出を図っている。

3社は、世界最大の水素に関するグローバルイニシアチブ「ハイドロジェン・カウンシル(水素協議会)」に参画している。今後は、将来の商用化を見据えたコンソーシアム組成の検討も行っていく。

水素供給体制を構築 国内70%のシェアに

岩谷産業は、水素の可能性にいち早く着目し、1941年に水素販売を開始して以来、製造から輸送・貯蔵・供給・保安まで一貫した全国ネットワークを築いてきた。国内3拠点・6プラントの液化水素製造工場を建設し、その製造能力は年間1億2000万㎥に上る。また、全国10カ所に圧縮水素工場を保有しており、国内の水素市場において70%のシェアを持つ。

岩谷産業と川崎重工は、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の未利用褐炭由来水素大規模海上輸送サプライチェーン構築実証事業において、豪州から日本に液化水素を輸送する国際水素エネルギーサプライチェーンの実証事業にも参画している。日本政府のカーボンニュートラル宣言や脱炭素社会の実現に向け、クリーンエネルギーとしての水素の普及拡大が求められる。こうした中、生成時のCO2排出のないグリーン水素の利活用に向け、社会実装の具現化を目指していく。

川崎重工業は、液化水素運搬船を運用している(写真提供:川崎重工業)

【特集3】自治体イベント通じFCVのポテンシャル探る


レポート/日本環境技研

環境・エネルギー、都市インフラ分野のコンサルタント・設計事務所として50年以上の実績がある日本環境技研。近年では将来の脱炭素社会実現に向けて水素を新たなエネルギーの選択肢とすることに取り組んでいる。現在の課題は、水素の利用を広く地域社会に広げていくことと捉えている。

日本環境技研が関東経済産業局より受託している「広域関東圏における水素利活用促進に係る普及啓発事業」では、水素が利用できることや水素の付加価値を一般に伝える広報活動に取り組んでいる。

昨年末に長野県で開催されたイベントでは、県産のCO2フリー水素を用いた最新燃料電池自動車(FCV)車両の展示やキッチンカーへの外部給電が行われた。近年の自然災害や停電などの多発で災害対応の整備が求められており、災害時でのFCV利用が注目されている。また、外部給電ではFCVの静粛性という価値を十分に生かしている。

同事業では、広域関東圏の自治体と専門家が集まり、ポテンシャルや課題など、地域の特徴を生かした水素利活用アイデアを活発に議論している。社会実装に向けて、地域で多様な水素需要を取りまとめて需給を成り立たせること、地域ならではの付加価値を付けて取り組みを進めていくことが望まれる。「水素を広く社会で使うため、ポテンシャルの高いエリアで実装モデルを作ることが重要です。地域と事業者をつなげながら、最適解を提案すること、水素の良さを定量的に示すことにより水素社会の実現に貢献したい」(環境計画部)