矢島正之/電力中央研究所名誉研究アドバイザー
総務省が9月20日に発表した8月分の消費者物価指数(総合指数、以下同様)は、前年同月比3.0%の上昇を記録し、これは、消費税率の影響を除くと、1991年11月以来、30年9ヵ月ぶりとなった。また、10月21日に公表された9月分の消費者物価指数も横ばい、前年同月比3.0%の上昇となっている。9月分の消費者物価指数上昇率の内訳をみると、電気代21.5%(エネルギー全体では16.9%)、生鮮食品を除く食料への支出4.6%となっており、この2つの項目で、物価上昇率の約6割を説明できる。これまでにも、食料品やエネルギーについては、いくつかの物価対策が講じられてきたが、電気料金については、明示的な価格抑制策はとられてこなかった。
電気料金の上昇は、燃料価格の高騰や、為替レート(円安)の影響が大きいが、このような状況は改善の兆しが見られず、電気料金は、来春には、さらに2~3割ほど上昇する見込みである。このような中で、岸田首相は、10月28日にとりまとめた総額39兆円の財政支出を伴う事業規模72兆円の総合経済対策の目玉として、電力・ガス料金の抑制に6兆円を投じることを明らかにした。電気料金の抑制では、来年1~9月に家庭向けでは7円/kWhの補助金を投入する。補助金の投入について、10月12日に岸田首相は、「国からの巨額な支援金が電力会社への補助金ではなく、全ての国民の負担軽減に充てられることを明確に示す仕組みとしなければならない」と強調している。電気料金の軽減は、大幅な物価上昇に苦しむ国民には歓迎されるであろう。その一方で、懸念材料も多く残されている。
まず、今回の措置は、急速な電気料金上昇への当面の緊急対策として講じられるものであるが、その原因である燃料価格の高止まりや円安の為替相場が、今後2~3年継続することは十分考えられる。そのような場合には、電気料金の抑制は一時的なものにとどまらない可能性が高い。さらに懸念されるのは、今回の料金抑制が、悪しき前例となり、電気料金が高い場合には、政府による市場介入は当然との考え方が国民や政治家の間で広まっていく可能性である。また、財政赤字の悪化も懸念される。今回のウクライナ危機に端を発したエネルギー価格の高騰はやがて収束するにしても、地政学的リスクの顕在化がエネルギー価格に影響を及ぼす事態は将来も起きるだろう。また、カーボンニュートラル(CN: carbon neutrality)実現に向けて、電気料金は今後も上昇していくと考えられる。CN実現を急げば急ぐほど、炭素価格は上昇するであろう。また、CN実現のためには、再生可能エネルギー電源やネットワークの一層の拡大・増強、原子力発電の新規開発、二酸化炭素回収・有効利用・貯留(CCUS: Carbon dioxide Capture, Utilization and Storage)の開発、Power-to-Xや蓄電池などの種々のフレキシビリティ技術の 開発・導入も求められる。しかし、それを達成するためのコストについては、国民はほとんど知らされていない。政府による非効率的な市場介入を防ぐ観点からも、CN実現のために国民が負担しなくてはならない膨大なコストについての認識を促進しなくてはならない。
つぎに、CN実現のためには、電力市場における価格シグナルは極めて大事であることを認識しなくてははらない。デマンドレスポンスの費用対効果には、その実施コストと電気料金の水準が決定的な影響を及ぼす。そのため、電気料金は電力供給コストを正確に反映したものでなくてならない。そうでなければ、社会的に最適なデマンドレスポンスの規模は確保できない。将来的には、オンサイトの再生可能エネルギー電源と蓄電池がデジタル技術と組み合わされ、高度なソリューションビジネスが展開されることになるだろう。このような需要側リソースの利用拡大は、CN社会実現のための重要な鍵を握ると考えられる。物価上昇には、料金引き下げではなく、物価にスライドした賃金上昇を定着化させることが王道であり、政府による支援が行われる場合は、社会的弱者に焦点を当てた財政措置とすべきだろう。
さらに指摘しなくてはならないことは、わが国では、政府は電気料金の抑制に力を入れるとしているが、電力会社は、経過措置料金、燃料費調整、最終保障料金に規制が課せられた結果、燃料費の料金への十分な転嫁ができず、財務が毀損していることである。電力市場が自由化されても、電力会社は最終的には健全な財務の下で安定的な電力を供給する役割が期待されている。この機会に、自由化市場における料金制度の抜本的な見直しを図る必要があるだろう。対照的に、電力市場が自由化され、わが国のような規制が存在しない欧州の多くの国では、このような規制の失敗は生じていない。基本的に料金規制が存在していないドイツの電力会社の経営状況について見てみると、下流に特化するe.onの利益(EBITDA)は、2022年(予想)においては、前年並みである。ネットワーク部門は堅調であるし、燃料費上昇の影響を最も受ける小売りについても、価格転嫁を進めることから前年並みの利益を維持できる見込みである。また、上流に位置するRWEの利益は極めて好調である。(ただし、ロシアからの天然ガス供給が停止したことから、スポットで調達をしなくてはならなくなった発電事業者uniperは、経営難に陥り、破綻を避けるため、ドイツ政府により国有化されることになったが、これは特殊事例である。)
最後に、最初に指摘したことに関連するが、料金抑制のような市場への介入は、本来的に非効率な手段であり、政治的な配慮に基づく緊急措置であるため、期限を明記し一時的なものとすべきであろう。今回の電気料金抑制策は、来年9月まで規模を維持し、10月以降は支援規模を縮小する方針とされているが、実際に、縮小から廃止の方向に向かうであろうか。ガソリンへの価格補助同様、抑制策はだらだらと継続することにならないだろうか。
【プロフィール】国際基督教大修士卒。電力中央研究所を経て、学習院大学経済学部特別客員教授、慶應義塾大学大学院特別招聘教授などを歴任。東北電力経営アドバイザー。専門は公益事業論、電気事業経営論。著書に、「電力改革」「エネルギーセキュリティ」「電力政策再考」など。