
新潟に貢献したいと県議会議員を長年務め、議会運営や政策実務に携わる。
参院選で現職を破り当選。柏崎刈羽原発再稼働問題など難題に取り組む。
実家は新潟市にある真言宗の古刹、普談寺。父は新潟県庁を経て、新津市長を3期務めた小林一三氏。市長として汗を流し、新津市が活性化する様子を間近で見てきた。大学を卒業後は東京海上火災保険(現・東京海上日動火災保険)に勤務を経て「いつか地元新潟に貢献したい、故郷に恩返しがしたい」と思い、2005年に新潟に戻り家業を継いだ。
07年4月の新潟県議会に最年少の33歳で出馬すると、17814票を獲得しトップ当選を果たした(新潟市秋葉区)。以降、4期15年にわたり県政運営に携わり、県議会では議会運営委員長として、自民党県連では政務調査会長として実務の中心を担った。議会のDX(デジタルトランスフォーメーション)化など改革を進め、県民の声を聞き寄り添う県政を行う中で、新潟の地域活性化を阻む問題として「人口減少による農業の持続性」を挙げる。「新潟県は日本でも有数の米どころだが、多くの若者が新潟から首都圏、関西圏へ向かってしまう」。農業の担い手がおらず高齢化が進む現状。米価が下落し利益が上がらず、担い手がますます減るスパイラルに陥っていると指摘する。そのため、将来を見据えた幼児教育・専門教育の重要性を掲げる。「レベルの高い教育を受けて、将来的に新潟に還元してくれる人材や、地元に残り新潟を支える人材を育成することが重要」と、若者への支援を推進。そのほか「いじめ等の対策に関する条例」の制定など、議員提案条例の制定にも積極的に動いて、教育政策に貢献してきた。
また、22年2月の定例県議会で、ポスト・コロナ社会を見据えた脱炭素社会への転換、デジタル改革の実行、分散型社会の実現を目指す「住んでよし、訪れてよしの新潟県」を進める予算案の成立に尽力。新潟県はバイオマス発電やメタンハイドレート発掘、水力ダムなど自然由来の資源エネルギーが豊富であり「新潟は食料自給率もエネルギー自給率も高く、大きな可能性を秘めている地域」と話す。地元の秋葉区は新津油田で知られた石油の里であり、エネルギー政策の重要性を身近に感じてきた。新潟の活性化には再生可能エネルギーを含んださまざまなエネルギーの利活用が必要だと訴える。
それまで「地方を元気にすることが日本の活力を生む」と県政に取り組んできたが、国政に目を向けると、所属する自民党は参議院新潟選挙区の議席奪還を目指していた。7月の参院選に向けて立候補を打診され「全県では無名の新人だが、これまでの経験を生かし地方の声を国に届ける仕事ができれば」と悩みながら受諾。県議会での経験と、4人の子供を育てる世代として育児支援の必要性、地元経済の活性化を訴えた。選挙戦最終日には岸田文雄首相がマイク納めを新潟市で行うなど応援を受け、全国区で高い知名度を持つ森裕子氏を破り、参院選初当選を果たした。
柏崎刈羽再稼働問題は最重要課題 東電と国は丁寧な説明を
現在は国と新潟の間での調整役を担うが、目下の問題として、柏崎刈羽原子力発電所の再稼働に対する国や東電の姿勢がある。自身は新潟県が進める「福島第一原発の事故原因の検証」「原発事故が健康と生活に及ぼす影響の検証」「万が一原発事故が起こった場合の安全な避難方法の検証」の三つの検証結果が出るまで再稼働は慎重に対応すべき、という姿勢を支持。「エネルギー危機の中、国による原子力の積極的な活用は電気代の国民負担軽減、カーボンニュートラル実現という点で理解できる」と話すも、東電には改めて信頼回復につながる行動を求めている。
地元住民の感情として「首都圏で使う電力を新潟県民がなぜリスクを負うのか、という思いがある」と訴える。発電所職員によるIDカード不正利用問題や、核物質防護設備機能の喪失など不祥事が続く中、再稼働へ坦々と進む様子に「まず信頼を回復するため新しい体制を作り、今の東電に任せても大丈夫、と住民に思ってもらえる努力をしてほしい」と苦言を呈した。一方で、福島原発事故を経験し、地域住民へ丁寧な説明を行う柏崎刈羽原発の現場責任者の行動を評価。これからの住民感情の変化に期待している。
8月に岸田首相が「国が前面に立つ」と再稼働に前向きな姿勢を示したことについても「前面に立つ、と言うが具体的に何をするのかが大事」として、避難計画の策定を国の責任で進めるなど国策としての行動を求めた。「再稼働すれば、この国のエネルギー事情は一段階改善する。そのためにも急がず丁寧な説明を求めていきたい」。新潟県選出議員として国と地元の政策の板挟みになる立場だが、座右の銘である「不動心」の思いを秘める。一度決めたらぶれずに、自分の信念を貫く。新潟の発展のためにこれからも粉骨砕身する覚悟だ。