矢島正之/電力中央研究所名誉研究アドバイザー
EUは、2021年に天然ガスの域内消費の約90%を輸入したが、その45%がロシアからであった。そのうち、ノルドストリーム1(Nord Stream1)を経由する天然ガスは、38%を占めており、同パイプラインは、ロシアから輸入する天然ガスの最大の輸送インフラである。
7月25日に、ロシアの国営ガス会社ガスプロムは、ノルドストリーム1を通じてドイツに送るガス供給量を、7月27日から通常の2割にまで減らすことを発表した。ロシアは、西側諸国による制裁がノルドストリーム1のメンテナンスを妨げているとし、制裁が緩和されない限り、欧州向けのエネルギー供給がなおリスクにさらされると警告している。今回の供給減で、ロシアからのガス供給を巡る不透明感が広がり、EUは、8月から来年3月まで、ガス消費の15%を削減することを7月26日に合意している。
EUの天然ガスのロシア依存はこの10年間改善していない。むしろ悪化している。そのような状況になったのは、EUのエネルギーセキュリティ上の最大の懸念は、供給元であるロシアというよりウクライナを経由するロシア産ガスの供給中断であったためである。 1991年にソ連邦が崩壊し、ウクライナ共和国が成立したが、親欧米路線をとる大統領が誕生すると、ロシアは、ウクライナのNATO加盟を阻止するために、ガス料金の値上げを通告し、交渉がまとまらないとウクライナ向けの供給を停止した。ウクライナ向けのガス供給と、EU諸国向けの供給は同じパイプラインで行われていたが、ウクライナ向けの供給量が削減されているにもかかわらず、ウクライナ側はこれを無視してガスの取得を継続した。このため、EU諸国へ提供されるガス供給は削減され、EU諸国は大きな影響を受けた(2006年、2009年)。
ロシア・ウクライナ間のガス紛争は、ウクライナを経由しないパイプラインの建設が必要との認識を高めた。ノルドストリーム1は、このような背景の下に建設された。ロシアとドイツをバルチック海を通じて結ぶ1,200キロメートルに及ぶガスパイプラインは、2010年から建設され、2012年に完成している。ノルドストリームプロジェクト(ノルドストリーム1)は、EUも大いに歓迎している。2006年に、EUはノルドストリームプロジェクトを「欧州のインフラニーズに合致した最も重要なプロジェクト」に指定している。さらに、2007年には、ノルドストリーム株式会社は、欧州委員会と欧州議会の代表とともに、同プロジェクトを欧州のエネルギーセキュリティ確保のために重要なインフラであるとの認識を共有している。このため、EUにおけるガス供給をノルドストリーム1に大きく依存することになった結果を、プロジェクトをロシアとともに積極的に推進したドイツだけの責任にすることはできないだろう。むしろ、以下に述べるように、ロシアに依存しないガス供給ルートの開発についてのEUの努力が十分ではなかったためと考えるべきだろう。
ノルドストリーム1の開通により、EUは、ロシア産ガスの大部分を輸送していたウクライナルートの輸送量を大幅に引き下げることができた。しかし、ウクライナを迂回するルートを開発しても、EUの高いロシア依存は変わらない。そのため、EUは非ロシア産ガスの輸送ルートの開発にも努力を傾注した。その代表例が、ナブッコパイプライン(Nabucco Pipeline)である。ナブッコパイプラインは、カスピ海地域などから、トルコ、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリーを経由し、オーストリーに至る、3,300kmに及ぶパイプラインである。このプロジェクトは、ガスの調達先が確定していないことから難航したが、2009年1月のロシアからの供給支障を受け、EUは、このパイプラインを安全保障上重要との認識の下、計画実現を目指す宣言を出している(2009年1月)。2009年7月には、関係各国の首相がパイプライン建設の政府間協定に調印している。しかし依然として、カスピ海地域などから十分なガス供給を確保する見込みが立たなかった。
ナブッコがガスの供給元を確保できなかった理由は、ロシア(ガスプロム)がイタリア(ENI)と立ち上げたサウスストリーム(South Stream)とルート上競合していたためである。サウスストリームは、ロシアから黒海(延長900キロメートル)を経てブルガリアで分岐し、一方はセビリア、ハンガリーを経由してオーストリーに、もう一方は、ギリシャを経由してイタリアに至るガスパイプラインである。ロシアは、先行的に、中央アジアのガス田と交渉を行い、これを押さえていたために、これらのガス田からナブッコに供給する余力は残っていなかった。
ロシアが、ナブッコつぶしを図る一方で、EUも、サウスストリームつぶしを試みている。
サウスストリームは、2010年に建設を開始し、2015年に完成予定であったが、2014年12月にロシアのプーチン大統領は、「EUがこの計画に建設的な姿勢をとる意志がない」として、突然計画中止を発表している。その理由としては、中継地のブルガリアに対する欧州委員会からの圧力で、パイプラインの建設が進んでいないことが挙げられた。代わりに、ロシアは、黒海・トルコを経由するトルコストリーム(Turkish Stream)を建設し、トルコへ供給することでトルコと合意している。それは、プーチン大統領としても、NATOには加盟しているが、EUへの加盟を受け入れてもらえないトルコを、ロシアに取り込むチャンスでもあった。
サウスストリームが中断し、ナブッコが足踏みする中で、アゼルバイジャンのカスピ海沖シャーデニス(Shah Deniz)ガス田の天然ガスをジョージア、トルコ、ギリシャ、アルバニア、イタリアに運ぶSCP/TANAP /TAP(南回廊) が着実な進展を見せた。SCP(South Caucasus Pipeline)は、シャーデニス・ガス田の天然ガスをトルコに(そして将来的に欧州に)輸送するもので2006年5月に開通している。また、SCPに接続し、シャーデニス・ガス田の天然ガスをトルコ・ギリシャ国境まで輸送するパイプラインについて、2012年6月に、アゼルバイジャン、トルコ両首脳は、 TANAP(Trans Anatolia Natural Gas Pipeline)建設に関する政府間協定に署名している。TANAPは、2015年3月に建設を開始し、 2018年6月に完成している。 TANAPの建設決定に伴い、ナブッコは、ブルガリア以西のみをカバーする会社となった(Nabucco West)。さらに、トルコ・ギリシャ国境からアルバニアを経由しイタリアまで輸送するパイプラインについては、2013年2月に、ギリシャ、イタリア、アルバニア政府が、 TAP (Trans Adriatic Pipeline)建設に関する政府間協定に署名している。2013年6月になると、シャーデニス・ガス田のオペレーターは、その天然ガスを欧州に輸送するパイプラインとしてTAPを(Nabucco Westを退け)選定した。この時点で、ナブッコプロジェクトは、最終的に中断された。TAPは、2016年5月に建設を開始し、2020年10月に完成し、同年11月に営業開始している。
南回廊の完成により、ナブッコは中断されたが、欧州委員会は、非ロシア産ガスをロシアを経由しないルートで欧州に運ぶパイプラインが出来たことを歓迎した(2013年10月、EUは南回廊を”Project of Common Interest”に指定している)。南回廊開通時には、年間約100億立方メートルのガスがこのルート(TAP)を流れている。これに対して、ノルドストリームは、2021年に約600億立方メートルのガスを欧州に輸送している。この点で、南回廊の開通が、EUのロシア依存を大きく引き下げることはできなかったは明白である。欧州委員会は、南回廊を将来的に拡充していくことを計画しているが、ノルドストリーム1を通じてのガス供給量の削減分を補うようになるには、何年も要するであろう。
LNG輸入については、コストの関係でパイプラインによる輸入が優先されたため、EUの天然ガス総輸入量に占める比率は、20%(2021年)にとどまっている。とくに、ロシア産ガスの最大輸入インフラであるノルドストリームの欧州側受入基地のあるドイツは、コスト優先の観点から全くLNG基地を建設してこなかった。
現在、ロシアによるガス供給の削減を乗り切るためには、パイプラインやLNG基地などの大規模なインフラ投資をともなう長期的な方策とは別に、短期的に有効な方策が求められている。このため、ガス消費の削減、浮体式貯蔵再ガス化設備FSRU (Floating Storage and Regasification Unit)の導入、燃料代替などに加えて、石炭・石油火力や原子力発電の稼働延長も避けられないだろう。
【プロフィール】国際基督教大修士卒。電力中央研究所を経て、学習院大学経済学部特別客員教授、慶應義塾大学大学院特別招聘教授などを歴任。東北電力経営アドバイザー。専門は公益事業論、電気事業経営論。著書に、「電力改革」「エネルギーセキュリティ」「電力政策再考」など。